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木が熟す(1)

平成三十年三月

「チリに出向してくれないか」
 一年前、突然通知された海外赴任の辞令を承諾してからは早かった。思いがけなく訪れた人生の転機。頭の中を駆け巡る不安や疑問、そんなもやもやした感情を押し殺して、私は一年後、単身南米のチリへと渡った。

平成三十一年四月十日(水)

チリは世界一の銅の産出国で、チリ北部、ペルーとの国境付近は鉱業で栄えている。だからといって私も銅の関係で出向するのかというとそうではない。実はチリ中南部には広大な植林地が広がっており、ラジアタパインと呼ばれる松の植林、そしてユーカリの植林を大規模に行っている。私はそんなチリ中南部の林業の町コンセプシオンに、今、駐在しているのだ。

私が新卒で入社したのは福岡県にある木材加工用工具専門メーカーの千代刃物という老舗で、何でも江戸時代には加治屋として柳川藩主である立花家に刀を献上していたらしい。明治維新を機に刀鍛冶から木工用工具のメーカーへ転進を遂げたが、その後の時代の流れについていくことができず、業界では弱小メーカーとして福岡での製造販売を行っていた。

私は小さな頃から植物が大好きで、植物を研究したいという理由で関東の国立大学の農学部を卒業。就活では関東や関西で就職先を探していたのだが、あいにく世間はリーマンショックの真っ只中。大手からのお祈りメールを何十件も頂き、気づいたら地元の千代刃物に就職していた。

就職後はのんびりと仕事をしながら結婚して子どもを産んでという人生を歩もうと順調に八年間技術職として働いていた。しかし、部長のあの言葉のお陰で、あろうことか地球の裏側の南米に、しかも営業職として、市場開拓に来ているのだ。

千代刃物は弱小企業のため、海外には拠点を持っておらず、チリの拠点が初めての海外進出となる。その為、駐在員を二人も派遣する余裕も無く、学生時代にトイックで700点を取ったというだけで私が駐在員に選ばれてしまった。駐在先も大企業が構えるような大きな工場があるわけも無く、日本で取引のある企業のオフィスの片隅を間借りしていた。

「アイナさん、今週の金曜日、いよいよ初めての売上ですね。」

初めて雇った従業員はエレナというチリ人女性だが、彼女の母親が日系ペルー人で、さらにサンティアゴ・デ・チレ大学で日本語を専攻したということで即採用した人材だ。私は当然スペイン語は分からないので、従業員の日本語能力は採用する際の必須条件だった。エレナは中々の切れ者で、これまでの半年間、彼女とビザ取得手続きから家の契約、運転免許取得、オフィスの選定、会社登録までを一通り必要な手続きを終わらせることができていた。

「ありがとう、エレナ。これでやっとスタートが切れるわね。小さい案件だけど、初めてのお客さんへの販売になるから、最後まで気を抜かず、やりきるわよ。」
「それにしてもアイナさん、毎日遅くまで仕事してたら体に障りますよ。今日は提示に帰宅してくださいね!ノー残業デーですから。」
「わかったわ。今日はこれくらいで切り上げる。」
「はい、それでは、私はこれで帰りますね。お疲れ様でした。」

毎週水曜日はノー残業デーだ。特に日本から指定されているわけではないけれど、なんとなくそういう日を作らないと無限に仕事をしそうな自分がいて、水曜日をノー残業デーにした。

‐金曜日、ちゃんと製品売れるかな、突然キャンセルになったら…‐
エレナの言葉に突然不安な気持ちが溢れてきた。

私は日本での八年間、技術職として主に製品の調査や開発を行ってきた。入社後1年は現場での製造実習があったが、営業としての経験は全くなかった。いや、正確にはあの日海外出向を命じられてから三ヶ月の国内営業研修という名目で、営業担当者とお客さんを回り、残り三ヶ月で貿易課という輸出する部門で貿易の「いろは」を学んだのだが。

海外でいざ働いてみて、初めて自分の売上を自分で作ることになって、その初の売上が今週の金曜日、四月十二日に迫っていると思うと妙な高揚感と不安感に苛まれてしまう。
「日本はもう桜の時期は終っちゃったのかな、桜見たかったな。」
ノートパソコンの電源を落としながら、不意に日本が恋しくなった。


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