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忘れないで、忘れていないこと

 ここ数日、友人に頼まれたとあるお手伝いをするために、自宅を離れて生活していた(車で15分もかからない隣町で過ごした)。一週間以上は帰らなかった。いや、でも、飼い猫が恋しくてたまらなくなりほぼ禁断症状が出たのでいてもたってもいられなくなり、着替えをとりに行く(という言い訳をつくり)ついでに会った。
 私が帰って来ると「おお、お前か」と言わんばかりの顔で寄ってきて、手や腕、体に擦り寄ってくれたのがたまらなく嬉しくて、その度に「よかったまだ仲良しだ」と思ったのだった。抱き上げ、吸って、すりすりして、「私を忘れられませんように」と願いながら可愛がった。嫌そうだったが逃げることもなくされるがままだった。バイバイ、と言うと慌てて駆け寄ってくるのが後ろ髪を引かれるもので、もうちょっとで泣くところだった。なんでやねんと自分に突っ込んだ。今生の別れでもあるまいに。だけど寂しかったのだ。無性に。

 そうしてお手伝いは今日で一旦終了して帰宅したのだけれど、実は昨日、体を使いすぎたのか、考えすぎたのか、はたまたその両方が原因で、熱を出した。
 このご時世柄のものではなかったので大丈夫なのだけど、風邪でもなんでもない、ただ体と頭を使いすぎたせいでの熱。子供みたいだなと思った。だけど、本当に久々に高熱を出した。
 
 熱が出ていることに気づくまでの私はなんだか追われているような、機関車に石炭をボンボン追加されて燃え上がっているようなエネルギーに満ちていて、急に今月末が締切の短歌研究新人賞に出そう、と思い(未発表短歌30首だよ、全然作ってない)、そのために土日をどう使うか、とか考えていたり、やたらと部屋の掃除がしたくなって動いていた。
 その原動力は怒りにも近いもので、(何やってんだ、もっとできるだろ私は)と思っていて、手伝いをしている時から自分のままならなさに苛立っていたことを引きずっていて、それがある拍子にプシュ、と穴が空いたように気が抜けて萎んでしまったのだった。その途端にぞわりと悪寒が背中にピッタリとくっついて離れなくなり、何枚着ても寒い、いや体痛い、とかなんとか言いながら、体に這うように広がる悪寒を感じながら布団にくるまって眠ろうとしたが、これはもしや発熱では?と思い体温計を使うと案の定だった。数字を見たらその気になってしまったので余計にキツかった。体は痛いし。痛んだ筋繊維が燃えて新しく修復されているってこういうことなんだろうか、と思うほど、特に肩こりからはじまる上半身の痛みがすごかったな。ほぐしようがなかった。ストレッチで伸ばすのが苦痛だと思ったのは初めてだった。

 熱は、今朝にはすっかり下がっていた。たった数時間の発熱で良かったと思ったのも束の間、再び寒空の下で雪に降られながらの手伝いだったのでまた熱がぶり返した。
 あれれ、この内側からくる寒さと痛みはもしや…と思う頃には遅かった。
 気を遣ってくれた友人の優しさに甘えて昼に帰らせてもらった。おかげで今はやや回復している。いや、体弱すぎるだろ。療養中に随分と体力が衰えた。ゆるい筋トレだけではどうしようもないこともあるらしい。

 今回のちょっとした外出で持ち出した本はたったの3冊だった。梨木さんの『水辺にて』と、香山さんの『ベルリンうわの空』(これは本当に良い漫画だと思う。優しい優しい、元気付けられる漫画だよ)、アンネフランクの『アンネの日記』だった。このハードブックが荷物の中で一番重い荷物だった。嵩張るので手で持って運んだ。その表紙のひんやり、つるりとした触り心地がなんともしっくりきたもので、なんだか宝物を運んでいる気分だった。
 でも実際に読んだのは各本数ページだけで、読むための余力すらなかった夜ばかりだった。アンネの心の強さと素直さに胸を打たれたりはした。
 何日かはタロット占いもさせてもらったのだけれど、それもまたとても集中することなので、余計にエネルギーを使い果たし、すぐに布団にすっこんでいた。毎晩飲む睡眠導入剤の効きが良かったのはいいことだった。

 そうして自分の限界値みたいなものを何度か突破した数日間だった。いい経験だったな。いや、また手伝いには行くのだけれど。もう熱はいいや。
 
 帰宅してすぐにしたのは猫を抱いたことだった。何よりも嬉しいことで、誰よりも会いたかった。

 飼い猫との目と目があって見つめ合う時間がとても好きだ。両手で包み込む小さな顔の中にビー玉のようにころんと丸い優しい緑と黄色の瞳と、陽に当たって細くなっている瞳孔。キラキラと艶めく黒い毛並み。日向ぼっこで温められた体。
 なんて可愛くて愛らしいのだろう!

 私はこの子が大好きだ、嫌われたくない、大事にしたい、という、ちょっと執着めいた感情をひっくるめて愛情だとしている。この子には私のことを忘れられたくないな、と思う気持ちごと覚えていたいし、猫にも伝わってほしいと思った。なんとなく伝わっているような気はするけれど。

 久々の自宅で、自室で、好きなことを思い出すようにキャンドルを灯したり、ギターに触ったり、本棚を整理したりした。家を出る前に買い替えたカーペットの柄の可愛さにもときめき、ああ、ただいま、と心で呟いたのだった。
好きなことと繋がることで自分を取り戻す、この神聖めいた時間は、はたから見たらたいしたことはない。だけど、私に取っては大切なことだと思った。

 明日は病院。聴力検査の日。明日は何が話題になるかな。
 時間があれば帰りにブックオフへ行こう。少しだけ。
 
 そうして帰ってきたら、もう使い果たしてしまったキャンドルを新しく作り直そう。もう熱は出ませんように。


 暖かな布団にくるまって本を読んで眠ろう。


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