やがて失われてしまうとしても【連載小説】#5


「二学期になったら学校どうしようか」

 リビングで朝顔の観察日記をまとめていると、不意にお母さんが問いかける。
 確かに僕は何のために宿題をしているのだろう。

 8月も残り1週間。
 うやむやにしていた問題が突然目の前に立ちはだかる。

「実はね、アツシ君のご両親から連絡があって」
 お母さんは僕の様子を窺いながら話を進める。

 夏休みが終わる前にどこかで会えないか。
 そう提案されたらしい。

 僕も話したいとは思っていた。
 ただ、いざ会うとなると緊張する。

「電話するよりは直接会った方がいいよ」
 お母さんの後押しもあり、僕は静かに頷いた。

 アツシと会ったら何を話そうか。
 僕は悶々としながらその日を待っていた。

 漫画のように喧嘩して仲直り。
 いや、これは僕とアツシに限ってはないな。
 アツシが人に暴力を振るうところなんて見たことない。
 そもそも今回は僕が完全に悪いのだ。

 まずは謝る。
 でもどう言葉にすればよいのだろう。

 からかってごめん。
 何だかこれは上から目線な気がした。

 アツシも言い返してくれればよかったのに。
 これも違うな。
 アツシはヨータやケンジと違って優しいんだ。

 何度かお母さんに助け舟を求めた。
 でも、お母さんは「自分で考えないと」と言い、答えを教えてくれなかった。

 その日が近づくに連れて、僕はだんだん怖くなってきた。
 一度だけ、やっぱり会うのを止めたいと口にした。

「それはダメだよ。ちゃんと向き合わないと」
 お母さんは僕を厳しく叱った。

「とても大切なことなの」
 そうお母さんは続ける。

「間違ってもいいから、アツシ君の気持ちを考えて決めなさい」

 アツシはどういう気持ちなのか。
 きっと僕のことを嫌っているとしか思えなかった。


 そしていよいよその日がやってきた。

 僕はお母さんと一緒に近くの公園を訪れる。
 噴水の流れる広場で待ち合わせ。

 アツシ達が先に来ていた。
 遠目から見るアツシは真っ黒に日焼けしていて元気そうだった。

「こんにちは」
 アツシのお母さんから声を掛けられる。
 穏やかな口調だ。

 お母さんも「こんにちは、本日はありがとうございます」とお辞儀する。
 つられて僕も頭を下げ、「こんにちは」と口にする。
「こちらこそ、ありがとうございます」と改めてアツシのお母さんもお辞儀する。

 開口一番で謝ろう。
 直前まで僕はそう身構えていたが、機を逃してしまう。

 しばらくの間、お母さん達の話が進む。
 いわゆる世間話。

 あまりにも普段通りの接し方をしているものだから、僕はその場に立ち尽くしていた。
 横目で垣間見ると、アツシもそわそわしているのがわかった。

「さて、じゃあ」とお母さんが切り出す。

「私達はそこの喫茶店でコーヒーでも飲んでるから、二人は森林道でも散歩してきなさい」
「一周するまで帰ってきちゃダメだからね」
 そう言い、お母さん達は楽しそうに話しながら去っていった。

 残された僕とアツシはしばらく呆然としていたが、どちらからとでもなく「行こうか」と呼び掛け、歩き出した。

 互いに土を踏む音が静かな森林道に響き渡る。

 ――暑いね。
 そうだね。

 ――夏休み、どこ行ってたの?
 沖縄のおばあちゃんのところ。
 ああ、それで日焼けしてるんだ。
 ユウ君は?
 甲府のおばあちゃんの家に行ったよ。
 そう。楽しかった?
 うん、花火が綺麗だった。

 ――宿題終わった?
 まだ。ドリルができてない。
 算数?
 そう。ユウ君は?
 あとちょっと。

 僕達は横並びに歩きながら、ぽつりぽつりと言葉を刻み始める。

「ねえ、ユウ君」
「ん?」
「学校来なくなっちゃったよね……」

 アツシから切り出される。
 しばらく沈黙を続けたが、アツシも黙って僕の返事を待ち続ける。

「ジジが死んじゃったんだよね」
「ジジちゃんって飼ってた猫の?」
「うん」
「そうなんだ……」

 なんでジジを言い訳に使ってしまったのだろう。
 そうじゃないんだ、アツシ。
 時系列が違う。
 謝るのは僕の方なんだ。

「アツシはあの後、学校には行ってたの?」
「うん、そうしたら今度はユウ君が来なくなってて……」

 本当に高熱で数日寝込んでいたらしい。
 復帰した時には既に僕は学校にいなかった。

「ねえ、ユウ君」
「うん」
「僕のこと、軽蔑すると思うんだけど……」

 僕が?
 アツシを?

