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ちらちら見ていた

「ねぇ!もう見た?今の。え?見てない?
なんで見てないのよぅ。見ててって言ったのに。
いま戻すからもう一回ちゃんと見て!
ね、火止めてこっち来て座ってってばっ。面白しろいから!」

私はだしの素を放り込んだだけの鍋の火を落とし、ケビンが泥棒をけむに巻く(ホーム・アローン)息子の選り抜きシーンを、ソファに座って観る。息子は隣で私が画面をしっかり見ているか横目で監視している。目が合うとムキっとした表情でテレビを指さす。自分じゃなくて画面を見ろと無言で指示されるのだ。

ハイここ!
〈ケビンが持っているぱんぱんに膨らんだビニール袋の底が割ける場面〉
〈マーブの顔に熱々のアイロンが落ちてくる場面〉
〈ケビンがカチコチに凍らせた階段をハリーが滑りまくる場面〉
最高でしょ?面白いでしょ?の圧がすごくて、ついそれに笑ってしまう。
私が笑ったことに息子は満足している様子だ。笑った意味が少し違うのは内緒なのだけれど。でもこの気持ちはよくわかる。

面白い!うける!最高!だから誰かに見せたい。
自分がこんな面白い思いをしたのだから、きっと他の人もそうに違いないとまっすぐ信じる気持ち。
面白かったり可愛いと思ったり。素敵だと思った事、美味しいと感じたものを、息子は誰かと共有したいという熱が強いのだと思う。
これから友達と会うとなると勇んで自分の好きな本や漫画、おもちゃをリュック詰め込む。きっとその子も好きなはずだから。

大好きな人が笑っている顔、喜んでいる顔を見るのが好きなんだろうね。
思い通りに友達が笑ってくれた時に見せる、まるで毛穴まで開いたような興奮の顔を知っている。残念ながら全く興味を持たれなかった時の、別にどうってことないと、彼なりに気持ちを立て直そうとする苦笑いを知っている。
これに似た経験が私にもある。
だから息子に共感を求められたときは、可能な限り立ち会って、感情を共有したいなと思う。ちょっと大げさなぐらいで。

***

私が働きだしてすぐの頃、母を連れて大阪までウェストサイドストーリーのミュージカルを観に行った事がある。母を連れ出すのはいつも容易くはいかないのだか、この時は計画を立ててなんとか連れ出した。その甲斐あって今でも私にとってはこの事はとても大切で楽しい思い出だ。
そして当時の私も息子と同じように観劇している間、隣に座る母の顔をチラチラ気にして見ていたのだった。

観劇に至るまでの話を少し。この数年前に遡るが、その日母と何気なく見ていたテレビでウェストサイドストーリーをやっていた。始まってすぐ空気を切ってゆくような情熱的なダンスと音楽に、私も一緒に連れて行かれたようになって夢中になっていた時、母がぼそっと「懐かしい…」と呟いたのだ。「昔、映画館で見たんよ。音楽がね、ええねんな。」とめずらしく漏らした。その場面はちょうどAmericaで、アニータが威勢よくドレスを蹴り上げながら手拍子し、ラテンのアクセントで力強く歌い上げるシーンだった。
調べると日本で映画が公開されたのは1961年の年末。その頃の母は今の私と変わらない二十歳すぎの年齢のはずだ。私はテレビを見つめる母の横顔を見ながら、娘だった頃の母を思い浮かべようとしてみた。でもその時はどうも上手くいかず、また彼らの物語の中に戻っていった。

そして数年後のある日。私は満員の通勤電車の中でもみくちゃにされながらある広告にくぎ付けになっていた。そこには本場ブロードウェイのチームが来日して大阪でウエストサイドストーリーを上演する事が告知されていたのだ。
……お母さんと見たい。
私は慎重に次の給料日までシュミレーションをして、母と自分のチケットを取った。一番安い席を、2枚。

母の性格を考えて公演日の直前まで内緒にしていた。ただ、その日は仕事は入れないで欲しいと言った時点で何かあるとバレていたとは思うけれど。自分のこと、それが娯楽となると渋られて面倒くさいから正直には言わなかった。でも一緒に見たいのだ。母の中にある音楽に、母の心が響く様を見れるかもしれない。

公演の前日に予定を告げると、思った通り母は渋った。そんなお金もったいないと言って、父に気をつかっているようだった。乗り気じゃない人の気持ちを上げるしんどさを味わうのは、前日ぐらいでちょうどよかったのだ。
着ていくものが無いだのなんだの言う母をせっついて、劇場に向かった。

舞台はもちろん最高だった。席が良くなかったけど劇場の奥までビリビリ届く生演奏の音楽と、ダンサーの圧倒的な熱量が心臓に響いて来る。私は途中から字幕を追うのをやめて、その代わり隣の母の様子を横目でさぐった。もうすぐAmericaなのだ。

来る…!観客の熱が一気に上がるのがわかる。

アニータが躍る。
紫色のドレスの裾を翻し足を思い切り蹴り上げる。拍のカウントに合わせてベルナルドを挑発し、故郷プエルトリコへの未練を切り捨て、ここアメリカでの生活を夢のように語る。リズミカルな丁々発止のやり取りに目が離せない。
母が頭を少し振ってリズムに乗っているのが伝わってきた。私はそっと母の手を握った。左の薬指にいつも箪笥の奥にしまったままにしていた金色の指輪をはめている。よそ行きの服がないと文句を言いながら、その指輪を今日はめてきた母の気持ちを思った。
握り返してきた力が思うより強い。絞るようにぎゅっと握られた私の指が母の指輪にあたって痛いのをじっと我慢する。

お母さん今嬉しい?
お母さん今何考えてるん?
昔見た映画の事?一緒に見た誰かとのこと?。
これまでにしてきた沢山の決断の事?
こうじゃない道を歩んでいたかもしれない自分の事?

音楽がクライマックスに向かっていく。
アニータが歌いあげる。
その声の力強さの中で、私達二人はずっと手を握り合っていた。
母が握る痛いほどの力強さが、口下手な母の想いの現れのような気がした。

それから終焉までずっと。何度もチラチラと盗み見た母の顔は、舞台の光に照らされてずっと柔らかく微笑んでいた。
「来てよかった?」と帰りの電車の中で母に聞いた。
「よかった。ありがとう」と母は言って笑った。
その笑みは私をそこからしばらくの間、安堵の気持ちにさせてくれた。

***

息子が私に一緒に見てほしいと思う気持ちが愛おしいのは、あれがあったからと思う。自分の大事な人が一緒に笑ってくれたら、それだけで幸せなのだ。

そういえば来年スピルバーグ監督のウェストサイドストーリーが観れるようだ。あの頃に比べて少しぼんやりしてしまった母と、一緒に映画館で見れたらいいなと思っている。手を繋いで。


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