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"THE SILENCERS"の事。

バンドで生計を立てるということは大変な訳で、色んなバンドが生まれては消えていく。全世界で爆発的な人気を誇るモンスター・バンドとかは昔の作品も評価され、何度もリイシューされ、ボーナストラックを多数詰め込んでデラックス版でリイシューされ、アナログが流行ればアナログ化され、何周年記念で再現ライヴをやったりと、オールド・ファンはもちろん、当時生まれていなかったくらいの若いファンも取り込んだりすると、長く活動する事ができる。一方で、小ヒットか中ヒットを持っているくらいのバンドは、そういった部分が無いので非常に苦労する。でも、デビューから35年以上もライヴでの演奏を中心に音楽活動を継続しているバンドだってある。このThe Silencersみたいに。

[Painted Moon] (1987)

1970年代からPaul YoungやLene Lovichなどに曲提供するソングライターで、Jimme Shelter名義でソロ活動を行っていたJimme O'Neillと、Adam Antのバックでギターを弾いていたCha Burnsのふたりに、Chaと同じバック・バンドのドラマーだったBogdan Wiczlingを加えて1978年にFingerprintzというバンドを結成したのが全ての始まり。バンドはVirginに3枚のアルバムを残し、John Peelのラジオ・セッションに出演経験もありましたが、成功を収めることは出来ませんでした。バンドが1985年に解散した後は個々に音楽活動を行っていましたが、1986年にJimme O'NeillとCha Burnsが再会し、ベーシストのJoseph DonnellyとドラマーのMartin Hanlinを加えて4人組バンドが結成されました。バンド名はMy Granny's Green ChairとThe Hot Dog From Hellが検討されましたが、最終的にThe Silencersに落ち着いています。ミュージシャンとしてのキャリアがあった彼らは、新曲を携えて本国とヨーロッパをツアーしてギグを行い、3曲のデモ・テープだけでRCAとの契約をモノにするという、幸先の良いスタートを切っています。

[A Letter from St. Paul] (1987)

1987年にデビュー・シングル"Painted Moon"をリリースしています。アコースティック・ギターを中心に、流れるようなメロディとコーラスが印象的な爽やかな楽曲ですが、フォークランド紛争を歌ったこの作品は、ソングライターのJimme O'Neillの社会的なメッセージが込められており、爽やかなサウンドとは対称的な、その姿勢は終始守られていきました。Cha Burnsは、脳出血を患って健康に問題がありましたが、バンドに復帰してレコーディングに参加しています。同年にデビュー・アルバム"A Letter from St. Paul"をRCAからリリースしています。Pretendersのサポートで本国を、Squeezeのサポートで全米をツアーで回っています。この積極的なライヴ活動から分かるように、彼らは間違いなくライヴ・バンドでした。爽やかでアコースティックなレコードの楽曲とはスケールの違う演奏を聴かせて世界中を回り、人気を博していきました。

[A Blues for Buddha] (1988)

1988年にはデビュー時から本拠地にしていたロンドンを離れ、故郷のスコットランドに戻ってグラスゴーのスタジオで2作目のアルバム”A Blues for Buddha”をレコーディングしています。ブルーの海が広がる爽やかなジャケットに包まれたこの作品は、ジャケットのイメージそのままのライトでアコースティックなサウンドと青臭いヴォーカルを聴かせる、前作に近いスタイルを持った作品ですが、ある意味安定しすぎていたサウンドを崩しにかかった様な、リズムのタメや変則リズム、ノイジーなギター・サウンドやホーンといった新機軸や、緩急のはっきりしたサウンドへの変化が顕著になっています。スコットランド出身の彼らですが、アイルランドのケルト音楽への傾倒を語っており、その影響をそこはかとなく感じることが出来ます。スロー・テンポな"Scotish Rain"はチェルノブイリ原発を扱った曲で、やはり社会的なメッセージが込められています。

[Dance To The Holyman] (1990)

その後、Simple Mindsとのツアーでスタジアム・クラスのステージを目の当たりにした彼らは、より高みを目指そうと1990年に3作目のアルバム"Dance To The Holyman"のレコーディングに入りますが、サウンド・メイキングで対立して、Joseph DonnellyとMartin Hanlinがバンドを脱退してしまい、新ベーシストのLewis RankineとドラマーのTony Soaveが加入するなど、バンド内が騒がしくなってきます。このアルバムは15曲入りの大作で、今までの事を無かった事にして、新しい事を始めなきゃと語ったJimmieの言葉通り、以前のアコースティック・ギターのストローク中心のサウンドから、キーボードやエレクトリック・ヴァイオリン、色々なホーン類やオルガン、E-Bow、サイレン、タブラといった打楽器も取り入れた多彩なサウンドへと変化した意欲作で、ケルト音楽のエッセンスも多くなっています。Jimme O'Neillが過去にEric Martinに提供し、アルバム”I'm Only Fooling Myself”に収録、Marilyn Martinも歌った曲”This Is Serious”のセルフ・カヴァーや、ヨーロッパで大ヒットしたカラフルで軽快なポップ・チューン"Bulletproof Heart"などを収録しています。この頃からヨーロッパでのライヴ・ツアーがソールド・アウトを続けるなど、ライヴ・バンドとしての地位を確立します。この頃、JJ Gilmourがセカンド・ヴォーカリストとして加入し、Lewis Rankineが脱退してStevie Kaneに交代しています。バンド・メンバーは不安定でしたが、Jimme O'NeillとCha Burnsという2人のオリジナルメンバーによって精神的に維持されていました。

