やがて失われてしまうとしても【連載小説】#6


 ある日の夜、お母さんが写真をアルバムにまとめていた。

 花火大会の時の写真。
 灯篭流しの時の写真。
 僕とジジが写っているものもあった。

「これはジジのところに飾ってあげて」
 そう言い、お母さんは写真立てと一緒に僕にジジの写真を手渡した。

「遺影みたいで嫌だな……」
 僕はまだジジがいなくなってしまったことを受け止め難かった。

「お母さんはもう悲しくないの?」
 口にして、声が音となり響いてはっとした。
 傷つけるようなひどい質問だ。

 お母さんは穏やかな口調で「そうじゃないよ」と続ける。

「一緒に過ごした時間を大切にするの」
 そう言って、お母さんはむかし話をしてくれた。

 誰かを失ってしまうのはとても悲しいこと。
 それは突然やって来ることがある。

 お母さんは小学生の頃に、仲の良かった友達を事故でなくしたらしい。

 その時はしばらくずっと立ち直れなかった。
 お葬式の時、まったく実感が湧かなかった。

 僕と同じように、教室に飾られているお花がとても嫌だった。
 次第に無関心になりつつあるみんなに腹も立った。

「でもね、やがてこの気持ちは失われていってしまうものなの」

 無くなりはしないけど、自分の中から失われていってしまうことがわかる。
 最初はそれがひどく寂しかったが、そうしないと人は前に進めなくなってしまう。

 立ち止まっていても、時は流れていく。
 中学生になり、高校生になり、成人して、働き始めて、家庭ができた。
 友達の事故はもう何十年も前の出来事になった。

 その間に、新しい友達がたくさんできた。
 大事な家族もできた。
 今では年に数回、思い出すくらいになっている。

「でもね、今でも一瞬で思い出の引き出しから取り出せるの」

 そしてそれは楽しかった思い出ばかり。
 不思議と悲しい気持ちにはならなくなったのだと言う。

 僕にはまだよくわからなかった。

「一緒にいてくれてありがとうって、時々で良いから思い出してあげるのよ」

 僕は霊前に写真を飾り、ジジとの思いにふける。

 まだ子猫の時に色々なところにおしっこしてはお母さんに叱られていた。
 冷蔵庫の開く音がするとすぐに駆け付けていた。
 牛乳とにぼしとお肉が大好きだった。

 セミを捕まえるのが得意だった。
 いつも玄関先に持ち込みプレゼントしてくれたけど、正直これはありがた迷惑だった。

 お風呂が嫌いだった。
 ノミ除けの首輪も本当は嫌いで、いつもどうにか外そうとしていた。
 でもノミ取りの時は気持ちよさそうに仰向けになって身を任せていた。

 雷の日に迷子になり、僕が探しに行くと、神社の境内の下で震えていたこともあった。
 いつもはにゃあと鳴くのに、寂しい時はみゃあと鳴いた。

 夜は僕の膝元で丸くなって寝ていた。
 僕の寝相が悪いせいで追い出しちゃうこともあるけど、次の日も懲りずに来てくれた。

 最後は寂しい思いをさせてしまった。

 もし一緒に連れて行っていればと何度も考えた。
 でも、起きてしまったことが取り返せないことは僕にもわかっていた。

 あの時の灯篭、ジジだったのかな。

 僕が手渡された身元不明の灯篭。
 遠く離れていたけど、最後にジジがお別れをしに来てくれたんだと僕は思った。

 そんな不思議なことはあり得ないかもしれない。
 けれど、そう思うことで僕の心は少し救われた気がした。

 ねえ、ジジ。
 僕、二学期になったら学校へ行くよ。

 心の中で、そうジジに宣言した。


 二学期の登校日。

 僕はいつもより早起きをし、シャワーを浴び、ご飯を食べ、ジジにお線香をあげる。
 着替えをし、鞄を背負い、お気に入りのNikeのスニーカーに紐を通す。

「朝は一緒に行くかい?」
「ううん、大丈夫だよ」
「そう、じゃあ、気を付けていってらっしゃい」

 お母さんは笑顔で送り出してくれた。
 勢いをつけて家から飛び出したものの、やっぱり少し緊張している。

 まだ8時前だ。
 一番乗りで席に着いてるのも変かな。
 今からだと早く着き過ぎてしまうかもしれない。

 考え始めると足が止まってしまった。

 にゃあ。
 駐輪場にあるベンチに座っていると、子猫が足元にすり寄ってきた。

 子猫はしばらく僕の顔を見つめていた。
 ジジと同じ真っ黒な毛並みに青い瞳だ。
 撫でると気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らした。

 遠くからにゃあと呼び掛ける声が聞こえた。

 奥の茂みからお母さん猫が様子を窺っている。
 前に見かけたジジのガールフレンドだ。

 僕は両手を広げ、敵意がないことを示したが、尻尾を立てて警戒していた。

 子猫は餌でもくれるのかと期待していたのかもしれない。
 何も貰えないことを知ると、僕への興味を失いお母さんのもとへ戻っていった。

 奥の茂みからもう二匹、子猫が顔を覗かせる。
 おそらく家族だろう。

 ひょっとしたらあの子達はジジの子供かもしれない。
 お母さん猫に毛づくろいをされながら、子猫達は気持ちよさそうに仰向けに寝転んでいた。

「バイバイ」と僕は呟く。
 手を振る僕に子猫達はきょとんとしていたが、やがてどこかへ去っていった。

 さて。
 僕は立ち上がり、目を閉じて大きく深呼吸をする。

 学校に行ったら、みんなは受け入れてくれるだろうか。
 そう考えるととても怖い。
 でも、このまま話せなくなってしまったらきっと後悔する。

 大丈夫、と自分に言い聞かせる。

 卒業まで残り半年。
 きっとあっという間に過ぎてしまうだろう。

 アツシとヨータとケンジと、クラスのみんなとたくさん話そう。
 今日、勇気を出すだけだ。

「あ、ユウがいた!」
 ふいに名前を呼ばれ、僕は慌てて目を開く。

 ぼんやりと視界が戻り始めると、声の先にはアツシとヨータとケンジがいた。

「おはよー!」
「おっす、久しぶり!」
「そんなとこで何やってんの?」

 立て続けに声を掛けられ、どこから反応すればよいかわからない。
 その場に呆然としていると、ヨータが「学校いこうぜ!」と手招きする。

 その時、僕の日常が色鮮やかに蘇った。
 僕は「うん!」と答え、みんなのところへ駆け寄った。

「ユウ、宿題やった?」
「あのさ、算数だけ見せてくれない?」
「え、結局まだやってないの?」

 いつも通りの掛け合いが風となって僕の心のもやもやを吹き飛ばす。

「そうそう、ユウも聞いた? アツシが中学から沖縄に行くんだって」
「うん、聞いたよ」
「いいよなあ、沖縄。これから夏休みは毎年沖縄だな」

「歓迎するよ」とアツシが喜ぶ。
「いいね!」と僕も力強く賛同する。

 アツシがいる。ヨータがいる。ケンジがいる。
 その輪の中に、僕がいる姿をはっきりと描くことができた。

 僕は改めて『ありがとう』を言葉にしようと思ったが、結局心の中に留めることにした。
 きっと、なんだそれって言われる。
 想像するだけで、思わず顔がほころんでしまった。

「ユウ、なにニヤけてんだ、気持ち悪いな」
 ケンジの弄りに、「うっせ!」と小突きながら返す。
「おい、止めてくれよ。また喧嘩か」とヨータが白々しく止めに入る。
「まるでコントだね」とアツシが言い、みんな笑った。


<了>




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