やがて失われてしまうとしても【連載小説】#3
参
世間も夏休みに入る。
最終日、先生が夏休みの宿題と一学期の通知表を持ってきてくれたらしい。
僕は会いたくなかったので部屋に閉じこもっていた。
「みんな心配してくれているみたいよ」
お母さんよりそう伝えられる。
みんな?
みんなって誰だろう。
みんなは何を心配してくれているんだろう。
でも、こんなことをお母さんに言っても仕方がない。
「そう」と素っ気なく回答し、部屋に戻る。
相変わらず暑い日が続いている。
テレビから流れる夏休みの観光地情報。
去年はプールも行ったし海も行ったし山も行った。
1992年の僕の夏は特に何もない。
扇風機の風に揺られながら、洗濯物のように窓際で日干しされる僕とジジ。
カシャリとシャッター音がする。
振り向くとお母さんが使い捨てカメラで写真を撮っていた。
「あと2枚」
何かの残りだろう。
使い切らないと現像に出せないので、被写体になってと頼まれる。
「せっかくだからジジと何かしてるところがいいな」
我関せずと大きなあくびをするジジ。
猫の回復は早い。
怪我はすっかり治り、今はリハビリのため家の中を駆け回っている。
抱きかかえているところ。
ねこじゃらしで遊んでいるところ。
多少の演技指導を経て、無事に撮影は完了する。
「いい写真撮れたよ」
お母さんは満足そうに微笑んだ。
夏休みの自由研究。
あっという間に7月は終わり、宿題を整理していたところ気が付く。
去年も夏休みの終わりになって慌てた覚えがある。
進研ゼミの付録でお茶を濁したら何人かと被って恥ずかしかった。
褒められていたのは星の観察や金魚の成長日記など。
時間を掛ける努力が認められるらしい。
お母さんに相談したところ、何か育ててみればと提案される。
「何がいいかな?」
「朝顔とか?」
「朝顔ってそんなすぐに育つの?」
「さあ」
お母さんもあまりよくわかっていないようだ。
結局、買い物ついでにお花屋さんに寄って聞いてみようということになった。
「種からだともう遅いね」
商店街のお花屋のおじさんは結論からバッサリと告げた。
「ただ……」
ただ?
「キミみたいな子、多くてね。ちょっと待ってね」
そう言って、おじさんは奥から鉢植えを抱えてきた。
「ツボミの手前くらいの状態、あと数日で花が咲き始めるよ」
おお!
「お母さん、これほしい!」
はいはい、とお財布を取り出すお母さん。
いくらですか?
5,000円。
え、ちょっと高くないですか?
最後の一個なんだよなー。他の人も欲しがるだろうなー。
……わかりました。
何やら不審な会話が聞こえたが、そんなこんなで僕は朝顔を手に入れた。
ソライロアサガオという西洋の品種らしい。
花言葉は愛情の絆。
鮮やかな青い花が咲くそうだ。
「花が枯れても種が残るから、次は種から育ててみてな」
そう言っておじさんは一通りの育て方をノートにまとめてくれた。
きっとこのおじさんは良い人だ。
お母さんはちょっと納得してなかったけど。
家に帰り、ベランダの日当たりの良い場所に鉢植えを設置する。
土に肥料を足し、ジョウロで水をやる。
ジジも最初は物珍しそうに眺めていた。
が、食べ物ではないとわかるとすぐに興味を失った。
スーパーで買った鶏のささみの方がよほど魅力的に映るだろう。
お母さんが冷蔵庫を開けると、その音を聞きつけ駆け出して行った。
朝顔の観察日誌を書く。
ジジと遊ぶ。
そんな毎日の繰り返し。
ジジはリハビリを終え、外でも活動を再開した。
相変わらず蝉を咥えてきてはお母さんに怒られている。
ある日、外でジジが他の猫と一緒にいるところを見かけた。
ガールフレンドだろうか。
いつものように対峙して唸っているわけではなく、寄り添い毛づくろいをしていた。
「へえー、ジジも大人になったんだね」
お母さんはウリウリとジジの顔を撫でる。
くしゃくしゃにされてもどこか自慢げで、にゃあと鳴いた。
この辺りには野良猫も多い。
同じような毛並みの猫が多いので、元々は家族だったのかもしれない。
夏休みもそろそろ折り返しを迎える。
僕は日課をこなしながら、二学期が始まったらどうしようかとぼんやりと考えていた。
一度アツシの家に電話を掛けたことがある。
でも、電話には誰もでなかった。
そういえば去年も夏休みは海外旅行に出かけていたなと思い出す。
ヨータやケンジ、他のクラスメイトのことはあまり考えたくなかった。
スニーカーはどうなったんだろう。
本来ならば、あいつらが謝りにくるべきだ。
ふと鏡に映る自分の顔が目に留まった。
ひどい顔つきをしている。
「ねえ、ジジどう思う?」
言葉に出してみる。
ジジは名前を呼ばれてこちらを振り向いたがきょとんとしていた。
アニメみたいに答えてはくれないものだ。
お盆の時期が近づいてきて、お父さんが夏休みで帰ってきた。
大量の桃とぶどうと馬肉のお土産。
出荷できない崩れものをご近所からもらえるらしい。
「馬肉って山梨の名産なの?」
「いや、それはジジのために買ってきた」
こうでもしないと忘れられてしまうからとお父さんは笑った。
ジジも食べ物をくれる人には懐く。
でもお父さんは煙草を吸うので、ご飯が終わるとすぐに煙たがられた。
「おばあちゃん家には明後日から行こうか」
お盆休みの前半は東京の家、後半はおばあちゃんの家。
「ジジはどうするの?」
「う~ん、連れて行こうかとも思ったんだけど……」
移動を嫌がるだろうし、また現地で喧嘩してしまうかもしれない。
結局、去年と同じように管理人さんに預かってもらうことになった。
「いつもすみません、これお裾分けですが」
翌日、お父さんとお母さんは管理人さんにお土産を渡す。
「外に出しておけば勝手に遊んでますから」
「いえいえ、全然気にしないでね。ジジちゃんはお利巧さんだもんね」
去年預かってもらったというのもあるけど、どうやらたまに餌もあげてくれていたようで、わがもの顔で戸棚に登ってお母さんから怒られる。
その日の夜はジジと一緒にお風呂に入った。
すごく嫌がったけど、万が一ノミが付いていたら管理人さんに申し訳ない。
タオルで拭いて、櫛で毛並みを整える。
心地よくなってきたのか、お母さんの膝の上でごろごろと喉を鳴らして甘えていた。
「二日間留守にするけど、良い子にしててね」
みゃあと返すジジ。
僕が布団に入ると、いつものように膝元で丸くなる。
寝る前にもう一度僕の顔をみて、みゃあと鳴いた。
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