5月の読了本とか
5月からとっくに梅雨が始まって、カエルの合唱コンクールがそこらじゅうで行われていたのに、今は梅雨明けたの?と言いたくなるくらいの晴天が続いてスッキリしている。布団も干したしたくさん洗濯もした。掃除が特に捗った。
夕方の風は適度に冷たくて気持ちが良く、軽快に網戸をすり抜けてきては部屋の中をきれいにしてくれている。ちょうど良い湿度とちょうど良い軽さ。気持ちの良い風とは清潔さを感じる風だ。
ところがさっき天気予報を確認したら、明日からは雨だった。
大人になってからは雨の音や雨の降る景色が好きになったので、特に残念がることもないのだが、生活をする上でどうしても対峙して対抗しなければならないことが出てくるので「明日から雨だな」ということを考えると頭が重くなる。コインランドリー行かなきゃな、本が湿気るから窓は開けられないな、風の通りが悪くなっちゃうな、などなど。
自然が喜んでいるのがわかるので私も喜ばしいとは思うんだけど、人間として生きて生活する以上は、雨が疎ましく思ってしまう部分もあるよね。それは晴れてても一緒か。何事も好きだと思いつつも嫌な部分がどうしてもあって、それらの折り合いつけながら、なるべく「好き」を失くさないように生きてるんだろうね。…って急に話が広がりすぎた。
読者の中にも雨を好きだと思いつつ人としての役割や仕事のために嫌んなっちゃったりしながら、一日を全うするのでしょう。雨音聴きながらの読書が多かった5月。みなさま何を読まれましたか。
前置きが長くなっちゃったので早速5月読んだ本をご紹介〜!
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・はじめての短歌 / 穂村弘
・リヴァーサイド / 飯田彩乃
・水のために咲く花 / 宮川聖子
・三日月少年漂流記 / 長野まゆみ
・Perch / 又吉直樹
・家守綺譚 / 梨木香歩
・冬虫夏草 / 梨木香歩
・春琴抄 / 谷崎潤一郎
・猫と庄造と二人のおんな / 谷崎潤一郎
・刺青・少年・秘密 / 谷崎潤一郎
・リボルバー / 原田マハ
・正欲 / 朝井リョウ
・滑走路 / 萩原慎一郎
合計13冊でした。
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5月は、新しい作家さんの小説を読む機会が多かったです。梨木香歩さんをはじめ、朝井リョウさん、谷崎潤一郎さん、長野まゆみさん。
どの作家さんも名前は知っているけど読んだことはない、もしくは一冊は読んだことがあるけれど他は全く読んだことがない、というような認知度でした。
たくさんの新しい出会いがあったわけですが、どの方の作品もそれぞれ本当に素敵で、私の読書アンテナの範囲がぐわっと広がった感じ。読みたい本が増える増える。(もう本棚の余裕は遠にないのに困った困った!)
特に心奪われた作品が梨木香歩さんの『家守綺譚』と『冬虫夏草』、そして朝井リョウさんの『正欲』、原田マハさんの『リボルバー』。
どれも本当によかったのです。語彙力なくなっちゃうんですよね、感極まると言葉失うよね本当にね。そんな小説たちでした。
『家守綺譚』と『冬虫夏草』を読んで、私も河童や小鬼に会いたいし、狸や狐にも化かされてみたいと思ったし、人魚もみたい、身近に存在している四季折々の草・花・鳥・獣たちとも触れ合いたいとも思った。生まれてからずっと田舎暮らしをしているのだから、ありのままにある自然物や見慣れた景色を、もっと愛でていける気がしました。
あと私は小さな頃から大型犬や鳥、猫、そのほか小動物など、生きてる間誰かしらの動物の存在が身近にあったのですが、(現在も猫🐈⬛がいます)この作品に出てくるゴローが可愛いししっかりしていて、何とも頼り甲斐のある犬なので、犬を飼いたいと思ってしまった。(秋田犬とかハスキーとか、とにかく大型犬が良いな。でもゴローがいい)
そして原田マハさんの『リボルバー』では、19世紀の偉大な画家であり私が特に好きなフィンセント・ゴッホと、そこに加わってゴーギャンも登場し、マハさんの絵画に対する愛情を全面に出しつつ、渾身のアート小説を再び描いてくれたことに感動しました。
また今回は、錆び切ったリボルバーを題材に、マハさんの解釈での「ゴッホの自殺」についてを、「これはもしかして事実なのか?」と錯覚してしまうくらいの細かい心理描写で、「ゴッホの自殺にはゴーギャンが関わっている」という説を展開してくれていたのですが、もうね、いや、辛い、辛いし、事実はそうであってほしくないような、でもそうだとしても理解はできるような…。彼らのリアルな人間像が浮き彫りになったので、どっちの気持ちもわかる、ああ苦しいな…この青い炎が燃え上がっているような業からは逃れられなかったのだろうな、逃れたくもなかっただろうな、という思いに駆られていました。
読み終わる頃には、どれだけ苦しくとも彼らには描くことが全てであり、「彼らの才能に時代が追いつけなかった」過去があり、現在があることを改めて知ったのでした。
世界中で愛され続けているのだという運命すら、価値は後からやってきた結果であり、彼らはただ描き続けることが幸せでもあり不幸でもあったのだろうと思うのです。そこがまた、ほの暗い光だが魅かれずには止まない部分であり、尊敬してもし足りない部分でもあります。
