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「ラグジュアリー」の意味のイノベーション

今週、ある大学で「新しいラグジュアリー」についてレクチャーすることになったので、意味のイノベーションと新しいラグジュアリーの関係を示すシナリオを用意してみました。参考『新・ラグジュアリー ――文化が生み出す経済 10の講義


新しいラグジュアリーについて話します。正確に言うと、ラグジュアリーの新しい意味について話します。ミラノ工科大学で長く教え、数年前からメインにストックホルム経済大学でイノベーションを教えるロベルト・ベルガンティは、イノベーションには2つあると説明します。
 
一つは目的地にたどり着く方法を改善することです。二つ目は目的地そのものを変更することです。新しい意味とは、2つ目の目的地の変更のことです。ベルガンティは、このイノベーションを「意味のイノベーション」と呼んでいます。
 
今日、お話するのは、ラグジュアリーの意味のイノベーションです。
 
エツィオ・マンズィーニは”Design, When Everybody Designs”のなかで、一つのチャートを示しています。縦軸の上はexpert design 、下にはdiffusion design があります。横軸の左側には問題解決、右側にセンスメイキングがあります。この図のように、各領域が明確に静的に決まっているのではなく、それぞれのフィールドがお互いに影響し、統合されます。マンズィーニは「デザインはオープンループである」と語っていますから、この図はあくまでも参考です。ただ、とても使いやすいです。ご存知のように、マンズィーニは、このチャートの下半分、diffusion design へのアプローチに力を入れてきました。

Manziniの語るデザイン

この20年ほど、デザインは左側の上の部分、象限2,つまりテクノロジーに依存した問題解決のデザインがビジネスの主流でした。米国のIDEOとスタンフォード大学で作ったフォーマット、「デザイン思考」がビジネスの世界で採用されてきたのも、象限2で活用されてきたと言えるでしょう。
 
それは新しい言語をビジネスにもたらし、デザインのもつ思考法とビジネスが結びつき、問題解決に多数の選択肢を提示することになりました。その一方、右側のフィールド、意味をつくるフィールドでの方法が未開拓であったと気づき、そこに力を入れたのがベルガンティです。特に、象限1のところ、即ち、ビジネス領域での意味のイノベーションが、彼の主舞台です。
 
これらの先生の語る内容が、自分の関心と近づいてきた背景をお話します。
 
2017年、私はベルガンティの”Overcrowded”を日本語の本として出すのに監修し、その後、日本の人たちに向け意味のイノベーションのエヴァジェリストとしてたくさんの記事や講演を行いました。そうしているうちに、2つのことを考えました。
 
さきほど話したように、ベルガンティはマンズィーニの図でいえば、右側ですが、特に右上です。右下についても日本の人にむけて話さないと「意味」のフィールドへの理解が不十分になると思いました。これが考えたことの一つ目です。
 
2020年、マンズィーニの本”Politics of Everyday”を日本語にして出版しました。”Design, When Everybody Designs“はとても長く、英語の本が出版されてから時間も経過していたので、最新版の本を出版することになりました。
 
2つ目は、意味のイノベーションを他人に説いているうちに、自分自身で意味のイノベーションの実践をしたくなったのです。その時、ある現象に偶然にも目が向きました。セラミックの作品です。
 
日本には茶道というものがあり、そこで使われる器は高いものだと日本では1万€を超えます。しかし、同じものを欧州にもって売ろうとしても、そのような価格では売れません。用を足すセラミック製品は高くても、300から500€です。しかし、欧州では用を足さないセラミックのアート作品なら、2000-3000€からスタートします。高いものなら、10万€を超えます。
 
ファインアートの市場にいくと値段の桁が大きく違います。よく「アートよりの表現をすると高く売れるから、アート表現を選ぶ」という雑貨や家具をつくっている人がいますが、これはなぜなのか?もちろん、アート表現をとると高価になるからアートに向かうという人の作品が、アート市場で評価されることは少ないです。
 
一方、日本で用を足す器をつくっている工房からは、欧州でもっと売りたい、それも高く売りたいとの要望が聞こえてきます。
 
この現象の背景をみているうちに、ラグジュアリーという領域は、この境の部分に長けていると気がつきます。それでラグジュアリーをリサーチしていくと、ラグジュアリーの意味のイノベーションが求められていることを偶然にも知ったのです。それも値段を高くするレトリックではなく、文化をつくっていくソーシャルイノベーションとしてのラグジュアリーの存在です。
 
ラグジュアリーという言葉は、西洋の長い歴史のなかで、それぞれの時代にあった意味をもってきました。中世と近世、近代、現代で変わっています。性的な意味が強かった時代、宗教や王族の権威のためにラグジュアリーが求められた時代、産業革命でうまれた新興ブルジュアがスタイタスを誇示するためにラグジュアリーが必要になった時代、20世紀後半になると、欧州の外にいる人たちが欧州の文化遺産に紐づくものをもつことに喜びを得るようになります。グーグルで英語の本にラグジュアリーという言葉が出現する率をみると、19世紀に多く、それから下がりますが、20世紀後半以降、またじょじょに上昇しています。
 
