大雪の日

その日は自分の住んでいる地域では珍しく、積もる程の大雪になった。

夕飯後に祖父がよく観ていた天気予報の番組で、数日後は大雪になると知った私は、その日が来るのを心待ちにしていた。
当時の私は雪など降らない、数年に一度降っても昼になれば道路の端に少し残っている程度の降雪しか経験したことがなかったので、大雪の予報を聞いた時はとても興奮して、近くで一緒に天気予報を観ていた祖父に何度も何度も大雪の事を話して聞かせた。祖父は笑ってそうかそうか、と相槌を打ってくれていたが今思うと内心は畑や田んぼの心配をしていたに違いない。

雪は前日の夜半より降り出した。
心待ちにしていた私は、片手で数える程しか見たことの無い降雪を目の当たりにしていつになく興奮しており、珍しく深夜まで起きていたが常時興奮状態で持つはずもなく、いつの間にか疲れて寝てしまった。

翌朝、寝ぼけ眼で外に出てみると庭一面に雪が敷き詰められており、まだ尚大粒の雪がしんしんと降っていた。突如何を思ったのか積もっている雪に飛び込んだが私の家の庭には小石が散りばめられており、雪も緩衝材の役割を果たしてくれなかったので胸や膝を打つ羽目になった。幸いにも怪我などは無かったが寝間着もずぶ濡れになってしまったので、祖母が事前に用意してくれていた暖かいストーブで暖を取りつつ濡れた服を取り替えた。
朝ごはんを食べ終えた私は冬休みなのを良いことに、外に探検に出掛けることにした。祖母と祖父から受けたありがたい注意事項を右から左に受け流し、温かいほうじ茶が入った水筒をぶら下げて、私は銀世界へ意気揚々と出発した。

外は普段の景色より一変していた。
いつもの登下校で見慣れている通学路には自転車の轍が取り残されており、こんな大雪の日でも自転車で出掛ける人に同情と畏敬の念を込めて心の中で静かに敬礼した。
祖父が良く知り合い同士で行っているゲートボールのグラウンドにも当然ながら雪は積もっており、いつもはテニスボールより一回り大きなゲートボールの球を潜らせる、鉄で出来たゲートは雪で見えなくなっていた。
町内の寺の入口を護っている狛犬には重そうな雪が積もっていて、狛犬も大変だなと思いつつ「お疲れさまです。」と一応手を合わせておいた。

町内を一通り探検し尽くした私は、次に町内から少し離れたところにある神社に行くことにした。
その神社は町から出て更に600m程北に進んだところにある。私の家は町内でも最北に位置しており、窓から外の景色を眺めると夜以外はいつでも見ることが出来た。余談だが何故夜以外なのかと言うと、田舎なので外灯が整備されてない為だ。伊勢神宮や熱田神宮などの神宮を想像してもらったら理解しやすいかと思うが、社や境内の周りには樹木が育っておりその敷地が1つの森を形成している。なので夏休みなどで外で遊んでいるときは、よく涼みに行っていたのを憶えている。秋になると神社までの道路上にアキアカネがよく飛んでいるので、祖父が乗っている原付に乗せてもらい虫あみを空に向けて構えて走行するだけで簡単に数匹捕獲出来た。

町内を抜けると更に景色が一変した。町から神社まではほぼ一本道になっており、その左右には田んぼが広がっている。建築物も一戸二戸程度のものなので見晴らしが良いのが特徴だ。なので辺り一面に雪が積もっている景色を目の当たりにすると、自分が一人ぼっちで雪山に居るような孤独感が襲いかかってきて少し感傷的な気分になった。しかしそれに勝る好奇心には抗えず、私は歩を進めた。
町を出ると辺り一面銀世界の様相になっており、道と田んぼとの境界線が当たり前のように欠如していて進みづらい。しかし車のものと思しき轍が残されていたので、これ幸いと轍を頼りにして進んだ。
町から神社までちょうど半分くらいまで進んだところで頼りにしていた轍が途切れてしまっていた。理由は至極単純で、真っ直ぐ進むと袋小路の神社に辿り着いてしまうが、道の途中で枝分かれしている道を左折すると国道バイパスに繋がっているのだ。普段農作業でしか使われない道なので真っ直ぐ進む人は稀だろう。道標が無くなってしまいこのまま道を進むか迷ったが、道を開拓していく楽しさもあるのでこれはこれで良いと自分の中で結論が出た。出てしまったものは仕方ないと嘆息しつつそのまま注意深く進んでいく。

