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白紙にしてしまったメモ


 その時、「ああそうか」と思ったことがあって、これはメモに残しておこうと、メモを開いた記憶はあったので後から確認してみると、白紙だった。まあそうだろう、書いた覚えはないのだから。だけどなんとなく、その時感じたことが自分の創作について核心をついていたような気がするし、それが、今の私に染み込んでいるような感覚はあるので、そのうち思い出す時が来るかもしれないし、思い出さないかもしれない。それが単価になったかもしれないし小説になったかもしれないのに、なぜ残さなかったのだろう。なんだか最近色々フワッとしすぎている気がする。冬だからか。寒さは身に染みるし、時間はあっという間に過ぎる。

 昨日、いい天気だったので朝のうちに掃除を済ませて気分のいいままに、通院日でもあったので車を走らせ、滞りなく診察とカウンセリングを終わらせた。
 カウンセリングの時間に担当医と話す時間が本当に心地よく、毎月楽しみにしている。通院日までにあった出来事から私が考えたこと、行動したこと、心に残っていること、悩んだことなどを時間の限り伝えている。そうして、専門的なところから私の感じたこと、行動したことがどういう心の変化から起こったことか、今私はどんな鎧を身につけているかを説明してくれて、なるほどそうか、確かに、と納得する。そうして私は私の生き方に肯定的になれていることを、客観的に認識できるのだった。
 今と三年前の君は大違いだねって言われて、初診の時はどうだったっけ、って聞いて、カルテを見てもらったら、ただ一言、めっちゃ泣いてる、って言われ、確かに、めっちゃ泣いてました、って思い出しながら笑って返事をした。なんであんなに苦しかったのだろう、今の私からすればもう乗り越えられたことだから、そんなに悩まなくってよかったことだったのに、あんなにボロボロになるまで悩んで苦しんで、大変だったなあ、乗り越えられる日が来るなんて思ってもいなかった〜、みたいな話しをした時には、あの頃の私がちゃんと過去になっていて、今の私が確実に強くなっていることに気づけたのだった。人間、なんとか、成長できるものらしい。絶望したあの頃があるから今の私がいる。強くなれてよかった。笑えるようになれてよかった。よかったからこそ、今、ちゃんと生きていたい。

 そうして時間いっぱいの談笑という名のカウンセリングに心が穏やかさと幸福に満ち満ちた後に、少しだけ買い物をして帰宅した。ユニクロでシックな服を買い、週末の小旅行in京都に想いを馳せた。着ていきたい服が見つかってよかった。彼の誕生日に合わせて有給休暇をとり、京都で寺社仏閣&本屋巡りをしようということになったのだ。果たしてそれがプレゼントになるのかわからないのだけれど、初めてそういった思い出を作るので楽しみにしている。彼もまたそういう気持ちであったら嬉しい。
 その間、工藤玲音さんの『虎のたましい人魚の涙』を読んだり、レンタルショップで借りてきたドラマDVDを見たりしながら夜ご飯のためのミートソースを作った。なんとなく頭の片隅に、冬にちなんだ本が読みたいきもちがよぎった。

 キッチンといいたいが、部屋が和室なので台所の方がしっくりくるそんな場所で、ひたすら玉ねぎやにんじんやピーマン、少しのセロリを微塵切りにして炒めた。
 文明の利器と言っても過言ではない、ダイソーに売っている微塵切り器ブンブンチョッパーで全ての野菜をブンブン微塵切りにした。これ、本当になんて楽ちんなのだろう。ずっとこれでいい。発明してくれた人ありがとう。一生拝んでいくわ、と思いながら存分に、まるでモーターエンジンを作動させるかのごとく勢いで紐を引っ張り刻み続けた。刻んだ野菜を炒め終わったらひき肉、調味料、ホールトマトを入れ、煮込み続けた。
 そうして無事に美味しく出来上がったミートソーススパゲティを、仕事から帰ってきた彼と一緒に食べた。なんとなく一昨日の夜から気まずかったのだけれど、ちゃんと仲直りができた夜でもあった。
 美味しいご飯は人を優しくする。和む。落ち着く。そして、やっぱり、誰かのために作るから美味しくできるのだと改めて思った。
  

 そんな夜を過ごして、今日の朝、朝日が昇る前に実家に帰ってきてから仕事に向かったのだけど、冬にちなんだ本とはなんだろうか、わからないと思いつつも、なんとなくこれのような気がすると『シェイクスピア&カンパニー書店の優しき日々』を手に取った。うん。なんかこれだな。『高慢と偏見』も鞄に入れて出勤した。休み時間に読み、嬉しくなった。読書が楽しい。もっと言葉をかき集めたい。

 このテンションで、今夜は短歌が作れたらいいなと思っている。夜はまだ長い。

 

 


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