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国際文化交流を考えるー『国境を越えるためのブックガイド50』を読む。

「あれだけ文化交流を深めたのに、衝突は避けられなかった」、「あれだけ文化交流を深めていたために、衝突があっても、心もとないながらも絆は保てた」。

世界では、この2つの表現が闊歩している。これらをどう解釈すると良いのか?という問いが常にある。


ぼくが様々な経験を積んだうえで国際文化交流の必要性を痛感し、異文化理解の仕方についての本『ヨーロッパの目 日本の目』を上梓したのは2008年だった。

ヨーロッパの文化については、明治以降、多くの学術的な書や生活経験談の本があるが、ビジネスパーソンがどうヨーロッパ文化を理解すると良いかの本がない。しかし、カーナビのユーザーインターフェースをデザインするにあたり、異文化理解の欠如は生命を危険に晒すー欧州人の地理把握を知らないと使いづらい地図を提示することになる。そう、気づいたからだ。

その後、『「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか?』では異文化市場への商品・事業戦略としてのローカリゼーションについて書いた。ぼくの場合、常にビジネスと異文化理解がセットになっていた。この路線は昨年出した『新・ラグジュアリー 文化が生み出す経済 10の講義』に至るまで、維持している ーラグジュアリーの定義や認知は文化圏によって異なる。

書籍にもなった、2015年、ほぼ日で連載した『イタリアで、福島は』も同じだ。福島の食品に関する風評被害をテーマにしたカンフェランスをミラノで行ったとき、イタリア人の異文化理解の「程度」が関係者へのインタビューから見えてくる。

このような経緯がありながら、外務省をバックにして1972年に生まれた国際交流基金という存在を、常に「向こう側」として意識していた。

外交、政治、学術、伝統文化あるいは大衆文化は、ぼくにとって「向こう側」なのだ。現在、日本のセラミック作品を欧州のアート文脈にのせるべく動いていたり、デザイン(『デザインの次に来るもの』)や意味のイノベーション(『突破するデザイン』)の啓蒙活動をしていても、国際交流基金がどうも「こっち側」ではないと思っていた。実際、デザイン文化の考え方の日欧差異を論じていても、である。

今週、『国境を越えるためのブックガイド50』(目次は一番下)という本を手にした。国際交流基金の職員やOB/OGが自ら選んだ一冊の本を通じて国際交流について語っている。パンデミックに入り、誰もが動きがとりづらくなった時に執筆されたブックレビューである。

本書を読んで、国際交流基金を「向こう側」と思い込んでいた、ぼく自身の先入観のありかを考え始めた。なぜなら、そこに働く人たちは、ちっとも「向こう側」ではなかったのだ。

全ての職員には当てはまらないだろうが、少なくても、このレビューを書いている人たちは、就職前の異文化体験が契機となり(「後に思い起こせば」というケースもある)、就職先の一つとして国際交流基金を選び、文化交流を本業とすることになる。そして、何年間かの駐在勤務をしている。

彼ら・彼女らの人生の歩みや私的な生活空間のなかである本に出逢い、それが本業のテーマと直接的に絡む。要は、本業で自分の気になる著者と実際に会い、なんらかのイベントを企画実施するとの確率が低くない。

出版の編集者の場合、狙った作家の本を作ることが願望になるが、国際交流基金の職員は、講演やネットワーク形成の一員として著者にアプローチする。もちろん、逆に本業で付き合った人の著書が後になって愛すべき書になることもある。

そして、本との遭遇は、国際交流基金のオフィスの書棚ではなく、街を散歩している時にたまたま入った書店の棚であったりする。それが、職員の生活の一部になり、職務を通じながら人生の欠かせない書に格上げされていく。「格上げ」との言葉が相応しくなければ、「統合されていく」。

これまで、30年以上の年月をイタリアで過ごし、他人が書くそれなりの数の海外生活経験談の本を読んできた。長く外国に生活するメリットのひとつは、他人の異文化理解を判断する指標が持てることだと考えている。「この人は、このあたりまでの経験でものを書いている」と想像がつきやすくなるのだ。

だが、国際交流基金の職員のブックレビューを読んで思ったのは、海外生活の年数でも経験の種類の数ではない、別の質の国際経験をこの人たちはもっている、ということだ。

民間企業の駐在員とはまったく違う、「文化交流」に特化するがゆえに到達する場があるのだ。学者が外国の大学で客員教授という立場で得る見識とも異なるだろう。何よりもよくある、元大使が書く本とも明らかに差があるのだ。