[Seconds of Pleasure] (1992)

1992年頃にはRCAが資金難に陥り、彼らは本国イギリスでのセールスの伸び悩みから、契約解除リストに名前が挙がったものの、ヨーロッパでの実績を評価されて4枚目のアルバム"Seconds of Pleasure"のリリースにこぎ着けました。やはりこの作品も、ヨーロッパでは好アクションだったものの、イギリス本国では思うようなセールスを上げることが出来なかった。そのため、RCAからはツアー費用が出なかったため、費用を自分たちで捻出しなければならなくなってしまいますが、彼らはツアーを続けました。そして、間もなくRCAとの契約は解除されました。

[So Be It] (1995)

1994年から、新しいレーベルとして本国ではJohn MartynやThe Fallが在籍していたBMG傘下のPermanent Recordsと、フランスではBMG本体と契約しています。相変わらずヨーロッパでは確固たる地位を確立しています。ケルト民謡の”Wild Mountain Thyme”のカヴァーをレコーディングし、この曲は、スコットランド観光局の広告キャンペーン「VisitScotland」で使用されてヒットしました。その曲を含む5枚目のアルバム"So Be It"を1995年にリリースしています。アルバム発売に際してのヨーロッパ・ツアー中にJJ GilmourとTony Soaveがバンドを脱退、Jim McDermottが加入、Jimme O'Neillの娘Aura O'Neillがメンバーになり、以後のライヴでは女性ヴォーカリストとして”This Is Serious”を歌うなど、重要なメンバーとなります。彼らの初期作品は全て廃盤になってしまっている状態で、ツアー費用の工面の問題があったのか、1996年にベスト・アルバムとなるシングル・コンピレーション"Blood & Rain: The Singles 86-96 - The Best Of"をリリースし、一時バンド活動を休止します。

[Receiving] (1999)

ヨーロッパのマーケットでは、熱心なライヴ・サーキットの成果として、依然として支持されていた彼らは本格的にヨーロッパに進出、その足掛かりとしてベルギーのレーベルDouble T Musicと契約して1999年には6作目のアルバム"Receiving"をリリースしています。2001年には、グラスゴーで録音されたライヴ・アルバム"A Night Of Electric Silence"を、フランスではLast Call Music、ドイツSony、オーストリアBMG、スイスでは自主レーベルUncanny Recordsからリリースしています。今作はイギリス本国ではリリースしていません。この頃、ずっとJimme O'Neillとバンドを支えてきたオリジナル・メンバーでギタリストのCha Burnsが、深刻な健康上の問題を抱えたため、バンドを離脱せざるを得ない状態になってしまいます。彼は療養のためスイスに2年ほど滞在した後、ウエールズで療養生活を送っています。

[Come} 2004

2004年には7枚目のアルバム"Come"をリリースしています。これは、ケルト音楽をリリースするフランスのレーベルKeltia Musiqueからのリリースとなっています。デビュー時からアイルランド~ケルト音楽にこだわりがあった彼ら、結成20年近くなっての原点回帰となった様です。その後はレコードとしてのリリースはありませんが、2015年までヨーロッパとスコットランドを中心とした熱心なツアーを行っていました。近年では、流石に本数は抑えてはいますが、地元スコットランドや、人気の高いフランスやスペインでのライヴやフェスティバルに出演しています。

2007年、病気が理由で2000年にバンド離脱を余儀なくされたCha Burnsの容体が思わしくなく、元メンバーのJJ Gilmourの呼びかけで、彼のためのベネフィット・コンサートがグラスゴーABCで開催されています。「俺なんて忘れられたスコットランド人だよ」と語っていたCha Burnsですが、1,300人収容の会場のチケットはソールド・アウトしています。Cha Burnsもステージに立ち、元バンド・メイト達とのライヴが大勢のファンの前で行われました。その特別な夜は、「蛍の光」の原詩の作者として知られるスコットランドの国民的英雄、詩人のロバート・バーンズを讃える夜にあやかって”The Silencers Burns Night( (A Tribute to Cha Burns)”と名付けられ、この夜、Cha Burnsはスコットランドの英雄になりました。このライヴの模様は2010年に限定でDVD化されていますが、現在の入手は困難かも知れません。Cha Burnsは、その1ヶ月後に息を引き取っています。まだ50歳の若さでした。最期はウエールズのプレスタティンの自宅で、家族やバンドのメンバーに囲まれて安らかに永眠したそうです。その後、グラスゴーのコートブリッジで追悼式が行われました。

そりゃセールスが順調なビッグなバンドならば、大掛かりなツアーを行う事が出来るんでしょうが、セールスはイマイチでも、彼らのようにライヴ・ツアーを楽しみ、自分たちのサウンドを求めてくれる人々に届くように、自費になろうと熱心にライヴ・ツアーを行いながら、キャリアが35年を超えても活動しているバンドだっている。もうすぐ結成40周年、素敵な音楽オジサン達の音楽人生に祝福を!

今回は、3作目のアルバムに収録された、彼らのサウンドの変化を決定づけた重要な曲で、現在でもライヴで演奏されると大喝采を受けるこの名曲を。

”Bulletproof Heart" / The Silencers

#忘れられちゃったっぽい名曲


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