涙腺崩壊 ひとしきり泣いてみて
日に日に、歳を取ってきたからなのか?
涙もろくなってきました。単に涙腺がアホになってきたのでしょうか?
でも、ココロが痛むのです。傷ついたなってときに、特に痛むのです。
これは昔からなのですが、40歳を超えてからなおさらなんです。
「この作品・この曲を観たり聴いたりすると泣いてまう!」というのがあります。
私が昔から泣いてしまうものはアニメだと、フジテレビの世界名作劇場『フランダースの犬』・『母をたずねて三千里』、アニメ映画『火垂るの墓』。
ドラマだと日本テレビの『世紀末の詩』第7話「恋するコッペパン」など。(映像仲間内ではどの回が好きかで話を何時間もしました)
音楽では中島みゆきさんの曲『命の別名』、Kさんの曲『Only Human』です。
かなりベタな感じですが、どこかで物語の登場人物や歌詞の中に自分を見つけていて重ね合わせて、悲しくなっているんです。それが涙となってこぼれ落ちてくる。
胸が痛むんです、本当に。その世界観にどっぷりとはまってしまうと。いいえ、はまろうと思わなくてもいつの間にかはまってしまう。いいや、始まって数秒で入ってしまいます。
どうしてこんなにも悲しいお話・曲があるんだろう?と涙しながら観たり聴いたり。
胸が痛むのは実際、本当に胸が痛んでいるんだそう。マイナス感情が引き起こす生理的反応で「ブロークンハート症候群」または「ストレス心筋症」と呼ばれています。
よく「男なのに泣くな!」とか「いい大人が何泣いてるんだ!」なんて根性論の延長線上にあるセリフをよく聞きました。
今考えると、自分の脳やカラダ・気持ちの面で相手に吐くセリフとしては不適切です。カラダに毒なことをよくも人に言えたものです。「じゃあ、あなたはどう?」と訊き返したくもなります。
みっともないもへったくれもなくて、出てきたものを我慢することがどれだけツラいか。
涙や悲しみをグッとこらえると、次第にその癖がついてしまって、泣きたいときに涙が出なくなってしまいます。その涙や悲しみはココロの奥底で溜まっていって、ずっとマイナス感情のまま過ごしていかなくてはならなくなる。するとますます悲観的になって、自分が嫌いになっちゃいます。いつどこで堰を切ったように突然、泣き狂うか怖くなります。
そこで事あるごとに自分に「許し」をしてくださいね。自分で頑張ったことは自分が一番知っているはず。案外、人の頑張りは他の人は見ていません。もしくは見てくれていたり、「すごい!」とあなたのことを思ってもなかなか口にはしてくれません。
ならば、泣くだけ泣いて、感情を出しちゃって、そのあとは「完全自己肯定」をしちゃえばいいんです。
でも、深い関係性が築ければ、話は別。どんな感情も言葉にできる関係…人として一番の理想ですよね。「完全自己肯定」だけじゃなく「完全他者肯定」も完成しちゃいます。
幸い、今こちらの事業所でお世話になって、苦しい胸の内を言葉にして理解を示してくださる方とともに過ごすことができています。
最初は「遠慮」がありました。その遠慮というのは「相手を怒らせたり、困らせたりするのではないか?」ということからくる遠慮でした。
でも、それは同時に私が相手の考えや思いを受け入れていなかったということです。私が失礼をしていました。
それが理解し合えれば、もう大丈夫でした。グッと込み上げてくる涙で目を潤ませて互いを理解できていく。
ある意味「涙する」のは、「涙ながらの訴え」という言葉があるように同意を得たい、同意を得られて感激する「共感」から流れてくるもののような部分もある気がします。
たくさん涙した後は、自然に笑えてくるんです。というか、スッキリして、なおかつホッとして笑みがこぼれてくるんです。なんか、人間してるなあって。これが「カタルシス効果」ってものなのでしょうね。
みなさんも、カラダと気持ちが連動して涙することには正直になりましょうよ。流れてきたらとめどなく…。
【執筆:Oneness A 年がら年中IceCoffee】