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コーヒーゼリーの上にいたアイスが溶けたことを知っていながら話し続けて



  市内にあるファミレスで集まって文学談義をした昨夜。5時に会う約束だったのに軽く5時半ごろになってしまった。何事も10分前行動で生きてきたのですごく焦った。3時が4時になって、4時が5時になるという当たり前のことを完全に忘れていた。3秒くらいしか青にならない地獄のような信号機のエリアを抜け、残り6分で到着と書かれた液晶の永遠の6分を睨みつつ、渋滞をやっと抜けてたどり着いたココスの黄色い看板の眩しさに安堵しつつも目の奥がぎゅっとなった。こんなに眩しかったっけ。地元にはガストしかないのでココスの黄色さが異様に目にしみる。風景の下半分がブレーキランプの赤とライトの白で埋まって眩しい中、上半分の青黒い空に堂々と立っている黄色い看板がすごくいいアクセントだった。そのほかの看板なんて目じゃない明るさ。自負を持ってそこに立っているのが伝わった。(実際料理はどれも美味しい)いざ到着して遅刻したことを謝ったけれど友人たちは全く気にしてなかった。(初対面なのに!)優しい。でも自分が待つ側だったとしても確かに気にしないな。みんなそれぞれに生活があり予定があるものだから。こわばっていた肩の荷が降りた。こうやってわたしは自分ルールに縛られていくのだとわかった瞬間でもあった。

 

 リンダちゃんの友人たちと初めましての状態で会ったのだけれど、とても面白かった。それぞれの好きなことが違っていて、でも似通っている部分もあって、それらが会話によって徐々に混ざっていくのがよかった。定期的に集まろうねと言うことになって嬉しい。

 初対面の人と本を貸し合う話を事前にしていたので、何冊か持って行った。どんな感想を抱いてくれるのか楽しみ。そして、わたしに合うだろうなと思って持ってきてくれた本のほとんどがドンピシャだったし読みたい本ばかりだった。嬉しい。今月中に読み切っちゃう気しかない。


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 この他にも数冊持ってきてくれていたのだけれど、読みきれなかったら申し訳ないのでとりあえずこの6冊。山内マリコさんの『ここは退屈迎えに来て』も、ガルシアの『エレンディラ』もブックオフで探そうと思っていたものだ。頼んでもないのに持ってきてくれたのでわたしにとってはちょっとしたサプライズだった。早く読みたい。

 たった3時間程度だったけれど、いろんな刺激をもらった。そして、自分が今コンクリートに足を埋めたくらいの勢いでその場に立ち止まっているのだと改めて気づいた。成長していない。短歌を作りあったときに思ったより緊張していて何も作れなかった。でもそれがまた現実味があって自分の中でずがーんときた。しょうもなすぎて笑った。いい歌を作りたい、いいものを書きたい、いいものを撮りたい、みんなそう思って創っているのだと思う。好きだからこそ突き詰めたい場所があって、こだわりの先に小さな達成があって、それがずっと、永遠に続いてゆくものだのだろう。妥協したらそこで終わりなんだね。自分の好きを躊躇わずに大事にしていきたい。たとえ凡人以下でも。なんでも好きだと思う自分を大事にしたい。

【いつまでもそこで突っ立っていたかったらそれでいいんじゃないの。ぬるま湯って気持ちいいしね。そこが幸せならそれでいいんじゃないの。傷つくのが怖くて、自分を守りたいのであれば、そこでいいんじゃないの。】

 なんて言葉が、斜め上から見下ろすわたしから、帰宅して布団で寝転ぶわたしへ降ってきた。そうだねえ、そういう人生もありだよねえ、と思う。けれど、多分、ずっと悩み続けてしまうのだろう。何もやらなかった自分のことをずっと恨んでしまうのだろう。何者かになれないとしても、やりたいことを思い通りにできないからとやめてしまったとして、できなくていいけれど、やってからできなかったっていう方がまだいいよねえ。そこから別のことを考えるのがいい。

 あれこれ考えているうちに、この感情や考え方は歌を歌えなくなったころに似ていた。ぶっ倒れて入院して以降、聴力が衰えて、(だいぶん戻ってきたけれども)自分の声が音を捉えられていないことがつらくて、ああもう歌えない、と自分で自分の能力の拒絶をしてしまった時のことを思い出す。「歌えない」と決めつけると、ほんとうに歌えなくなってしまうというのに。そして、また歌ってみた時に上手く歌えないと、「だって色々あって聴力なくなって歌えなくなってしまったから仕方がない」というもっともらしい言い訳で自分を半端に慰める。歌えない悔しさを霧散させようとしてしまう。そして努力の際限を決め、極めようとしなくなる。よくないことだし、この呪いは長い。「できない」という自分自身への能力の否定はさまざまな障害を自分でこしらえてしまう。「できない」って、諦めるって、自分に見切りをつけることで、同時に、自分を嫌うことでもあるのね。今まで自分に対して何かと使ってきた言葉だった。もうあんまり言いたくないな。もし言うとすれば「虫を触りたくない」とか、そういうくらいがいい。だから、一度自分でかけた呪いを解くには自分でなんとかするしかない。計画性を持って病と向き合いながらもちゃんとやりたい。


 本が、言葉が、猫が、友人が、家族が、近くにいる日々に幸あれ。

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