伊仏の料理から新旧ラグジュアリーを考える場。
「ラグジュアリー」と呼ばれる、あるいは認知されることを多くの視点と長い時間からみることに意義があります。ラグジュアリーを一つの分野や歴史の断片で語ってもあまり意味がありません。その意図でForbes JAPANの連載も「ポストラグジュアリー 360度の風景」とのタイトルで書いてきました。
だが、料理をラグジュアリー文脈で正面から取り上げたことがありませんでした。ボローニャ大学の博士課程でイタリア料理史を研究する中小路葵さんから次のことを伺い、「これだ!」と思いました。
現在、日本ではフランス料理レストランよりもイタリア料理レストランの方が店舗数が多く、イタリア料理のカジュアルさを華やかであると感じる傾向もあります。
したがってイタリア料理に新ラグジュアリーのヒントがあるように思っていたのですが、中小路さんの前述の指摘で、ここに突っ込むと何かありそうだと感じました。
それで彼女に伊仏の料理史から新旧ラグジュアリーを考える場の講師になっていただこうと、下記プログラムを新ラグジュアリーのオンライン講座の特別単発編として企画しました。ご関心のある方は2月28日に開催する本イベントにご参加ください。
今回の特徴は講師のレクチャーだけでなく、講師と参加者が議論する時間を多くとっている点が1つ目です。2つ目は、新ラグジュアリーの動きは30歳前後の女性が牽引していく可能性が強い、とのぼくの実感に沿っている点です。
『新・ラグジュアリー ――文化が生み出す経済 10の講義』を上梓したとき、次のようなことをぼくは日経COMEMOに書きました。
中小路さんご自身、30歳前後、女性、人文系の3つの要素があてはまる方です。彼女とのお付き合いは、『新・ラグジュアリー ――文化が生み出す経済 10の講義』を読んでいただいたのがスタートです。
それから文化の読書会でポール・キンステッド『チーズと文明』を皆で読んだとき、中小路さんに参加者の1人としてお誘いしました。例えば、以下の章などは、彼女の研究範囲の一つであると思います。そして、ぼくがボローニャに行ったとき、彼女がミラノに来た時、お会いするようになりました。
また、まったくラグジュアリーとは関係なく、『「メイド・イン・イタリー」はなぜ強いのか?: 世界を魅了する〈意味〉の戦略的デザイン』の著者、あるいは最近ではメンバーシップ「イタリアデザインを語る場」を主宰している人間として書いておきたいこともあります。
これまでイタリア料理の話というと、強烈なイタリア(文化、ファッション、スポーツ、デザイン、料理)好きには圧倒的に受けが良く、そのようなカテゴリーでのコミュニティも成立しています。
しかし、結果的にコミュニティはクローズドになりやすく、そこでのナレッジやノウハウが外に普及しづらいとの弱みもかかえています。例えば、イタリアデザインもマエストロの知られた作品の好悪の表明にとどまっている。人生を生きたデザイナーのヒストリーの交差点として捉えられていないのですね。
これは、実にもったいない現象です。
新ラグジュアリー との視点が、その意味でも貢献できることがないか?と探索しているところです。
冒頭の写真©Ken Anzai
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