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はずれた時のリアクションは予想しない



 昨日からぶわぶわした気持ちを引きずり、朝も昼も夜もずっとそんな調子で、空元気という言葉がぴったりであった。江國香織さんのエッセイをまたつまみ読みしたあとは2019年から2020年にかけて開催されたゴッホ展の画集を眺めて過ごした。

 いつまでもいつまでも消え去ってくれない黒々とした不快感と光が走って行くように現れる自分への罪悪感や嫌悪感にうんざりし、白湯にコーヒーにお茶に牛乳に水にお酒に、ありとあらゆる水分で流してはもらえないかと飲み干していたのだけど、ただトイレが近くなっただけで、それでも渇きと焦燥はずっと喉にへばりついていた。

 午後はタロット占いを頼まれたので何件か占う。いい練習になった。言霊を扱っているような気がしてきた。呪いにならないようにしたい。占いを軽々しく都合のいいところだけ信じるのはいいと思う。非科学的なことに対して関心があるし受け入れていることもあるので、タロット占いは自分に合っているような気がする。明日は何色の服着ようかな、とか、どこ行こうかな、今の状態は?とかそんなんでも占う。人を占うときの、相手のことを考える時間は結構好きだ。自分を占うときの自分を考える時間も。当たりますうように!とか、いい結果よ出てこいや、などとは思わない、ひたすらにその人のすべてを感じようとしている。素人なりに。上手い言葉が見つからないのだけど、とにかく、「流れ」を見つけることができればいいと思う。


 その後も疲れが取れずに画集を開く。時々泣きそうになる。

 マテイス・マリスの「デ・オールスプロング(水源)」オーステルベークの森の風景を眺めていたら、たちまち湿った土の匂いと流れる水の冷たさ、日差しが木々で隔たれた薄暗い光のなかの冷ややかな空気が漂ってきそうだった。

 見開きに大きく印刷されたページでは、思わず顔を埋めてしまった。ゆっくりと細い糸を引っ張るように息を吸ってみたけど、紙の匂いしかしなかった。でも確かにマリスの目の前にあったのだとわかる。写真よりもはるかに、現実的に感じられるのだった。

  ゴッホの絵は段階を踏んでどんどん上達し、個性を掴んでいく。アルル時代から療養時代の画風には目を見張るものがある。テオらに宛てた手紙の抜粋を読みながら、彼はどんなふうに考えてこの絵を描いていたのかを想像する。土や苔、暗闇の色、貧しい人々の農作業風景、疲れ果てた人、厚く重ねられた絵具、男性的な縁取り。風景画。ポピーの赤。麦畑の黄色。ぼさぼさ頭の娘の大きなオレンジ色の頭。全てに意図があり、熱があり、触れてみたくなり、匂いを嗅ぎたくなり、動き出しそうになり。そうして、胸の奥が静かに震える。やっぱり泣きそうになるのだった。


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 平面の、ただの、印刷されている絵なのに、触れれば絵具の凹凸を感じられるような気がする。花はそこで揺れている気がする。草の密集したところに足を入れることは可能だろうかと考える。彼が切り取った瞬間の全てが、分厚い絵具に宿っている。きっと。私はそう思う。

 絵画のために、命の青い炎を燃やしながら生きた彼の自画像を見るたびに、ハグしたくなる。なぜ。憐んでいるのではない。なんというか、無性にそうしたい。でもできないんだけれど。想像の中ではもう何回もそうしている。勝手に。


 明日は聴力検査のための病院。雑談の多い日になる。きっと。

 心が乱れている理由の大部分は季節のせいだとしておく。

 ただ、苦手なこと、どうしても無理なこととは距離をとることや無理なものは無理だと「はっきり」思うことは必要なのだと思った。不快な感情や気持ちの乱れ、相手の思惑らを受け入れて流すだけの心の広さや勢いはまだ備わっていない。本当は、受け入れて流せるだけの勢いを持てるようになるのが理想ではあるけど。いつまでたってもできない気がする。できなくていいから、わかることはわかっていいから、うまく扱えるようになりたい。自分を。

 助ける支える共有する、ではなかったのだろう。あくまでゴシップの一つとして扱われていたように感じた。その反面、人のことよりも我がふりを直そうとも思った。もうずっと前からそう思ってはいたのだけれど、同じことを繰り返していたのは私も同じなので、私も反省している。私は私のために時間を使う。私を大切にする、私と向き合う、治療する、近くにいる人とはできるだけ無理のない範囲で接する。それが今の私の普通なのだ。はじめから。人の感情をもろに受け、あてられることだって、防御もできなければ、わかって流すこともできず受け入れてばかりで、全くコントロールできないのだから。練習中なのだから。

 あなたはあなたのことを心配し、あなた自身を大事にして欲しいし、弱さと向き合うべきは自分自身とのたたかいだ。治してくれるのは医者で、その治療を受けるのは自分の心だ。大事な人たちとは、あなたのことだけを話し合えばいい。たったそれだけのこと。だってそれが必要なことだもの。いちばん。私もそうだもの。


そう、そういえば、今日はこないだ買ったロト6の抽選発表日だった。はずれていたのだけれど、はずれてよかった、と思った。当たっていたらどうしよう〜と考えていたのに、はずれた時のリアクションはどうするかなんて想像してなかった。残念〜!とは言ってみたけれど、上辺の言葉とわかって発した。なんだか本当にはずれてて安心した。絶望する必要がなかったから。


 

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