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技術の進歩は、思考の構造を根本的に変えてしまうのかもしれない
アントニオ・ガウディ(1852 - 1926)をご存じですよね?
こちらを見てきました。
※またまた会期終了間近、9/10までです(-_-;)
出掛けたのは平日でしたが、前日に事前予約チケットは取れず、
当日券を窓口で購入し、整理券をもらい入れました。
館内は、大変な混雑でした。
ガウディって、こんなにも人気があるのね。
私が、ガウディを初めて知ったのは、
私が建築学科の学生だった時です。
授業で先生が熱く語っていたのを覚えています。
今日は「ガウディ展」で感じたことを書いてみたいと思います。
2026年完成予定になった
未完と言われていたサグラダ・ファミリアは、2026年完成予定です。
この世界遺産は以前、完成までに300年くらいはかかると言われていた。ところが、現在では2026年の完成が見込まれており、1882年の着工から150年弱で完成することになる。この「工期半減」の裏には、3DプリンターやCNC(コンピューター数値制御)の石材加工機といった先端IT(情報技術)の活用がある。
※実際は「イエスの塔」が2026年に完成するけれど、全体の完成はまだらしいです。
感じた違和感
会場で、建設風景の映像が流れていました。
私は、とてつもない違和感を感じました。
「マリアの塔」の頂部を、組み立てている場面でした。
筒状に「成形された」ユニット(=大きな部品)をクレーンで吊りあげていました。
サグラダ・ファミリアのかつての工事は、
職人が現場で石を掘っていました。
そりゃそうよね。。
あんな高い場所で、職人が石を掘れるわけないしね。。
あんなに高い塔を、石で積み上げたら、崩壊しちゃうしね。。
しかし、何といえばいいのでしょう。
ギリシャの古代遺跡の一部に、ディズニーランドの建物が紛れているような、
強烈な違和感を感じたのです。
![](https://assets.st-note.com/img/1693921440346-BhGPAooX2e.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1693920294196-PznpkFO122.png?width=800)
自然界に直線は存在しない
ガウディの建築は、自然の造形にヒントを得た曲線で構成されています。
──自然界には直線は存在しない。
映像で見た、「部品」は「直線の組み合わせ」だと感じました。
「設計図」を起こし制作しようとすると、
曲線は数値化された直線の集合でつくられます。
職人が手で描く「有機的な曲線」と、
テクノロジーを駆使して設計図を起こし、
工場で成形された、あるいは3Dプリンターで作られた「部品」との違いです。
ガウディが目指したもの
そもそも、ガウディはこの建築に何を込めたのでしょう。
産業革命はグエルのような大富豪を生む一方、最悪の住環境と貧苦にあえぐ大量の貧困層を生み出した。ガウディ作品の多くが前者の建築であることは否定できない。しかし、その反対の作品が「貧しい人々の大聖堂」として知られるサグラダ・ファミリア聖堂である。
貧しい人々の団体による聖堂建設は不可能に近い夢
創設者の強靭な意思と忍耐がこれを可能にした。
着工する1882年までの8年間はまさに生みの苦しみであった。
人生の最期を捧げたガウディ
サグラダ・ファミリアが1914年の建設中断の危機に直面した際、
ガウディは他の仕事すべてから手を引き、聖堂に専念することを公言する。
建設中断決定を覆した時、ガウディは聖堂からの給与200ペセタを放棄した。この額は職人給与の倍にもならず、決して高給ではない。それを放棄するほど質素な生活で、いつも同じ衣服を着用したため、物乞いに間違えられることすらあった。
そして、このような最期を迎えます。
1926年6月7日、その日の仕事を終え、日課の夜のミサに参列するため教会に向かう途中、ガウディは大通り横断時に停留場の縁石につまずき路面電車にはねられた。
身動きせぬ老人がガウディとは誰一人気付かず、3台ものタクシーが病院への搬送を拒否。3日後に他界する。
「観光収入」が完成を可能にした
完成が困難といわれていた要因は、資金不足にもありました。
それを可能にしたのは、大幅な「観光収入」増でした。
苦しい財政状態を一変させたのが1990年代に始まる観光客の急増である。
![](https://assets.st-note.com/img/1693921832875-oCEg5Q0Adt.jpg?width=800)
「似て非なるもの」へ変わってしまう
人生の最期の全てを、「貧しい人々の大聖堂」の建設にささげたガウディ。
しかし、大幅な観光収入増が、大聖堂の完成を可能にした。
自然界の有機的な曲線の建築を目指したガウディ。
しかし、テクノロジーの進化が、大聖堂の完成を可能にした。
今ガウディが生きていたら、どう思うのでしょうね。
当初の石積み構造からCNC加工による石材、鉄筋コンクリートなど、様々な工法や材料が混然一体となっている。早期に完成した部分は、既に経年劣化もかなり進み、施工中の部分との色彩にかなりの差が出ている。
このように着工当初とは手法が変化した現在、もはやガウディの精神は失われてしまったのではないか、これでもガウディの建築といえるのかと疑問視する声もある。
テクノロジーが進化するとは、こういうことなのでしょうか。
「思考の構造」さえも、
すでに変わってしまっているのかもしれませんね。
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