この20世紀後半とは1980年代のことです。フランスから新しい動きがでてきます。さきほど述べた19世紀に生まれたブランド、ルイヴィトンなどのマスマーケティングの採用です。1970年代、パリのルイヴィトン本店に日本人の観光客が殺到し、それをみたルイヴィトンが、第二次世界大戦後、はじめて欧州の外に直営店をつくったのです。日本です。したがって、ラグジュアリーのマスマーケティング採用は日本の人の消費行動をみて導入されたと言ってよいです。
 
LVMHやケリングというラグジュアリー市場を引っ張るコングロマリットは、1980年代に生まれているのです。そして、1990年代、米国の金融経済の繁栄が米国で経済的な余裕をもった社会的な層をうみ、この人たちがスタイタスを構築するために、欧州の文化遺産に基づいたラグジュアリーブランドを買うようになり、ラグジュアリー市場が拡大していきます。
 
1990年代後半から2010年代後半の約20年間の市場の伸びをみると、この推移が明らかです。ここにある数字は、服、靴、時計、宝石など、個人がタンジブルなものをもつ分野です。これが、今世紀以降、いくつかの期間を特徴づけられます。

ベイン&カンパニーのデータ(2017)


そして、ラグジュアリー市場全体のことを説明しておきますと、さきほどの個人消費財以外に、クルマ、ワイン、グルメ、アート、家具や雑貨、ホテル、プライベートジェット、ヨットなどを含みます。これは米国の戦略コンサルタントであるベイン&カンパニーのミラノオフィスのデータです。合計金額がこのくらいです。このなかで、モノよりも体験型の分野の方が成長しています。

2019年、ベイン&カンパニーのデータ

さて、大衆化の時期、中国人の購入が牽引した時期、そして2015年あたりから、新しい動きがみえます。この新しい動きがでてきたころ、いろいろな形容詞をともなったラグジュアリーがでてきます。そのひとつがコンシャス・ラグジュアリーです。サステナビリティを重視しているラグジュアリーとの意味です。この言葉も19世紀に使われていましたが、その頃は、他人と自分のステイタスを意識したとの意図があったと思われます。しかし、今は、自然環境から人権に至るまでの点にコンシャスであるとの意味です。 

グーグルで調べた英語書籍にあるconscious luxury の頻度

現在、大きな変化がさまざまな分野で起きていますが、ラグジュアリー市場での特徴も、消費者の若い世代の台頭により、変わりつつあるのです。これまでラクシュアリー分野では企業活動にミステリアスな部分が多く、それがブランド向上に貢献すると言われました。生産現場もみせない、という方針などが例にあがります。しかし、オンラインで商品を買う人は、経営にも透明度を求めます。工場の内部を見て、商品を買いたいと思うわけです。そして、社会的責任を果たしているのかどうかを知ったうえで、商品を買いたいと思うのです。
 
みなさんも同じ意見の方が多いでしょうが、ベイン&カンパニーのデータによれば、若い世代の60%は「ラグジュアリー企業は社会的責任を果たすべき」と言っています。あるいは80%の人が「社会的責任を果たすラクシュアリー企業を好む」と答えています。したがって、コンシャス・ラグジュアリーとの言葉が使われ、具体的には社会的な責任を果たしている企業の商品が買われる傾向にあります。
 
したがって、この20-30年、ラクシュアリー市場を制覇してきた「言語」を変える必要ができました。
 
さて、ここで話をまったく変えましょう。
 
経済的に発展した国において、あまり野暮なものが減ってきました。イケアや無印が家庭やオフィスに普及し、そうとうにカッコ悪いものがなくなってきました。多くの人に高価ではない適度に良いデザインに提供するとの、彼らの企業方針のおかげでもあります。この現実を批判したら罰です。
 
この何十年か、安くて良いものをできるだけ多くの人に普及させることがイノベーションであると考えてきました。場合によっては「民主化」という言葉が使われました。実際、イケアは「民主化」との言葉を使っていました。しかし、ここで質問です。それらは本当に心躍るもの、長く愛し続けたいもの、それによって生きる勇気を与えてくれるものか?と問われると、確信をもってイエスと答えられないことが多いと思います。人々はこれで満足できるのでしょうか?
 
フランスの歴史家にフェルナン・ブローデルという人がいました。1900年代を生きた人です。彼は「人類史において衣食住に関わることは惰性で進んできている」と書いています。現代のデジタルテクノロジーによって、デバイスやコンテンツの流行のスピードは非常に速いです。技術に大きく依存する分野は、頻繁に風景が変わります。もちろん、衣食住も、商品の売り方や作り方もデジタルテクノロジーに大きな影響をうけています。再生生地や人工肉なども、技術の貢献が大きいです。しかし、衣食住は通信手段ほどには変化をしていないでしょう。
 
衣食住のものが惰性で進んでいるわけですが、ここに2つの方向があります。ベルガンティの言う、2つのイノベーションです。1つ目は目的地への辿りつく方法の改善、2つ目は目的地を変えることです。衣食住であれば、1つ目には、材料や生産方法の改善があげられます。2つ目は、衣食住のまったく新しい風景をみせることです。この2つ目が、量よりも質を重視し、新しい文化をつくるのを得意とするラクシュアリーが活躍する分野です。
 
