やがて失われてしまうとしても【連載小説】#4

肆(前半)

「おお、ユウちゃん大きくなったのお」
 
 おばあちゃんの兄弟、それぞれの子供、孫、総勢30名を超える親戚一同の集い。
 既に迎え火は終えており、先祖の魂と共に、大人は昼から居間で大宴会。
 孫世代は方々に担ぎ出されて冷や汗をかく。

 さすがに酔っぱらったおじさん達の相手ばかりもしていられない。
 年の近い従兄弟達を誘い、近所の公園に避難する。

「ユウ君、最近の東京ってどうなの?」
「SMAPみたことあるー?」
 同い年のミツ君と、二つ上のカナちゃんは会うたびに東京話を好む。

「いやいや、芸能人なんて見たことないよ」
 東京に住んでいるからといって、特別な何かがあるわけじゃない。

「東京いいなー。長野なんて雪山ばかりだよ」
 そっちの方が羨ましいと思うけどな。
 ミツ君もカナちゃんも小さい頃からスキーをしていてプロ級の腕前だ。

「こっちは田舎だから話が合わないんだよねー」
 カナちゃんは高校から東京に行こうと考えているらしい。

「何度も受験勉強したくないからね」
 慶女を目指していると聞いて、そういえば最近勉強してないなと思った。

「ユウ君、中学では何の部活に入るの?」
「ん~、何も考えてなかったなあ」
「男の子は運動部に入っといた方がいいよー」
「なんで?」
「モテるから」
 そう言ってカナちゃんは笑う。

 からかわれている。
 頬が赤くなるのを感じ、ミツ君に話題を反らす。

「ミツ君はどうするの?」
「ん~」
 ちょっと悩んでから、ミツ君は野球かなと答えた。

「ミツオはエースなんだよ」
 カナちゃんが補足すると、ミツ君は慌てて言葉を遮る。

「でも、俺のせいで負けたし……」
 そう言って、ミツ君は口ごもる。

 夏の大会、エースとして登板した。
 地区の決勝まで進んだが、押し出しのフォアボールで負けてしまったらしい。

「くよくよしてたって仕方がないじゃんね」
 カナちゃんは僕に同意を求めたが、どう答えたものかわからなかった。

「姉ちゃんは悩み無さすぎなんだよ……」
 ごちるミツ君に僕も同意だ。
 カナちゃんは何事にもあっけらかんとしている。

「ひどいな、私だって苦労してるんだよ」とカナちゃんは笑う。

 しばらくして、「おーい」と呼び掛けられる。
 お父さんだ。

「そろそろ花火大会に行くぞー」

 気付けば辺りが少し薄暗くなってきた。
「せっかくばあちゃんが浴衣直してくれたから着替えよ!」

 駆け足で家に戻り、各々浴衣に着替える。
 お小遣いとして千円貰う。

「どこ回る?」
「射的やりたいな」
「いいね、ヨーヨー釣りもやりたい」
「そうだねー、でも去年みたいにクジで使うのはやめとこ」
「絶対、スーファミ当たらんよね」
「ないない、あれ絶対当たらんようになってる」

 お父さんの車で会場に迎う間、僕達はお祭りの屋台の話に花を咲かせていた。

 河川敷に着くと同時にドーンと耳を貫くような爆音が響き渡る。

 見上げると上空に大きな牡丹型の花火。
 周囲から歓声が上がる。

「あっちにお母さん達がいるはずだから」
 お父さんに連れられ川辺の方まで降りる。

 先んじて席を確保してくれていたらしい。
 ビニールシートの上にはたくさんの料理が並んでいた。

「陽が落ちる前に写真とろーよ!」
 カナちゃんの提案でみんなで写真を撮る。

「現像したらみんなに送るね!」
 そういえばカナちゃんは集まる度に写真に収めていたな。

 しばらく花火を堪能し、僕はミツ君と屋台を巡って駆け回った。
 射的をし、ヨーヨー釣りをし、カタ抜きではあと一歩のところで失敗した。

 あっという間に軍資金は尽きる。
 途方に暮れていると、カナちゃんが付き添って立て替えてくれた。

「あれ、なんだろ?」
 通り沿いを一巡したところで、ミツ君が人だかりを指差す。
 覗いてみると、たくさんのヒヨコが並んでいた。
 ヒヨコ釣りというらしい。

「やってみる?」
 ミツ君に問われ、僕も虫取りのような好奇心が生まれたが、「あれはダメ!」と強い口調でカナちゃんが止めに入った。

 いつになく強い語調に僕もミツ君も押し黙る。
 カナちゃんも僕達の反応に戸惑ったのか、ばつの悪そうな表情を浮かべていた。

「あ~、ごめん。否定するつもりはなかったんだけど……」
 カナちゃんはそう前置きして続ける。

「生き物はね、世話も大変だし、こういうところのってすぐに死んじゃうから……」

 僕達も確かにそれはそうだと思い納得していたのだけれども、カナちゃんは「きつく言っちゃってごめんね」と謝った。

 いよいよグランドフィナーレです、とアナウンスが流れる。
 川下からナイアガラが点火され始めた。

「そろそろ戻ろうか」
 ミツ君が切り出し、僕らは手を繋ぎながら元来た場所に戻る。

 一斉に空に上がる花火を眺めながら、来年もみんなで来ようねと約束した。


肆(中盤)

