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深呼吸をするように、作るもの

やってなきゃ、こんな日常やってられない。

そんなことって何かしらある人が多いと思う。
食べること、料理すること、スポーツ、ゲーム、旅行、酒、煙草、性行為、ギャンブル、薬物、散歩、乗り物、音楽、踊り、読書、ファッション、タトゥー、ピアス
あとは、なんだろう。たくさんありすぎて書ききれないけれど。

私は、息が詰まっているように感じる時に何かを作ることが多いのかも、と最近思った。酒や性にすがってしまった時期もあったけれど、すがればすがるほどに苦しくなっていた。あの時、何か作っていれば良かったのになと思う。

小学生の頃は絵を描くのが好きで、漫画をよく書いていた。
『ヘンダーな家族』は家族もののギャグ漫画。ある日一発芸大会をすることになった家族。次々と面白いギャグが出る中、主人公のみいちゃんは1人スベってしまい、家族からグルグルパンチ(腕が螺旋状に伸びてパンチする)や、馬鹿野郎砲(目からビーム)を撃たれてみいちゃんも反撃するが、次の日には仲良しに戻ってる。という話。
『お腹に優しいオリゴくん』はリーゼント頭で一見不良だがめちゃめちゃ優しい高校生の4コマ漫画。エアコンからバケツ一杯分くらいの水が出てきたり、ラブレターだと思ったら板ガムだったりする話があったと思う。自分ではすごい面白いと思っていて雑誌にも応募したが箸にも棒にもザルにも糸ようじにも引っかからなかった。
どちらの内容も今読んだら何が面白いのか、というか何が起きているのかすらわからないと思うけれども、当時の私はインクとGペンとトーンを駆使して楽しくやっていた。

小学生のある時期は、ちょっと個性的なぬいぐるみ屋さんの教室に通っていた。一点一点違う顔つきやシルエットをしていて、売られているぬいぐるみを買おうとすると(お別れだね…)と切なそうな顔をする店員さん。その人が先生だった。
型紙は用意されているが全て手作業で(ぬいぐるみ教室とはそういうものかもしれないが)あとで詰めるわたが溢れないようにしっかりと縫い止めていく。目はよくある目の形のパーツではなく、小さいビーズを重ねるように縫い付けたり、刺繍で表情を作ったりした。
1回3時間位だったように思う。他に生徒もいないので静かに黙々と作っていた。
母が迎えに来ると「今日も青ちゃん凄かったですよ!休憩もしないで縫い続けてました。」と先生が言っていたのを覚えている。その頃から、針を持つと夢中になる兆しがあった。

時は経ち、大学生の頃。とにかく服を作っていた。パターンの勉強にファッションショー、展示に舞台衣装。今思えばもっとファッションショーはやれば良かったなと思うが、パターンを引くのが楽しくて、それをシーチングで立体にした段階で満足していた。徹夜続きも多く、BGMはハナレグミ。同じCDを何十周もした。今でもその曲を聞くと当時の感覚が戻ってくる。
特に思い出深いのは舞台衣装を手掛けたこと。人の身体の形のバリエーションに驚いた。辛いことやしんどいことも多かったけれど、本番では聴覚は大好きな音楽、視覚は私のデザインした衣装と美しい照明でいっぱいになり、いつ思い出してもあの経験は私の人生に欠かせなかったなと思う。たまに連絡を取る演出家さん。ずっと大好きだし尊敬する方です。

社会人になってからはほとんどミシンを触らなくなってしまった。会社に認められることを重んじたからだ。
ダンサーの友達の衣装や友達の結婚式の衣装を作ったが、それ以来はあまり作らなくなり、作っても捨ててしまったりしている。今でも私のパソコンの中にはイラストレーターで作られたパターンが、形になることなく眠っている。

3年ほど前、社会人として頑張っていたが、上司からの過剰なパワーハラスメントである日ぽっきり心が折れてしまった。寝たきりになった私を起こしたのは、針と糸で絵を描くこと。刺繍だった。
「一日ひとつ、花の刺繍を作る。無理はしない。」自分に課したルールとなった。

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ただ家にあった帆布に夢中になって糸で描いた。
ブローチにするとか友達にあげるとか売るとか目的を考えても良かったのだけど、そうすると考えることが多くなる(布の材質は?布端の処理は?わたを入れてみるか?ピンの色は?形状は?)ので、やめておいた。ただ、自分の為に手を動かすことが必要だったこの時期。

こうやって思い返してみると、手で触れられるもの・形があるものを作ってきたんだなと感じる。

やってなきゃ、こんな日常やってられない。
今の私にとってそれは文章を書くことのように思う。大学時代から細々(年1回書くか書かないかくらいの細さ)と続けているが、その頃はもっと抽象的な内容だった(note遡るとあります)。文章は抽象的だが、私の中で起こっている出来事を吐露していた。
またそういったものも書きたいと思いつつ、今の私は考えが頭から破裂しそうで、そのまま出すことしかできない。息が詰まっているような気分の時に文章を書くと一回胸がすっと落ち着いて頭の中が整理される。

まるで深呼吸をしているような心地だ。
絵も漫画もぬいぐるみも服も刺繍も文章も、全て深呼吸とそっくりだなと今となっては思う。
「趣味」と一言で表すには物足りず、「生きがい」なんていうと大袈裟すぎる。
この「深呼吸」。あなたにとっては何ですか?

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