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「人生ガチャ失敗したので全力でサボることにした」第1話

所謂普通の家庭環境を知らない。だからといって金持ちの家庭に生まれた訳でもなく、貧乏で学校にも行けない訳でもない。ただ、何の取り柄も無く努力しても報われることもなく、勉学や運動神経がずば抜けて良いということもなく。音楽は好きだけど音痴なのでカラオケに誘われるのが死ぬほど嫌で、断るのに無理やり歌わされるのもストレスで、そう、何と言うか、底辺と言う言葉が相応しいと思っていた。顔面偏差値だけはまあまあ良い方だと思うけど、恋愛経験が多いわけでもなく長続きしたことも無く未だに独身を貫いている。

親にも放ったらかしにされるどころか、親が病気になった知らせもこっちから連絡しない限りは何の情報も知らされる事は無い。勘当されてる訳では無いのにも関わらずだ。結婚しないのか等と急かされることも一切無いからそれだけが救いだ。

仕事は何処に行っても虐められ、ハブられたり悪口言われる日々で社会不適合何だと学生の時にバイトをした頃から感じていた。

私は敬語が苦手で、テーブルマナーとか作法、言葉遣いとかそういう類いの事が全く出来ない。派遣の単発バイトでレストランの調理補助をしていた頃の賄いで、フォークとナイフを渡されて右手でナイフを持ってハンバーグを切っていたら、向かいの席で食べていた同じバイトの子に左利きなの?と聞かれた時に初めてその間違いに気付かされたくらいだ。

うちの親は行儀が悪い。納豆を食べてる途中にお味噌汁で箸を洗うようにしてから次のおかずを食べていた。子供ながらに汚らしいとは思っていたがそれが当たり前のように思っていた時には真似していた。

親戚の結婚式に出てきたパンを手でちぎって食べるのではなく、がっつくように食べる姿もいたたまれなかった。父親、母親両方共にそうなのだ。

箸の使い方は、教わっていたがフォークとナイフを使うような家庭ではなく、キッチンにあったとしても殆ど使用する機会は無かった。

受験シーズンが来て、友達が塾に通い出すのが増えてきても放ったらかしで、私に関心を持っていないようだった。それが明確になったのは、成人式の当日が来ても何を言われることも無く、祝いの言葉もなく、振り袖を着させてすら貰えなかった。これが私一人だけならまだしも、姉の時は振り袖を着て化粧して写真館で撮影までしているのだ。これが私のトラウマになって成人式が毎年来る度に心がえぐられる思いをする事になるのだった。

私は親ガチャ失敗したせいで、どんなに勉学に励んでも親からの頭の悪い遺伝子のせいで、せっかく覚えた事を直ぐに忘れてしまう。だから期末試験ではそれなりに点数が取れても受験ではボロボロの点数で、覚えた事を全部忘れていて私立の学校に通う事になった。この覚えた事を直ぐに忘れてしまうせいで社会人になっても仕事の手順を直ぐに忘れてしまうのだ。メモに書こうとすると書いてる最中なのに上司がベラベラ喋ってメモすらまともに書けない。それどころか「話しをちゃんと聞け!」と怒鳴られる。理不尽極まりない。毎日毎日怒鳴られ続けて、ストレスで朝起きるのが怖くて会社に行けなくなり体調不良で休んでいたが次第に休む日数が増えて会社に行くのが怖くて辞める。その繰り返し。
段々とその期間も短くなり、転職を繰り返してもまた、パワハラや虐められて体調不良で仕事を辞めた。1年間続けるのも出来なくなって、3ヶ月、1ヶ月、1週間と働ける期間は短くなり、失業手当で休みながら転職を繰り返してた私は、傷病手当金も活用して精神科に受診した結果鬱病と診断された。

それから、通院し続けても改善せず障害者に認定された。本当だったらもっと早く通院すれば良かったのだが、転職を繰り返してる私には通うお金が無かった。いや、お金は老後資金に充てるために貯金していて使いたくなかったのもある。微々たるお金だけど貯金していて悪い事はない。

仕事をしていた事もあり、障害者年金も貰えた。が、それだけでは生活費には到底足りなかった。なのでバイトを週3程度でもやろうと決めた。だが、物覚えが苦手な私がバイトだとしても続けるのは難しく、ミスが多くて注意され、次第に私のミスじゃない事も私のせいにされてストレスが溜まり、結局バイトも続かなかった。

何をしても怒られて、否定され続けて人が怖くて声が出せなくなる事もしばしばあった。仕事も怖いし人も怖い。

何で、こんなに頑張ってるのに報われないんだろう。

もう、頑張りたくない。

止めよう。

そうだ、もう止めてしまおう。

通院している主治医に働けない。「もう仕事は無理だ!」と伝えて、貯金していたお金で生活費を賄ってその後は生活保護に移れるようにした。

仕事が出来ない私は、苦労して貯めた貯金を節約しながら生活費に充てた。

心身共に限界を超えても働き続けて、病院にも通わずお金を貯めることに執着していた私は何かがプッツリ切れたように今まで神経を研ぎ澄ませていたモノがほんの少しだけ和らいだ気がした。

「ああ、もう仕事しなくて良いんだ。怒鳴られ無くて良いんだ。虐められなくなるんだ。やっと休めるんだ。」

30歳過ぎた頃だった。

ずっと耐えてきた。

ボロアパートに住んで家賃を安く抑えて貯金に回していた。そのおかげもあり、生活保護になった時も引っ越ししないで済んだ。

三十年頑張ってきたから、三十年位は休みたい。やっと休める。

実家の私の部屋は物置部屋にされているので、実家に帰れない。まぁ、帰りたくないが。頼れる充ても無い。ブラック会社で働いて、サービス残業や休日出勤していた分も休みたい。転職しても虐めのターゲットにされていて人とは関わりたくない。そんな生活から解放される。もっと早く通院すれば良かった。

これからは、心と体を休ませよう。

ずっと無理させてきた自分を労ろう。

私、今まで無理させてごめんなさい。もう、何もしなくて良いんだよ。

ありがとう。私。



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