 8月15日、終戦の日。
 真っ青な空が広がっていた。

 お墓参りは好きだ。
 僕はミツ君と一緒にバケツに水を汲み、柄杓と雑巾を用意する。
 カナちゃんはほうきとちりとりで掃き掃除。

「一番綺麗にしてあげて」
 おばあちゃんの願いを叶えよう。
 夏の陽射しに照らされ熱くなった墓石を洗う。

 すぐに水滴が反射しキラキラと輝き始める。
 普段から手入れが行き届いているのだろう。

 周りのお墓の中には苔が生しているものもある。
 誰も来てくれていないのかな。

 おはぎとお花を添え、お線香を焚く。
 独特の香りが辺りに漂う。

 おじいちゃんが亡くなったことにはあまり実感がなかった。
 もともと年に二、三回しか会わないし、おばあちゃんと違って電話もしない。

 野球のグローブを買ってもらった。
 将棋と囲碁を教えてもらった。
 煙草に悪戯をして怒られた。

 そんな断片的な思い出しかない。
 きっとお父さんやおばあちゃんの祈りと僕の祈りは重みが違うんだろうな。

 それでも見様見真似で目を閉じ、手を合わせた。

「さて、住職さんに挨拶してくるね」
 そう言ってお母さん達はお寺の中に入っていった。

 残された僕たちはどうしようかと顔を合わせる。

「ここだと日焼けしちゃうね」
 そう言ってカナちゃんは木陰のベンチに僕らを誘う。

 大きく伸びをする。
 のんびりとした空気が流れる。
 ミツ君はじっとしてられない性分なのか、すぐに飽きてシャドーピッチングをし始めた。

「ねえ、ユウ君」
 ふと、カナちゃんから呼び掛けられる。
 カナちゃんは空を見上げながら足をパタパタさせている。

「学校行ってないらしいじゃん」

 その言葉に一瞬で身体が強張った。
 色々と思いが廻ったが、なんて答えたものか。

「あ、責めてるんじゃないよ」
 慌ててカナちゃんが助け舟を出す。

「エリちゃん――あ、うちのお母さんね――から聞いたんだよね」
 なんだなんだとミツ君もこちらの様子を窺う。

「おせっかいだとは思うけど……」と続けるカナちゃん。
「ユウ君を励ましてあげてくれないかって言われてたんだよね。でも実際あったらいつもと変わらず元気そうにみえたし、だからつい気軽に聞いちゃって、ごめん……」

 気にしないでと言いたかったが、声に出なかった。
 感謝の気持ちを伝えたかったが、どう言葉にすればよいのかわからない。

 ミツ君は僕らの顔を交互に見ながらその場に立ち竦んでいた。

 お墓参りを終え、ミツ君とカナちゃん一家は用事があるため先に帰宅した。

「またお祭り行こうね!」
 帰り際に、カナちゃんはそう声を掛けてくれた。
 ミツ君もそれに続き、「また年末に!」と車から手を振った。
 せめてもの返しとして僕も精一杯「またね!」と返した。

