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田舎の原風景はもう要らない?

「ぽつんと一軒家」見ていますか(笑)?
面白いですよね?

私の実家は青森県の津軽地方というところです。

「ぽつんと一軒家」を見ても、実家の周りを見ても、
東京より田舎の高齢者のほうが元気だなと感じます。

皆さんの「実家」はどこですか?
何年前まで住んでいましたか?

今日は地方の過疎化と、失われゆく「原風景」について
考えてみたいと思います。


進む過疎化


私は、高校卒業と同時に上京しました。
かれこれ40年近くも前に、田舎を離れたことになります。

以前、日本の人口減少について書きました。
特に地方の人口減少が激しいことに触れました。

実家のある町も、例外ではありません。

人口データを見てみました。
私が小学3年生だった1975年、約16300人
2020年、約7300人
45年間で55%減っています。

子供に関しては、一層深刻です。

私が小学生だったとき。
私の通う小学校は全校生徒350名ほどいました。
各学年、大体2クラスずつありました。
町の面積が広かったために、私の通う小学校は本校で、
他に3つの分校がありました。
分校には各校1学年3~6名くらいいたと思います。

今は、3つの分校が吸収されたにも関わらず、
全部で70名ほどしかいません。
80%以上減っています。

ちなみに2学年合わせて16名以下になると、
複式学級(2学年合同学級)
になるようです。
いまのところ一学年10名以上いるので、
複式学級は避けられているようです。


田舎の原風景


当時の町は、にぎわっていました。
銭湯が2軒
写真屋さんも2軒
旅館もありました。

魚屋さん
八百屋さん
呉服屋さん
たい焼きを売る駄菓子屋さん
ケーキを焼く匂いを漂わせる洋菓子屋さん
などもありました。

登下校時には、たくさんの子供が、
町を貫く一本道に列をなしていました。
学校から帰ると、近所の子供同士
広場で、ゴム飛びや缶蹴りをしたり。
お小遣いをもって駄菓子屋さんへ行ったりしました。

「子供会」という、学校とは別の活動がありました。
地域ごとに班が決まっていて、町全体で4~5班あったと思います。
ご近所同士、親も含めてのイベントなどがありました。
一年に一度行く日帰り旅行はとても楽しみでした。

ある夏休み、各地区の班対抗の野球大会がありました。
みんなで集まり打合せをする必要がありました。
場所がなく、我が家の一室を貸したことがありました。

20人ほども、汗臭い田舎の子供たちが集まりました。
そのあと、部屋から匂いが消えなかったことを憶えています(笑)。
汗と泥の混じった、ちょっと酸っぱいような
何とも言えない匂いが何日も何日も残っていました。

それが今ではどうでしょう。

銭湯も
写真屋さんも
旅館も

魚屋さんも
八百屋さんも
呉服屋さんも
たい焼きを売る駄菓子屋さんも
ケーキを焼く匂いを漂わせる洋菓子屋さんも
もうありません。

子供たちを町で見かけることもありません。
まるで町はゴーストタウンのようです。

お小遣いをもっていった駄菓子屋さん
親に頼まれたお使いで行った魚屋さん
お店とともに、そんな町の営みも無くなってしまったのです。


町のお祭り


夏、神社で「 神楽(かぐら)」と呼ばれるお祭りがありました。

狭い参道に露店が並びました。
母に浴衣を着せてもらい、友達と出かけました。
履き慣れない下駄で足が痛くなりました。
家に帰って脱ぐと、フローリングの床が
ふにゃふにゃに感じられたのを憶えています。

私が実家を離れた後、娘がまだ小さかった時
帰省して一度連れて行ったことがあります。
なので、「神楽」は20年前はありました。

しかし、今はもうありません。

風習は、受け継ぐためにやり続けるものなのではないでしょうか。
子供がいなくなり、受け継ぐ人がいないと、無くなっていく。

過疎化が進むと、町での営みがなくなり、それに伴う原風景は失われます。
ネット社会でさらなるフラット化が進み、地域性は失われます。
時代の流れです。

しかし、原風景はその人固有のもの。
その人を「かたち作るもの」というと大げさでしょうか?

失なわれていくものに、せめて気づきたいですね。

あなたの思い出す原風景は、どんな風景ですか?

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