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いつもとは違う明るさの朝



 雪が積もった。

 昨夜から大粒の雪が降ってきていて、おおこれは積もるぞ、絶対積もるぞ、と期待していたら、久々にその期待に応えてくれたらしく、みるみるうちに車に雪を積もらせてくれた。今すぐ出て行きたいのを我慢して、窓辺から腕を差し出し、腕に落ちてきた雪の大きさとなかなか溶けない嬉さと寒さをちゃんと確かめ、ウキウキしながらカーテンを閉めて眠った。

 朝になって寝ながらカーテンを開けると、いつもと違って白っぽく窓が光っていた。ああこれはもしかして、もしかするのか!と期待胸いっぱいに起き上がってみると、窓から見える景色が全て真っ白だった。窓がやけに光って見えたのは雪が日光を浴びて反射していたからだろう。雪のレフ板。ピカピカとしていた。

 去年は一度も積もらなかったので、まさか2月になって積もってくれるとは思っともいなかったのだけど、このまさか、という気持ちにどこか身に覚えがあったのでカメラロールを遡ってみると、見事、去年の2月の17日に雪が積もっていた。(雪がたくさん積もるたびに写真を撮っているのだった、子どもかよ)去年の方が積雪量は多かったらしく、馬鹿でかい雪だるまを作っていた。

 今年は雪だるまを作るまでは至らなかったが、休みだった家族とちょっとだけ雪合戦をした。サラサラとした雪は握ってもモロっと崩れるばかりであまり雪玉には向いておらず、これは雪玉にするよりも絶対かき氷になるべきの雪だったと思う。そういえば小さい頃は無邪気に雪を食べていた記憶があるけど、今はできない。これが大人になったということだろうか。

 ひとしきり遊んで指の感覚がなくなってきそうだったので部屋に戻り、暖かいココアをいれた。マグカップを持つとじんわり熱伝導が起こりはじめ、鈍っていた指先の感覚が戻り始めた。この時のジンジンした感覚が結構好きだ。

 雪が積もっただけで私の機嫌は良くなり、読めていなかった本が結構読めたのと、その勢いもあってかあれも読みたいこれも読みたいという感じで、いつの間にか読みたい本が積み上げられていた。

がっつり読みたいのは下の2冊。そのほかは場所やタイミングに合わせてちびちびと読んでいきたいと思っている。そしてしれっと痴人の愛を割り込ませた。そろそろ谷崎も読みたい。川端も読みたいけれどな…

 そして、短歌を作ろうとしていてもやっぱりできない!という悶々とした気持ちをどうにか解消すべく開かれたのは木下龍也さん著の『天才による凡人のための短歌教室』だった。
 

このサインめちゃくちゃかっこよくないですか。ほんまに。これみるたびにゾクっとする。ブワッと感情が溢れてくるっていうか。


 基礎基本をちゃんと理解することも大事だし、なんかもうごじゃまぜになっている不安が大体この一冊で解決してくれるのもいいし、あえて命令口調で書かれているのもまたいい刺激になる。私はもしかしたらMなのかもしれない。ちょっと厳しい言葉が書かれてもいるけれど、「はい、頑張ります」って素直に頷いちゃう。
 今の私に必要だったのは『一首を遊び倒すこと』と『投稿で負けまくれ』『たくさんつくれ』『なるべく書くな』だ。あと『群れるな』。

 一首をいろんな角度から見ることで新しい発見があったり深みを出すことができるのは、自分の短歌に対する軽さを解決できると思ったし、そういう遊び倒す気力が私には足りないと思った。だから視野が狭く、軽く読めちゃうのだと。

 投稿で負けまくるのは本当に必要だと思った。だから、100首、既発表未発表込みで出してもいいとしても、倍の数は必要だと思って作っているというか考えているし、そう考えたら未発表のものだってあればあるだけいいように思う。だから不安があるけれど、やるしかないな、という感じ。だからたくさん作れっていうのもその通りだ。たくさん作らないと自分らしさも何もないのだ。作ることでだんだん固まってくるものがあると思う。ということにも再確認した。読んだ時にもそうだそうだと理解したのになんで忘れちゃうんだか。。。
 そういえばついこないだから笹井宏之賞も募集が始まったので、それに向けても作っていきたい。(これは未発表50首)(鳥肌立つよね多すぎてね)

 意外なことに木下さんも1首の採用のために10首出していた人だった。初めから天才だったのではなく、静かに努力の人だったんだとわかってからは尊敬の気持ちがずっとある。そんな人に私もなりたいと思っている。足元にも及ばない今だけれど。

 また、最後には『群れるな』とある。これもしっくりきた。確かに、心を削ってくるのは他の歌人なのだ。自分の短歌の自信を喪失させるのも、他の歌人(の短歌)だ。でも私にはありがたいことに、夢を追っている歌人友達が数人いる。決して彼女たちを嫌っていることもないし、仲良くしたくないと思っていない。ちゃんとリスペクトをして、そして健全に、ライバルだと思っている。いい刺激をもらえる人だと思っている。そういう存在が必要だとも思うが、それ以上にたくさんとなると結構やられる。自分の稚拙さにやられる。だから、それなりの線引きは必要だな、と再確認した。でもこの木下さんのはっきりとした物言いがスカッとさせてくれる。ああ、強くならないとな、と諭してくれるのだった。

 群れるな。短歌そのものが人付き合いや話し合いで良くなることは決してない。友人との会話で得られるものはあるかもしれないが、真に創造的な作品は孤独から生まれる。歌人が目を向けるべきは他人の評価や顔色ではなく目の前の白紙だ。歌人が耳を傾けるべきは他人の自慢話ではなく自分の胸のうちだ。もう一度言う。群れるな。歌人として確固とした「個」というものを築いた者同士が集うのはいい。次のステージへ進むために、新たなものを生み出すために、そのような交わりは必要だ………けれど、歌人としての「個」を築く前にふにゃふにゃのまま群れてもただ傷つくし、無闇に相手を傷つけるだけだ。僕はそう思う。

『天才による凡人のための短歌教室』本文より抜粋


 あえて厳しいことを言います、という前置きがあったかなかったか、なんせ本当に正直な言葉で綴ってくれている。
 私はまだまだ凡人のままで、まだしばらくはここに詰まっているメッセージが胸に響き続けるだろうし、何度でも気持ちを奮い立たせるのだろう。頑張るしかないのだ。集中しよう。正直この本を読んだら読んだ人の数だけやる気に満ちるのではないだろうか。ということはその分だけ各歌人の短歌の精度が上がるのではないだろうか。それってやばいんでは?ここで立ち止まっている場合ではないのでは?ということで、心機一転頑張ろうと思います。今生きている間くらい、ちゃんとやろうよな。

 
夜はあっという間に更けてきました。短歌を作って、本を読みながら寝よう。


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