「どういうこと?」
「スニーカーのこと……」

 なんでアツシが?
 僕は思わずアツシの顔を見つめてしまう。

「ごめん!」
 アツシは突然、僕に向かって深く頭を下げる。

「スニーカーを盗ったのは僕なんだ……」
 そう言い、アツシは身体を震わせながら、少しずつその時のことを話し始める。

 自分だけが嫌な思いをするのは癪に障った。
 僕も困らせようとした。
 学校を休んでいる間に、こっそりスニーカーを盗った。
 次の日には返すつもりだった。
 でも、僕が学校に来なくなってしまった。

 怖くてずっと誰にも言えなかった。
 ようやく先日、親に相談した。
 ものすごく怒られた。

 頭を下げたまま、アツシは懺悔を続ける。

「ヨータ君もケンジ君も、クラスのみんなも心配してて……、特にヨータ君は自分のせいじゃないかって悩んでて……、一度家に行こうかって話もあったんだけど、先生に相談したら止められて……」

 ヨータ、ケンジ、クラスメイトのみんな。
 どれくらい久しぶりだろう。
 みんなの顔が脳裏をよぎる。

「だから、ごめん!」

 僕は情報を整理するので精一杯だった。

 スニーカーのことは気にしていない。
 アツシが悪いんじゃない。先に悪いことをしたのは僕だ。
 ヨータとケンジを勝手に悪く思ってしまった。

 様々な感情が生まれては交差した。

「アツシ、ごめん!」

 僕もアツシに向かって深く頭を下げた。
 とにかく謝るべきだと思った。

 お互いに「ごめん」と何度も言い合った。
 最後は声が擦れていた。
 向かい合って顔を上げると、お互いに涙でぐしゃぐしゃになっていた。

 ようやく言えた。
 ほっとした。
 僕も、きっとアツシも。

 もっと早くこうすればよかったんだ。
 僕達はしばらく言葉を交わしながら、その場で泣きじゃくった。


「お、戻って来たね」
 喫茶店ではお母さん達がコーヒーを片手に待っていた。
 僕達の分のケーキも用意されている。

「ユウ君、これなんだけど」
 アツシのお母さんが手元から袋を取り出しアツシに促す。

「ごめんね」
 アツシから手渡されたのは僕のスニーカーだった。

「僕もごめん」
 受け取り、僕も謝る。

「よし」と満足げにお母さん達は笑った。

 きっとお母さんは知っていたのだろう。
 僕とアツシは顔を合わせるのがなんだか恥ずかしくなっていた。

 その日の夜、僕の家で一緒にご飯を食べることになった。

 スーパーによってアツシの好物と僕の好物を買う。
 慣れない手つきで包丁を触り、野菜を切ったところでバトンタッチ。
 お母さん達は手際よく料理として仕上げている。

 待っている間、アツシはジジにお線香をあげてくれた。
 アツシも小さい頃、飼っていた犬が死んでしまいとても辛い思いをしたらしい。

「ずっと一緒だったんだ。遊ぶ時も寝る時も」
「どうやって立ち直ったの?」
「時間が経って、少しずつ元気になってきた。忘れちゃうのは怖かったけど、いつまでも悲しんでいたら困らせちゃうかなって思って。あと、学校でも友達ができた」

 アツシと会ったのは3年生の頃だ。
 初めて知ったのだけど、僕は初めての友達だったらしい。

 当時の僕は漫画を描くことが好きで、アツシは絵がうまかった。
 きっかけは図工の時間に席が隣になったことだったと思う。

 お互いに絵を描いては見せ合った。
 僕はドラゴンボールの悟空ばかり真似していて、恥ずかしくて女の子は描けなかった。
 さらっとオリジナルのかわいい女の子が描けるアツシを尊敬していた。

 4年生から先もアツシとはずっと同じクラスで、やがて友達の輪が広がっていった。
 ヨータやケンジとは5年生から同じクラスになった。

 運動ができる二人はクラスでも目立っていて、最初は遠い存在のように思えたけど、僕達が漫画を描いていることを知って、向こうから話しかけてきてくれた。

 休み時間に、お昼休みに、僕達はボール遊びをしたり、ゲームをしたりした。
 本当は学校にゲームを持ち込んじゃいけないんだけど、ヨータはよくトランプやUNOを隠し持っていた。

 放課後に秘密基地を作った。

 ヨータの家のマンションの一階と二階の間にはちょっとした隙間があって、そこにダンボールを敷き、懐中電灯を照らし、家からお菓子やジュースを持ち込んだ。
 初めてのことばかりで、とてもワクワクした。

 ヨータの家は厳しい。
 中学受験をするらしく、家では毎日3時間も勉強をしている。
 将来は医者を目指しているらしい。

 ケンジはサッカーが好きだ。
 キャプテン翼が好きで、ドライブシュートの練習をしている。
 地元のチームに入っていて、毎週土日は練習らしい。

 僕もアツシも話をするのは得意じゃなかったけど、二人の話を聞くのは楽しかった。

 一つ一つの出来事を振り返り、思い出話に花を咲かせていると、ふとアツシが呟いた。

「中学生になったらみんなと離れ離れになっちゃうね」
「家は変わらないんだし、いつでも遊べるよ」

 ヨータのことかと思ったが、引っかかった。
 みんなと?

「僕、卒業したら沖縄に行くんだ」
「え、そうなの?」
「急に決まったんだ。おばあちゃんの体調がよくないらしくて……、お父さんはこっちに残るんだけど仕事があるから……」
「そうなんだ……」

「でも、高校になったら戻って来るよ! みんなで沖縄にも遊びに来てよ!」
 突然の告白に僕が押し黙っていると、アツシが慌てて続ける。

「そうだね、ヨータとケンジも誘って遊びに行くよ!」
 一番寂しいのはアツシのはずだ。僕は精一杯力強く受け答えた。





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