しかし、さきほど説明したように、ラグジュリーがマスマーケティングの採用で方向を変えるイノベーションがやりにくくなったのです。「イノベーションのジレンマ」という言葉があります。ハーバードビジネススクールで経営学を教えたクレイトン・クリステンセンの表現ですが、ある分野で権威となった企業は、その既得権益を失いたくないため、新しい挑戦に躊躇することを指しています。
 
一方、パリのHECでラグジュアリーマネイジメントを教えるJean-Noël Kapfererは、20世紀末からラグジュリーのグローバル化が進んだが、地域によってラグジュリーの認知は異なるとの調査結果を2016年に発表しています。フランス、ドイツ、米国、ブラジル、中国、日本で調査したのですが、「高品質」「高価格」「プレスティージ」との3つの項目は、どこの国でもラグジュリーの認知にあたり鍵となると分かりました。しかし、「楽しさ」「美」「遺産」「パーソナライズ」といった項目では国によって扱いが異なります。つまり、グローバルに展開したラグジュアリーブランドが、必ずしも一律に世界各国で受容されているのではないことが確認できます。そして、これらのブランドがセカンドラインとして、よりアクセシブルな価格で商品を出してきたので、「世の中から野暮なものがなくなった」風景ができました。つまり、イケアや無印のようなボトムアップ型とトップダウン型の企業の両方が、野暮なもののない風景をつくってきたのです。
 
しかしながら、この野暮のない風景で一時停止している感じがあります。その原因は、我々は「民主化」という言葉を使ってきても、実際は「大衆化」であったのが真実だったからではないでしょうか。ビジネス文脈のなかでの「民主化」は、上下関係のない世界で常に水平に領域が広がるものです。「学び」と「自由な創意」があり、広がるための再起動のメカニズムが組み込まれている。「大衆化」は上下関係があり、上のものが下に普及した時点で終わりです。多くの人が手にすることが目標だからです。もちろん、これは悪いことではありません。だが、これでは心が躍る新しい風景をつくれないのです。
 
しかし、ここで悲観することもありません。前半に述べたように、ラグジュリーの意味のイノベーションを探る動きがあるのです。それは世界各地でそれぞれの地域のローカル文化に基づいた新しいラグジュリーのあり方を探る動きです。ラグジュリースタートアップと呼べるものです。そして、この動きはフランス以外で顕著です。イタリアは旧型と新型の両方があります。また欧州以外の地域、中国やインドでもこの動きはみられます。2020年11月、ベイン&カンパニーは次のような発表をしました。「これから高級品市場との呼び方はせず、2030年くらいまでは文化と創造が入り乱れる市場になる」です。
 
米国でサステナブルファッションのシンクタンクを主宰しているサーラ・ベルナートは、フンボルト大学の社会学部でラグジュアリーの論文でPh.Dを昨年取得しました。彼女は、まさしく2015年頃からでてきた「コンシャス・ラグジュアリー」との言葉の背景を知るべく博士課程に入ったのでした。彼女はブタペストの高校を卒業後、パリを拠点にファッションモデルの仕事をして、それから心理学、マーケティング、デザインを修士課程までに学びました。そして博士課程に進みました。「人はラグジュアリーをなぜ求めるか?」に対する疑問を探るには、社会学が相応しいと考えたのです。ラグジュアリーには他人やコミュニティとの関係という視点が必要だからです。そのベルナートが、「今、ラグジュアリーには多様な顔があり、どれか一つをもってラグジュアリーとは言えない」と話しています。
 
私は多くの研究者や実践者とこの数年話してきました。新しいラグジュアリーを考えるに相応しいモデルはあるのか?あるとすれば、19世紀のアーツアンドクラフツを率いたウイリアム・モリスではないか?との仮説をたてました。社会的なインクルーシブ、職人の労働観、人肌のある表現です。この仮説を研究者や実践者にあててみると、真向から反対意見を言う人は一人もいませんでした。多くの人は、この19世紀の運動をガイドに考えることに賛意を表してくれました。
 
ブルネッロ・クチネッリは1978年、ウンブリアに創立したファッションメーカーです。エルメスと同等のブランド力があると評価されている企業です。協力企業の90%は本社のあるソロメオから100キロ圏内にあります。クチネッリは「創造力を育てるには、どうすればいいか?」とは考えません。彼は「人の尊厳を大切にすれば、人は自ずと創造性を発揮して、ビジネスは伸びる」と話します。そこで、彼の経営は人間主義的経営と呼ばれます。新しいラグジュアリーの一つの参考になる会社です。実は、彼のよく引用するのが、ウイリアム・モリスの思想の師であるジョン・ラスキンなのです。もちろん、復古調がこれからのトレンドであると言っているのではありません。20世紀はじめにできた大量生産の基礎となるデザインをつくったバウハウスより前の時代を再評価して、そこを起点に自分の頭でラグジュアリーを考える状況にあると認識するのが良いと思うのです。

写真©Ken Anzai


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