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雑多なミュージアム巡りがいろいろなヒントをくれる。

ミュージアムの財政問題は頭を悩ますと次の記事にあります。今回は、これに関連することを書きましょう。

最近、前々から欲しいと思っていたミュージアムのパスを買いました。1年間、ロンバルディア州とヴァッレ・ダオスタ自治州にある230のミュージアムに何回でも行けます。科学から美術までそうとうなジャンルをカバーしており、ミラノでぼくが知っているミュージアムは全部行けます。

この制度があるのは知っていましたが、ろくに調べもせずに日本の物価感覚にすると3-4万円かなと想像していたのが、4-5千円であると知人を通じて知ったのです。

一回の入場料が千円から3千円の範囲のところが多いので、年間10数回もミュージアムに行かないからパスの料金を回収しないと計算していた自分が愚かでした。

これはお金の問題だけではなく、ものの見方や時間の使い方の効率化につながると想像していましたが、パスを入手して、このパスの威力を実感しています。

見たい作品、掘り下げたいテーマだけのために30分でもミュージアムに入るのに躊躇しなくなるのですね。

毎回お金を払うとすると、どうしても1-2時間は館内に留まることを優先し、その時間が十分にとれそうもないとミュージアムを前にしても「次に時間のある時に来よう」と判断してしまいがちです。パスは、この思考を逆転させてくれました。

例えば、次のような利用法が気楽にできます。

「ヨーロッパの中世からルネサンスにかけて犬って、どう描かれていだろう?」とふと疑問に思ったとき、「ちょっと、ブレラ美術館で見ておこう」となります。もちろん、仕事に関わることであれば「即見よう」となりますが、まったくの思い付きのような好奇心を満たすには優先順位が下がります。

Vincenzo Campi(1530/35 circa-1591)の1578-1581の絵画。
Gaudenzio Ferrari (1475 circa-1546) の1541-43の絵画。

あらゆるジャンルをコレクションしているパリのルーブル美術館と異なり、ブレラ美術館はイタリアの一部の作品しか展示していないので結論的なことは何も言えないですが、ちょっと覗いた限り「犬の登場は1400年以降かな?」「犬は子どもの近くにいることが多いなあ」程度のポイントは絞り込めました。

そして、特に見るつもりのなかったアンドレア・マンテーニャ『死せるキリスト』を目にして、「ああ、これだった!」と思い至ったことがありました。

アンドレア・マンテーニャ『死せるキリスト』

トリエンナーレ美術館で1960年から2000年に生まれたイタリアのアーティストの展覧会が開催されています。そこで、パンデミックが終わる2022年に描かれた次の作品を見ました。この作品をみた時、「見たことのある構図だけど、何だっけ?」と思ったのですが、そのままになっていたのです。

Andrea Fontanari(1996) "A dream to help me sleep" (2022)

これはマンテーニャの構図の逆をいっていたのですね(同時に、ソーシャルメディアにのせるセルフィの構図かもしれませんが)。こんな有名な構図がすぐ思い出せなかったぼくの素人ぶりですが、このような交差が作り出す相互作用がリアルに生じているとの体感がありました。 

別の1965年生まれの作家が以下のような歴史を強烈に思わせる作品を描いているのをみると、イタリアのアーティストに通じる歴史への感覚に興味がでてきます。

Nicola Verlato(1965) "Hostia"(2022)

同じトリエンナーレ美術館で展示しているイタリアデザイン史で特徴的なのは、従来、イタリアデザイン史のスタートは1940年代後半、第二次世界大戦後を起点とするのが多かったのですが、現在の展示は1930年代からはじまっています。

コンパッソ・ドーロという由緒あるデザイン賞は1950年代からはじまっており、その主宰がイタリアでサイン協会ADIであるため、ADI美術館は1950年代のデザインから展示しています。

1955年のコンパッソドーロ受賞作品

しかし、前述のようにトリエンナーレ美術館では1930年代にあった合理主義的なデザインから見せているのですね。このあたりでもイタリアにある歴史への鋭敏さを感じます。合理主義的な傾向があったからこそ戦後の復興時のデザインの滑り出しが良かったのは確かです。

Lancia Florida(1955)

上の1955年のクルマの直線の使い方を眺めていたら、この直線から同じ頃に印象的な直線を使ったチェアがあったはずと思い出しました。それでコンパッソドーロ受賞作品を見て、フランコアルビーニの赤い椅子がそうであったと確認できました(2つ前の上の写真の右側にある赤い椅子)。

パスのおかげで、上に述べたような探索がとても気楽にできます。ちょっと早めにいつもの夕方の散策に出るだけでした。これまでだと、「もう夕方になったから、また別の日に行こう」と思っていたことが、その日のうちに出かける気になれるのです(だいたい午後8時閉館)。

日々の好奇心は規則通りにジャンルに分けて生じるわけではありません。モダンアートという区分けに自分を閉じ込めた生活を送っている人もいないでしょう。

だからジャンルを問わずにミュージアムをパス保有者に開放する意味はとてつもなく大きい。ものすごく大きな有形データを自分の手の内におさめたような感覚があります。わずか4-5千円でこんなにも世界の見方が変わることに、ひたすら驚きます。

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最後に、ちょっと強引ながら2月28日のオンラインイベント告知を貼っておきます。テーマは仏料理史と伊料理史を説明しながら新旧ラグジュアリーの比較に至るのですが、上述したようなジャンルを超えたことがらをつなぎわせていく面白さが味わえるはずです。

尚、冒頭の写真の絵画はトリエンナーレ美術館の展覧会にあったPeirpaolo Curti(1972) "La stazione" (2023)です。

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