普段の倍程度の時間を掛けてようやく神社の入口まで辿り着いた。
辺りを見回してもやはり人っ子一人もいない。当たり前だ、ここに来るまでに足跡すら無かったのだから。季節も冬なので虫の音も聞こえない。雪に周りの音が吸音されているのではと錯覚するくらいの、耳が痛くなるような無音だった。
入口で少し休憩した私は、折角ここまで来たのだからとお参りしていくことにした。この神社にはたまに来てはいたがお参りするのは初めてだった。鳥居を潜り敷地内に入っていく。境内の中はこんな大雪の日でもまるで何かに護られているかのように全く雪は積もってはいなかった。よく成長した樹木が傘の役割をしているのであろう。こんな大雪の最中でもここまで雪が積もっていないところがあるなんて、と不可思議なものを見た気分になり、少し嬉しかった。
昔、伊勢神宮に祖父母と兄と4人で初詣に行った際、祖母から「境内の道は神様の通り道だから端っこを通らないといけないよ。」と言われたことを思い出した。当時はよくわかっていなかったし伊勢神宮は人がとても多く、端とか真ん中とか言っていられなかったので流してしまっていたが、この景色を見るともしかしたら本当にいるかも知れないと少しだけ考えてしまったので、祖母の忠告を守り、小石で境界線が張られた道の端をいそいそと進んでいった。
そのまま進んでいくと少し景色が広がった場所に出た。普段は無人だが境内には建物が二戸あり、片方がお守りなどを売っていそうな社、もう片方が神事を執り行う社だ。神事を執り行う社の方は目算50cm程の石を積み上げられた土台の上に鎮座している。土台の上には社と鳥居が存在しているがそれ以上に土台中央には空いたスペースがある。神事は社の中で執り行われることは知っていたので、ここに来る度に何に使用しているのか気になっていた。

ふと、視線のようなものを感じ入口の方に目を向けると木々の隙間から人が立っているようにも見えたが、視力が落ち始めていた私にははっきりとは分からなかった。丁度境内の中も見終えたところだったので一先ず入口の方へと戻ってみることにした。

入口まで戻ってみると特に変わった事もなく、神社の外の雪道にも1人分の足跡しか残されていなかったので少し安堵した。慣れない雪道をここまで約30分以上歩いて疲れてしまったためそろそろ帰ろうと考え、視線を家の方角に移す。普段なら見える位置だが未だに雪がしんしんと降っていて若干空気まで白んでいる現状ではぼんやりとしか確認出来なかった。いつもと違う事に少し嬉しくなりながら視線を戻そうとすると、自分が通ってきた道に大きな影が一つポツンと落ちていた。アレはなんだ?と考える。通ってきた時にはあんなものは無かった。自分が境内を散策している間にあそこに移動したのだろう。近くの小屋と比較すると軽自動車1台分程の大きな影だ。ならば、自動車だろう、と脳が勝手に判断する。自動車でなければ困るのだ。
私は普段好奇心は強いがビビリなのでリスクは冒さない。『君子は危うきに近寄らず』とは良く言ったもので詳細が解らないものには最初から近づかないと決めていた。この時もあの影は帰路と丁度かち合う場所に陣取っていたが、近づきたくはなかったので迂回路をと考えていた。しかし、寒い眠い疲れたの三重苦を背負っている状況で正常な判断も出来るはずもなく、己の信条を曲げてそのまま来た道を戻る事にした。一度決めてしまえば単純なもので、どうせ大したものではないと楽観視してしまうのが私の欠点なのだが本人は直す気が無いのでどうしようもない。
...少し脱線してしまったが、そういうわけで私は歩を進める事にしたのだ。