 残った僕ら一家はまだ役割がある。
 迎え火に対して送り火。
 灯篭流しで先祖の霊を送り出しお盆が終わる。

「今年はユウちゃんに代表で流してもらうけ」
 おばあちゃんは嬉しそうに灯篭の準備をしていた。

 夕涼みがてら、僕らは近くの川に歩いて向かう。
 会場は既に多くの人で賑わっていた。

 陽が落ち始め、空は群青色に染まり、灯篭が光を放ち出す。

画像1

 ――祈りを捧げる。
 お母さんと一緒に手を合わせた。

 数百はあるだろうか。
 灯篭の穏やかな光が辺りを包み込む。

 見知らぬおばあさんから渡された、送り手のいない灯篭。
 名残惜しそうに水際を漂っている。

 そういえば小さい頃、おばあちゃん家から帰りたくないと駄々をこねたな。
 ふと、そんな思い出が蘇る。
 一夜もすればその気持ちは失われてしまうのだけれども。

 大丈夫だよ。
 みんながいるから寂しくないよ。

 そう心の中でつぶやいた。

「あの灯篭、誰のものだったんだろうね」
「不思議だったよね」
 おばあちゃんの家からの帰り道、僕とお母さんは顔を見合わせながら話す。

 お父さんは「へえー」と運転しながら頷いていたが、結局考えても答えはわからず、演出のために市が用意したのではないかという浪漫のない結論に落ち着いた。

「そうそう、昨日夢でジジの鳴く声が聞こえたの」
「けっこう遅くなっちゃったね」
 時計をみると21時を過ぎていた。

「管理人さん起きているかな?」
「あまり遅いと失礼になるな」
「事前に22時くらいとお願いしているから大丈夫でしょ」

 待っているだろうから今日中に連れ帰ってあげたいというのがお母さんの主張。
 それには僕も同意だった。意外とジジは寂しがり屋なのだ。

「着いたよ」
 声を掛けられ、目が覚める。
 いつの間にか寝てしまっていたらしい。

 家の近くの駐車場。
 荷物を取り出し、お父さんと僕は自宅へ。
 お母さんは管理人さんの元へ。

 家の電気をつけ、リビングに荷物を置く。
 僕は鞄から馬肉を取り出しジジのお皿に添えた。
 水を取り換え、お母さんとジジの帰りを待つ。

 しばらくして、カチャりとドアが開いた。
 違和感。お母さん?

「ユウ、こっち来て」
 お母さんは僕を抱き寄せ、「落ち着いて聞いてね」と声を殺す。

「ジジが、事故にあったの」
 お母さんの身体が震えている。

「向かいの大通で、今日の夜……」
 言葉に詰まる。
 嫌だ、それ以上聞きたくない。

「……死んじゃったの」
 最後は声にならなかった。

 お父さんが奥から駆け寄ってくる。

「管理人さんのところにいるから、ユウも来て」

 五感が途絶え、周りが真っ暗になる。
 僕は震えるお母さんの手を強く握り返すことしかできなかった。


肆(後半)

 僕はお父さんと一緒に扉の前で待っていた。

「来ていいよ」
 しばらくして管理人さんの部屋からお母さんが呼び掛ける。
 既に顔は涙でくしゃくしゃになっていた。

 タオルが敷き詰められた籠。
 袋詰めの氷に囲まれ、ジジは横たわっていた。

 僕はジジの身体を撫でる。
 ふさふさだった毛並みは硬直している。

「強く動かさないでね」
 お母さんが注意する。

 きっと事故の外傷を隠してくれていたのだろう。
 僕もこれ以上、ジジの痛ましい姿を見ることはできなかった。

 それから数日の間、火葬場の予約が取れるまで、ジジは家にいた。

 籠はタオルで包まれ、中は見えない。
 定期的にお母さんが氷を入れ替えていた。

 事故を起こした人は見つからなかった。
 管理人さんが悲鳴に気付き駆けつけたときには既に誰もいなかったらしい。

 見つからない方がよいと思った。
 会ってどうすればいいんだろう。
 怒る気にもなれないし、謝ってもほしくない。
 その人がどんな人かなんて知りたくない。

 丁寧に対応してくれた管理人さんには頭が下がる。
 もし管理人さんが気付いてくれなかったら、よりひどい状態になっていただろう。

 火葬の日は穏やかな天気だった。
 夏の空は相変わらず真っ青で、入道雲がそびえ立っている。
 
 僕はお母さんと二人でジジをお寺に運ぶ。
 お父さんは仕事に戻らねばならず、別れ際に「お母さんを頼んだよ」と託された。

 火葬の間、僕とお母さんは一言も会話をしなかった。
 窓の外からセミの鳴き声が聞こえる。
 僕は得意気にセミを捕まえていたジジの姿を思い出していた。

 やがて係の人に案内される。
 ジジの身体に比べ、とてもわずかになってしまった真っ白な骨。

 僕は一つ一つの欠片を機械的に壺に収めていった。

 帰り道、家の近くの公園に立ち寄った。

 ひんやりとした森林道。
 一歩一歩、土を踏む感触が足に伝わる。

 僕は骨壺を両手で抱えながら、お母さんと道なりに歩いていた。
 まるで時間が止まってしまったようだった。

 いつも明るいお母さんも、ここ数日は笑顔が一切途絶えていた。

 何か元気づけることでも言えないだろうか。
 そう思ったが言葉にすることができなかった。

 家に着き、陽射しのあたる場所に骨壺を置く。

 ジジが好きだったご飯とお水を供える。
 僕は育てていた朝顔を摘み、用意していたお花と一緒に添えた。

「ねえ、ユウ。悪いんだけど、お線香を買ってきてくれる?」
 お母さんに頼まれ、僕は近くのスーパーでお線香を買ってくる。

 家に戻ると、お母さんはジジの骨壺を抱え、泣き崩れていた。
 僕は部屋に入らずに、その場に買い物袋を置き、外に出ることにした。

 大切な人がいなくなってしまうというのはどういうことか。
 僕はまだ実感を得られていなかった。

 それでもお母さんをみて、これはとても悲しいことなのだと感じていた。





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