極めて特殊だ。

パンデミックでやや目線がフラットになったであろう点を差し引いても、親近感を抱きやすい国際交流で求められる目線が多角的に紹介されている。

衝突があっても残る絆の存在を知るコツがわかるのだ。

参考までに目次を掲載しておく。

[目次]
第Ⅰ章 文化交流の現場で、他者と出会う
1 「小さな民」の世界へ 下山雅也
  村井吉敬『インドネシア・スンダ世界に暮らす』
2 ハルキのむこうに「日本」が見える 本田修
  国際交流基金企画『世界は村上春樹をどう読むか』
3 自分だけの真実 原秀樹
  ミア・カンキマキ『清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』
4 灯台下暗し 吉岡憲彦
  藤子・F・不二雄『ドラえもん』
5 本が国境を越えるまで 野崎浩司
  辛島デイヴィッド『文芸ピープル』
6 インドで日本をにじませて 夫津木美佐子
  黒柳徹子『窓ぎわのトットちゃん』
7 日本文化を相対的に考えてみること 田村彩
  加藤周一『日本文化における時間と空間』
8 越境者たちの交叉 山田慶太
  エレン・リー『アフリカン・ロッカーズ』
9 個と個がつなぐ可能性のネットワーク 阿部夏実
  清水展ほか編『職場・学校で活かす現場グラフィー』
10 できるだけあわせて、逆らわない 松岡裕佑
  ジル・クレマン『動いている庭』
11 インドを知る、深く知る 田中洋二郎
  ウルワシ・ブターリア『沈黙の向こう側』
12 日系人が教えてくれたこと 瀧田あゆみ
  ジェイミー・フォード『あの日、パナマホテルで』
13 四十年前の「基礎研究」の有難味 久保田淳一
  辻村明ほか編『世界は日本をどう見ているか』
14 終わらない物語を読もう 野崎浩司
  ハーマン・メルヴィル『白鯨』
15 その灯火は消えたのか 玄田悠大
  与那原恵『赤星鉄馬 消えた富豪』
16 まちの文脈を歩く 玄田悠大
  富永健一『近代化の理論』
17 ドライブ・マイ・カー 吉岡憲彦
  ウィニッチャクン『地図がつくったタイ』
18 異文化の中で生きていくこと 嶋根智章
  ヨシ笈田『俳優漂流』
19 「歌舞伎」から何が見えるか? 本田修
  河竹登志夫『舞台の奥の日本』
20 他者と出会うこと 嶋根智章
  平田オリザ『芸術立国論』
第Ⅱ章  歩きながら、私は何者かを考える
21 あなたにとって、友人とは誰か? 後藤愛
  デール・カーネギー『人を動かす』
22 一粒のガラスを集める 桑原輝
  シーダーオルアン『一粒のガラス』
23 村上春樹さんについて語るときに僕の語ること  小出哲也
  村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』
24 国境を越える美食 加藤華子
  東京ディープチャイナ研究会『攻略! 東京ディープチャイナ』
25 国や言語の差異を薄めるのは? 高口真法
  カズオ・イシグロ『Never Let Me Go』
26 人の心の中に平和の砦を築く 小出哲也
  サンテグジュペリ『星の王子さま』
27 白石顕二を追いかけて 井上遼
  白石顕二『アフリカ映画紀行』
28 『ONE PIECE』国際交流論 コイ・D・テツヤ
  尾田栄一郎『ONE PIECE』
29 国際交流は“問答有用”な人生から 土井克馬
  加藤典洋『考える人生相談』
30 隣国の文学の手ざわり 井上遼
  ハン・ガン『菜食主義者』
31 その国をどう理解するか——少しの好奇心の大切さ 島田靖也
  伴美喜子『マレーシア凛凛』 
32 歴史と記憶——負の歴史とどう向き合うか 島田靖也
  キャロル・グラック『戦争の記憶 コロンビア大学特別講義』 
33 越境する文化 木村英里菜
  和田誠・村上春樹『ポートレイト・イン・ジャズ』
34 Outsider Within 松田/胡英亮
  温又柔『真ん中の子どもたち』
第Ⅲ章 人と人がつながる。人間とは何か
35 現実をまなざすことの困難 井上遼
  四方田犬彦『見ることの塩』
36 揺らぐ境界線、「わたし」と出会い直す 阿部夏実
  松村圭一郎『はみだしの人類学』
37 相互理解という深淵へのまなざし 鈴木勉
  スーザン・ソンタグ『他者の苦痛へのまなざし』
38 戦争文学からのメッセージ 竹下潤
  L・ヴァン・デル・ポスト『影の獄にて』
39 「個人」と「国家」の狭間で 原秀樹
  ロジャー・パルバース『僕がアメリカ人をやめたワケ』
40 芸術の人をつなぐ力を信ぜよ 佐藤幸治
  アラ・グゼリミアン編『バレンボイム/サイード 音楽と社会』
41 文化交流は「国」を越えるか? 山本訓子
  西川長夫『国境の越え方』
42 原風景へのまなざし 玄田悠大
  オギュスタン・ベルク『日本の風景・西欧の景観』
43 「対話」を捉えなおす 久保田淳一
  斎藤環・水谷緑『やってみたくなるオープンダイアローグ』
44 自粛の時代を見通す 石井晋平
  ノーマ・フィールド『天皇の逝く国で』
45 知と学びをつなぐ——私の文化国際主義 金子聖仁
  入江昭『権力政治を超えて』
46 国際文化交流にとっての「文化」とは? 久保田淳一
  芝崎厚士『近代日本と国際文化交流』
47 さよなら「島国」ニッポン 原秀樹
  ドナルド・キーン『日本を寿ぐ』
48 「国境を越える」交流を考える仕事 関友哉
  加藤幹雄『文化交流は人に始まり、人に終わる』
49 人間とはなにか? 田中洋二郎
  ヴィクトール・フランクル『夜と霧』
50 「やさしい日本語」は国境を越えるか 林義燦
  庵功雄ほか編『「やさしい日本語」は何を目指すか』
終章 「国境を越える」意味を再考する 小川忠
あとがき

国境を越えるためのブックガイド50

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