歩を進めていくとあの影の輪郭がはっきりしてくると、最初感じていた不安がみるみる安堵に変わっていった。
当初私が考えた通りあの影は軽自動車、その中でも町内の農家でよく使われているタイプの軽トラックだった。更に近づいてみると道の真ん中で停止している理由も分かった。滅多にない大雪で道と田んぼの境界が判別付かなくなったことによりタイヤが田んぼに落ちてしまっているのだ。勿論タイヤ自体もスタッドレスタイヤに交換しては無いのだろう。雪国でないここではスタッドレスタイヤを使っている人の方が珍しいはずだ。更に近づいてみると運転席に人が乗っていた。謎が解けて安堵した私は運転席に向かって話しかけた。中に乗っていたのは50~60代くらいの男性で、見たことが無かったが、軽トラの向きを考えると町内から来たと思われた。私が話しかけると車から降りてきて状況を説明してくれた。私の推測通り、雪で道が見えなくなり田んぼに脱輪してしまったのだという。
普段他人にはそこまで干渉しない私であったが勝手に疑ってしまった手前、少しバツが悪かったので持っていた携帯で警察に連絡する事を提案した。男性は最初は断っていたが携帯を持っていなかったのかもう少し押すと提案に承諾した。警察に連絡するのは初めてだったので少し緊張しながら、悴んだ手で「いち、いち、ぜろ」と番号を声に出しながら入力する。3桁の数字を入力し通話ボタンを押そうとした時、ふと、サイドミラーからの視線が気になった。自分の背後には男性が居るのでその視線だろう、と携帯から目を離さずに、刹那の間に考える。心臓の鼓動の音が大きくなる。先程境内で視線を感じた時の事を思い出す。そういえば、あの時感じた視線は境内の入口付近だった。つまり、”境内の外からの視線だったのではないか”。そう思った瞬間視界の端で、さっきまで雪の白と男性の影の黒で二色だったサイドミラーが黒一色に変わったのが分かった。
その瞬間目もくれず一目散に走り出した。後ろでは何か聞こえるがそんなことはお構いなしに携帯を握りしめたまま走り続ける。慣れない雪道で足が悲鳴を上げているが、止まっている暇はないと身体に鞭を打つ。曲がる際転びそうになったが、地面に手をつけ、軸にして曲がった気がする。家の玄関まで来たところで記憶が途切れてしまった。

気付いたら布団の中にいた。
隣の部屋からテレビの音が聞こえた。祖母がテレビでも見ながら得意の編み物をしているのだろう。そう思った瞬間居ても経ってもいられなくなり、急いで隣の部屋に行くと想像通り祖母がテレビを見ながら編み物をしていた。祖母を見た瞬間訪れた安心感で冷たい廊下に座り込んでしまった。
祖母は、おはよう。良く寝たね。と笑いながら言った。こちらもおはようと返したところで少し違和感を感じた。心配性な祖母の事だ、自分が外から帰ってすぐ気絶してしまったら起きた時質問攻めに合うはずだ、と。しかし、祖母はいつものままテレビを見ながら編み物を継続している。どういうことだ?と考えていると、祖母が続けて言った。

「昨日あれだけ雪を楽しみにしてたのに昼まで寝てるなんて。」

訳が分からなかった。今日は雪がみたいから朝早く起きたはずだ。祖母にも着替えと朝食を用意してもらっているのに何故そんな言葉が出てくる、と。時計に目をやると時刻は午前11時20分を過ぎたところだった。窓から外を見ると雪は積もっていたが降雪自体は止んでおり、道と田んぼの境界が分からなくなる程には積もってはいなかった。
少しパニックになり祖母を質問攻めにするが昼まで寝ていたの一点張りで、迷惑そうにしながらさっさと昼食の準備に行ってしまった。テレビを見ながらぼーっと考えてみるが思考が纏まらない。テレビの内容も頭に入って来ない。とりあえず携帯でも弄ろうと思い枕元に置いてあった携帯を拾い上げると、画面には「110」の入力画面が写っていた。その瞬間視線を感じ窓の外に目をやると、人1人分の黒い影が神社へ行く道の途中で立っているようだったが、瞬きの内に跡形もなく消え失せていた。
その後は昼食を作っている祖母の背中に引っ付き、一日中くっついて過ごしたことを憶えている。


雪の日はあの日のことを思いだす。
あれは何だったのか終ぞ分からなかったが、あれ以来大雪の日は外に出ず、家でじっと過ごしている。


もう二度と、あの黒い影に出会わないように。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?