大人の側面⑥:自分の適性と限界を受け入れる

こんばんは、ライアンです。

このマガジンの更新はちょっと久しぶりですね。

適正と限界について

世の中には生まれた瞬間から自力で立ち上がれる生き物がいます。
でもヒトは生まれてから数年は自力で立ち上がる事すら叶わない。

そんな動物は稀です。

でもそんな未熟な状態で生まれてくるからこそ、多くのことを学び取れるという説があります。

例えば言葉。

しかも大人になってからも記憶を司る海馬は神経の分裂を続けるし、
学習・成長は一生涯続くのです。

だからこそ人は現在(いま)を努力する。
努力をすれば、新しい知識や技術を身に着けられる。

人間はそれぞれ技術を持った人が集まり、社会を作り、お互いを補いあっている。

でも、だからと言って
全ての人が等しく同じ能力を手に入れることができるわけじゃない。

このことを理解し、心から納得している。

その上で、自分の個性・適正を伸ばすことに集中できる。

それが大人なのではないかと思うのです。

ここからは僕がそれに気づいた話。
ベストフレンド(?)とのエピソードです

適正と限界に納得したことに気付いた日

さて、ちょっと昔の話を。

高校時代に憧れていた(おそらく親友の)同級生がいます。

そやつは頭もよく(入試の優秀者が務める入学式の代表者をやり)、
人の発言の裏を考えるのも得意で、弁もたつし、多趣味、コミュ強。

そんな風に高校時代のライアンには見えていました。

そんな彼との接点はいきなり、入学式の日。

彼が述べた代表の言葉に感じ入るところがあり、その日のうちに声を掛けに行ったのを覚えています。
でもなんて声かけたのかは忘れちゃいました 笑

そんな彼は、天文部で一緒、部活の班が一緒、合宿も一緒、特別授業のクラスも一緒。
高校3年間で多くの時間を過ごしてきました

それでも。
僕が彼のような能力を身に着けることはできなかったです。

高校を卒業するころは、「今からでも勉強経験をすれば同じようになれる」と信じて疑いませんでした。


そんな彼、実は大学も一緒です。
ただ学部とキャンパスが違うので殆ど顔を合わせることはなく。

先日数年ぶりにオンライン飲み会で会話をしました。

全然会ってなかったけど、全然変わってないし、高校時代に感じていた憧れを思い出しました。

でも、もう昔みたいに「彼のようになりたい」という想いはわいてこなかったです。

彼は彼だし、自分は自分。

自分は彼が選びとらなかった進路を選べて(それなりに)うまくいっているし、彼が僕の執念深さはすごいとほめて(?)くれたり。

自分にできることに注目して、ベットしていこう。
そのように心から思えたのでした。

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