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プラトンやアリストテレスがソフィストをペテン師扱いしていた頃、「ソフィスト」が一般に否定的な意味であったわけではない。

文化の読書会ノート

納富信留『ソフィストとは誰か』第一部第二章 誰がソフィストか

アリストテレス『ニコマコス倫理学』と本書を交互に読んでいる)

「ソフィスト」(Sophist)は、ギリシャ語の「ソフィステース」を近代語にしたもので、「知恵」や「知者」と同語源で「知をもつ者」を意味する。この「ソフィスト」にさまざまな色がつくようになったのは、BC5世紀半ば、プロタゴラスが専門職業人を標榜したことにはじまる。

古代ギリシャの一時代的現象にとらえられがちであるが、2-3世紀のローマ帝国時代において第二の隆盛を迎える。弁論家、教育者、知識人という意味でのソフィストであり、ヘロドス・アッティコスに代表される。このときには、プラトンが否定的に評価したソフィストの汚名は一切、拭い去られていた。

それでは、古代ギリシャにおけるソフィストとは誰を指すのか?

プラトンやアリストテレスがソフィストをペテン師扱いした頃、同じ時代に生きたイソクラテスはソフィストを一般的な意味でしか使っていないー彼にとって、ソフィストは「哲学者」であり、有益で尊敬に値する教育者だった。

BC4世紀においても、ソフィストの意味が固定していなかった証拠である。しかし、だからといって、ソフィストを相手を批判するための便宜上のレッテルとは言えない。とすると実体を捉えないといけない。基準は何だろう?

1つ目。学派(school)と呼びうる結びつきによる集団ではない。それぞれに自営業者であり、連帯意識よりも対抗意識の方が強かったと想像される。

2つ目。教義(doctrines)と呼びうる思想を共有することもない。相対主義を主張するものたちが多いように指摘されるが、断定するのは難しい。思想的な立場は伝統から革新まで広い。

3つ目。知的活動を行う専門家としての社会的役割、職業性(プロフェッショナリズム)は共通している。言論の教育、徳と能力の促進、多様な学識の伝達である(アテナイ出身ではなく、ギリシャ各地から集まり、「哲学者」の流れに対抗した)。そのために授業料を受け取ったことを特定化すると、例外もあるー必要条件であって、十分条件とはならない。

以上の暫定基準にのっとって、誰がソフィストかを検討する。

プロタゴラス(BC490年頃の生まれ)は自他ともに認めるソフィストだ。トラキア地方の小都市アブデラの出身である。徳を教授すると公言し、言論能力に優れると評判だった。ケオス島出身のプロディコスは名辞の厳格な区別と定義に拘った。エリス出身のヒッピアスは、外交や弁論の演示や教育活動を行った。これらの3人をソフィストとみなすことに異論をはさむ人はいないはずだ。

シチリアのレオンティーノの出であるゴルギアスをソフィストに数えることに反対する2つの理由がある。1つは、自ら「弁論家」(レートール)と名乗り、「ソフィスト」との呼称を拒否していた。徳の教育はしなかった。もう1つは、プラトンの分類では、「弁論術」は法廷での正・不正を争う司法術の影であり、民会で政策審議に活躍する立法術の影にあたるのは「ソフィスト術」。ゴルギアスは前者を選んだのであった。

しかしながら、上述の分類は図式的であり、ゴルギアス自身、これらの区別することに矛盾することを語っている。

アテナイの30人政権の指導者でソクラテスの弟子であったクリティアスは、政治家であり、文人としても有名だ。彼がソフィストとしての活動をした記録は一切ないが、ローマ時代の第二次ソフィスト思潮において、優れた文体作者という意味でソフィストとして呼ばれるようになった。フィロストラトスが彼を『ソフィスト列伝』に入れ、とりわけ悪人イメージが広まった。明白な誤りに基づく「歴史の捏造物語」の一例になる。

<わかったこと>

「呼び名は禍のもとである」とでも言える代表例がソフィストという名称だろう。イマドキなら「デザイナー」も同じかもしれないが、そこまで深刻な問題を引き起こさないだろう。それが逆にデザイナーの悲哀だ。

また、あえていえば「ソフィストは自己啓発系に偏るビジネス書の著者」だろう。この例も、いろいろ批判されるわりに、シリアスな事態には至らない。

要するに、無視されることも多いのだ。

最近、バートランド・ラッセルの哲学史にあるスパルタに関する記述を読み、この古代ギリシャを現代に準える無理を思った(でも、上記のような想起をしてしまうのが、人の発想の乏しさである)。とすると、古代ギリシャの時代、ソフィストは本当にシリアスな存在だったのか?との問いが浮かぶ。

かなり、歓迎される存在だったのに、それを批判したために刑死したソフィストとしてのソクラテスがいる。プラトンが彼を大きく捉えたがために、ソフィストが同時に過小評価されたとみるべきではないか?

少なくとも、ソフィストは問題が噴出する新興宗教の教祖のような存在ではなく、どちらかといえば、ソクラテスこそがそうした存在に似せられたはずだ。

だからこそ、今に生きる人間は新しいタイプの誕生に疑念とその判断の迷う。そして、その迷いで自らを責めたりする。

ソフィストを語るとは夜明け前の空気にある、もしかしたら期待外れになるかもしれない危うさをともなう、しかし、なんとも言いがたい爽やかさに近よる躍動感みたいなものがある。ぼく自身、どの時代やテーマであっても、そうしたタイミングやほのかな可能性に次をみるのが好みだ。

下の記事に書いたような自らの経験に基づいた判断力への拘りも、似たようなものだ。冒頭の写真について、この記事のなかで触れている。



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