今作を読んだおかげで、すでに手元にある前作の『たゆたえども沈まず』を再読しようと思っているし、画集や、みすず書房の『ファン・ゴッホの手紙』もより愛おしく感じて抱きしめてしまった。このご時世なので美術館に行くこともできませんが、こうして小説や画集で今は亡き彼らの絵画への情熱や彼らの生きた時代に想いを馳せることができる。今はこれで、存分に楽しみたいと思います。
そして朝井リョウさんの『正欲』ですが、この作品読んだ人って、どれだけ心を抉られたのでしょうね。私ももちろん抉られたのですが、そこに加えて、人生の答え合わせをしていました。というのも、物語に出てくるいろんな胸糞悪いような、気持ち悪いような、でも、なんかわかるような、心当たりのあるシーンがたくさん出ていたのです。
私が誰かに対して感じたこと考えたこと、物事の捉え方から始まって、他者から一方的にぶつけられた言葉、職場環境、家庭環境、とにかく人間関係、いろんなところに当たり前にあるそういったモヤっとするシーン、心がどす黒くなるシーン、ちっとも穏やかになれなかったシーン、などなど、
こんなにいっぱい身に覚えがあって良いんかい、私。
ということがたくさんあったのです。でもなんというか、自分も悪者になるし、誰かも誰かの悪者になるし、だけどその逆もあって、みんなそうやっていろんなことを都合よく、隠したり出したり、理解したりしなかったり嘘ついたりつかなかったりしながら生きてるし、、そういう社会になってるんだな〜、って。複雑すぎる、な、(でも人間が生きるのだから仕方のないことか)と思ったのでした。いや、複雑だからこそみんな生きてるんだよね、私は私に対して生きづらい人間だなあ、と思っているので、この本を読んでもちろん慰められることもあったのです。いろんな感情が感情を生んでご邪魔ぜになりながら、大きな川の流れにみんな乗っているとしてもね、本の帯には、
『あってはならない感情なんて、この世にはない。それはつまり、いてはいけない人間なんて、この世にいないということだ』
という言葉が書かれているので、最終的にここに落ち着くことができました。『いてはいけない人間なんて、この世にはいない』という言葉。大きな、強い言葉ではあるけど、優しさも、希望も内包しているなあと気づいて、慰められたのでした。
“多様性”という言葉がそこらかしこで飛び交うようになったな、と思った頃に、「“多様性”って、すごくアバウトな言葉に聞こえるな」と思っていた自分と、「“多様性”の時代だからいろんなことを受け入れて理解していかなくちゃ」と思う自分もいて。導く側になるつもりはなくても、導く人の群れの中でいつの間にか私も歩いていたのか、と気付かされたセリフがあって、
『自分が想像できる“多様性”だけ礼賛して、秩序整えた気になって、そりゃ、気持ちいいよな』
『お前らが大好きな“多様性”って、使えばそれっぽくなる魔法の言葉じゃねえんだよ』
というもの。
自分が想像できる範囲での理解、そしてみんながわかるように薄くひろーく塗り広げられたそれっぽい魔法の言葉が、私たちの周りには当たり前にあって、むしろそれらで形成されていることばかりで、そんななか、生きていること自体を責め続けている人がいて、私たち無意識な『導く人』がその手を無理矢理、灯のさす方へと引っ張って行こうとしてしまっているのでは、と思うと鳥肌と吐き気がしたのでした。
でも、そんな人間になりたいわけじゃなかったのに、そんなつもりじゃなかったのに。みたいな。
この複雑さこそ人間らしさではあるのかもしれないが、私はそれなりに良い人間だと思っている人ほど、この小説を読んだら、思い切りよく突き抜かれてしまうのではないだろうか。
だけどそれで良いと思う。この小説を読む間、本と読者の間には他人は存在してないので、本を通して自分の心の奥底をずんずん潜って、抉って、傷ついたり慰められたりして、自分の中だけでわかっていけば良いと思うのです。
私はいつも、本と私の二人きりの対話をしているつもりが、結局対話しているのは私自身であると気付かされることも多いから。
この本の帯には、『読む前の自分には戻れない』ということも書かれてあって、読む前の私に一旦別れを告げてから読了しましたが、なるほど確かに、もう読む前の自分には戻れないと思いました。
そして、戻らなくてもいいし、戻れなくて良い、とも思いました。多くの方に読まれてほしい作品でした。
先月の私と今の私、読書に対する姿勢が変わった気がする。もっと吸収したいし、もっと創作にも活かしていきたい。療養中で引きこもりだけども、生きる意味を自分で掴まなければならんと思ったのでした。
○
本来ならば先月末に更新するはずだったのだけど、月末にかけてたくさん読んだので、読了後の気持ちが収まり切らず、今月に跨いでしまったのでした。
今月はどんな本を読もう。何を読み何を書きどうやって生きよう。
note読者さんは一体何を読まれたのでしょう。そしてまた何を読むのでしょう。
また月末。
青野
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