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【創作大賞2024応募作・恋愛小説部門】砂の城「第2話 3年間の空白



「しかし驚いたな……まさかこんな近くに『彼女』が住んでいたなんて」

「そうだよ、今までずっと一緒に居たんだから……」

 そう。私が大学に入学するまでは、忍とずっと一緒だった。
 私は精一杯の笑みを浮かべ普通に振舞った。忍は昔から勘のいい男なので、少しでも言動や態度に疑問があるとやたら追求してくる。

 マンションのロックを解除し、エレベーターに乗り、自室の前に立ってもまだこれは夢なのだろうかと思った。鍵を回す手が小刻みに震える。
 夢ではない。心臓が早鐘を打っているのを感じ、これは現実なのだと安堵した。

 タオルを受け取った時点で忍は自分の寮へ帰ろうとしていたが、私はそれを無理矢理止めた。そして家でシャワーを浴びるよう声をかけたのだ。私が『彼女』というカードを先に出したので、忍も特に警戒している様子は無かった。
 何としても彼の連絡先を得て、今後についての話がしたかった。

 3年間、彼を探して毎日毎日自転車を走らせていた日々。それが漸く実ったのだ。焦ってはダメ。とにかく、冷静に。
 逸る気持ちを抑え、イメージトレーニング通り忍に対して振るまった。

「シャワーは自由に使って。忍が突然行方くらましたから、ずーっと探してたんだよ」

「いや、でもよ。正直……今も信じられねえんだ。アンタみたいな美人さんが、俺みたいなチャラチャラした奴の『彼女』だなんて……」

 忍はバツの悪そうな顔でぽりぽりと頭をかいていた。

 美人と言われて悪い気はしない。
 忍に美人がつかないように、私はとにかくあらゆる手段で女子力を磨いた。影の努力が実ったのを、大好きな人にストレートに言われると嬉しい。

 私は再び逸る気持ちを抑えつけ、自分のとは別に仕分けているタンスの1番上から忍の服と下着を取り出し、何食わぬ顔で彼に渡した。
 これは母さんが捨てようとしていた彼の服だ。私は自分のタンスに混ぜ、実家から出た後もこの3年間、大切に保存してきた。絶対に忍は生きていると信じて。

 記憶が無くとも着ていた服を覚えていたのか、忍は目を丸くしていた。
 私が今タンスから出したTシャツは、彼が長年愛用していたものだ。ランニングで着ているシャツと同メーカーなので間違いない。その反応に私は口角を上げる。

「忍の服、タンスのこやしになる所だったよ。やっと持ち主が帰ってきたよ」

「お、おう……ありがとうな」

 まだギクシャクしている忍の様子を見て、私の演技がもしかして恋人っぽくないのかと焦った。
 突然彼女と言っても信じて貰えないのか、それとも彼の中で私が妹だと認識しているのか。そうならない為にこの3年間、必死に忍の彼女という仮面をつける練習してきたと言うのに。

 大学を辞め、忍と暮らす未来だけを探した私はバイトで必死に働き、家を出るお金を貯めた。
 1番手っ取り早い手段で、そこまで苦労する事もなくすんなり家を出る事が出来た。勿論、今住んでいる場所は母さんに伝えて居ない。見つかったら何を言われるか分からないからだ。
 それに、今なら忍が危険な仕事を続け無くても暮らせる余力も出来た。
 ただ、告げるべきなのだろうか。忍には危険な仕事をしないで欲しいと。
 土方業を続ける事で、記憶喪失が治るキッカケになってしまったら?
 記憶が戻ったらすぐに私から離れるだろう。そして当たり前だが、もう二度と逢えなくなる。それくらいこれは危険な賭けであったが、この機会は逃したく無い。
 私が朝食の準備をしていると忍は自分の汗を気にし始めた。

「ごめん、シャワー借りるわ。しかし俺が記憶無くしても、居なくなってても、服もパンツもこんな綺麗な状態で持っててくれるなんて。ホント、俺に勿体ないくらい出来た彼女だなあ」

「何、オジサンみたいな事言ってるの。シャワーの使い方、分かるよね?」

 馬鹿にすんな、とやや鼻息を強くしていた忍は大股で洗面所へと向かう途中でピタリと足を止めた。

「そういえば、俺はアンタの事なんて呼んでたんだ?   マキ、マキちゃん、マキぴょん、マキねぇ、マキマキ……」

「もうっ! マキだよ。何、変な連呼してんのよ、全く……」

 面白い呼び名を考えなきゃな、と笑いながら脱衣場に消えた忍を見送り、私はほっと胸を撫で下ろした。
 彼を探してもう一度逢うという第1関門は突破した。──あとは、彼に過去の記憶が戻らない事を願うのみ。
 絶縁した田畑家の記憶なんて無い方がいいに決まっている。
 とは言え、忍の口から麻衣の名前がすんなり出てきた事は何よりも嬉しかった。例え記憶が無くても、妹の名前が出たのだ。

 もしも可能ならば、麻衣と呼ばれたい。でも、それだけは絶対に望んではいけない。
 私は、名前も捨てたんだ。
 どのような形であっても、忍と一緒に生きる未来を目指す為に。



 ────


 スクランブルエッグと焼きたてのパンを並べ、忍と並んでダイニングチェアに腰掛ける。彼は元気そうな見た目に反してかなりの低血圧症なのだが、仕事の為に朝食はしっかり食べる。いつ休憩が取れるか分からない仕事をしているので、朝食を抜くという選択肢は無いのだ。

「ん〜、朝からこんな美味しいモノ食べたのは久しぶりだな。これで仕事も頑張れる」

「私が居ない間、一体何を食べてたの?」

「まあ、朝は起きられねえから食べないし、3時くらいに昼飯を立ち食い店にフラッと入って、あとは夜の仕事がある時はまあ奢って貰ったり何も食べなかったり?」

 聞けば聞くほど不摂生な生活だった。1日1食に近い生活は、若さだけで乗り切っているようなものだ。私はこのままではいけないと首を振り、まずは忍が倒れないように生活改善を考えた。

「忍、今までみたいに私がご飯作るから。私の連絡先、何処にやったのよ」

「へへっ……なんか、麻衣と一緒に居るみたいだな」

 お互いに携帯を取り出し、連絡先の交換をする。忍は無意識に麻衣の名前を言ったのだろうが、それは今は聞きたくないものだった。
 私が麻衣である事、妹であるとバレてはいけない。絶対に。
 何故、この男はこうも勘がいいのだろう。あの事故の後、一体誰に助けられたのか。それとも、空白だった3年間で、記憶が戻りかけている?

「──マキ?」

「……」

「……悪い、また無意識に妹の名前呼んじまった……アンタの事、泣かせるつもりはねえんだ」

 何時になく静かなトーンで忍は私の頭を優しく撫でた。
 ああそうか。私は、泣いていたんだ。それすらも気が付かない程、動揺していたらしい。ただ、アンタと呼ばれる度に明らかに他人行儀な感じがして胸が痛む。

「もう、私の事をアンタって、呼ばないで」

「ん?」

 聞こえなかったのか忍は甘い声で聞き返してきた。もう一度大きい声で忍の胸に思い切りしがみつく。

「私はアンタじゃない、マキだよ……忍の、彼女なんだよ……」

「マキ……」

 涙で濡れた瞳を指の腹でそっと拭われ、私はそのまま目を閉じた。唇に僅かに触れるだけのキスが落とされ、すぐにその温もりは離れた。
 もう一度目を開けると、目の前に立つ忍は私の頭を優しく撫でたまま穏やかに目を細めて笑っていた。


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#創作大賞2024 #恋愛小説部門

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