新しい挑戦。ベンチャーへ。 2回目の転職。
自己紹介エントリーの”いままでやってきたこと”の順に沿って記事を書いていきます。
自己紹介エントリー
突然の電話
お客さんに可愛がられ、戦力として加えてもらい。
職場の環境も居心地も良い状況の中で私は20代を終わろうとしていました。
ただ、この環境は私が正式に雇用されている環境ではなく。
あくまで派遣されているお客様の職場であり、所属する会社からすればただの"現場"でしかない現実があり。
このまま30代40代と重ねていったときに年齢が一番若いということ以外のポテンシャルがどこにあるんだろうと悩む日々でした。
定時も早く。18:00台には家に帰りつける環境。
規則正しく残業もない環境でも、借り物の生活の感覚は居心地が良すぎれば良すぎるほど素直に喜べない気持ちとなって返ってきました。
家で悶々としながら焼酎を飲んでいると、先に退職したMくんから突然の電話がかかってきました。
Mくんは一緒に重要システムの運用をやっていた仲間でとんでもない利己主義で利益の為なら手段をえらばないタイプ。
私は最後の最後で情を捨てられなくて、最後の最後に甘い采配をするタイプで性格はおそらく真逆。
ただ、彼との仕事はお互いのバランスよく綱引きが出来るため。(結局上手に転がされるんだけど)中だるみしないが、プライベートで友達には絶対意思を持ってならないタイプの人間でした。(ほめているよ。ほめてないけど。)
その彼から、"ベンチャーいるんだけど人足りなくてさー。 クラウドやってるんだけど。クラウドやろうぜ。また一緒に仕事しようや。"とのこと。
・・・転職の誘いでした。
いまの環境の将来に不安を感じながらも惰性で過ごしつつあった私は焼酎の勢いと相変わらず適当なことをいう彼が変わってないことがうれしくて。
"しゃーねーなー。 いくよ。"
と仕事内容も条件も聞かず返事をしていました。
ほどなく一次面接と役員との面接を済ませて採用になりました。
採用プロセスはいままで経験した採用プロセスの中で最も雑で、
最終面接が喫茶店だったこと。
履歴書がプレーンテキストだけでよいとのこと。
職務経歴書の提出も求められなかったこと。
条件提示なしで内定がメール1本だけでとんできたこと。
これがベンチャーか。 と、不安になりつつ内定を受諾しました。
(後日、マネジャになってからいろいろ改めました。)
最後の奉公
所属している会社に退職の申し入れを行い。
いろいろなことを聞かれましたが、背景と事情を説明して納得してもらい退職日も申し入れできまりました。
お客さんに対する退職の報告が入るときはすごく心苦しかったですが。
製造業での経験を活かして自社事業をもつ会社でやりたい。
SESで学ぶのは20代までかと思っていて、タイミングがよかった。
自分の名刺を持って働きたいと考えている。
上記の旨を伝えて。最終的に頑張ってこいと言ってもらうことができました。
退職日から逆算して有給消化に入ろうとしたところ。大きな問題が発覚しました。
とても重要な機能をもつサーバが1台。管理対象として宙に浮いており。
冗長構成の片系が破損したまま人知れず稼働し続けていることが判明した という状況。
HWもOSも保守切れ、納品業者も不明。 誰も手を出せない状況。失敗したときの影響範囲が大きすぎる。これはどこも引き受けない。。。
"どのみち退職するから。失敗したら勝手にやったことにしてください。"
私が直します。 と手を上げました。
もちろん、いろんな人から反対や心配をされましたが。現実的な手がありません。
何度か方針検討の会議があり、最後は可愛がってくれたリーダーの方から必要な設計レビューを受けられるように信頼できるベンダーの手配と投資を用意する形でガードレールをひいてもらい準備に入ることになりました。
有休消化は辞めて。この作業の期間に充てることにしました。
最後の奉公として、自宅でラボ環境をつくり作業設計とシミュレーションを何度も繰り返して。無事に構成の復旧が完了しました。
その日の夜。立ち合いメンバーたちと共に最後の飲み会に出かけました。
そうして、私の大企業での派遣はおわりました。
ほんとうに、ほんとうにお世話になりました。
新しい挑戦。ベンチャーへ。
大企業での派遣対応がおわり、その翌日からベンチャーへ入社しました。
この会社はクラウドの受託と運用保守をやっている会社でした。
事務所はまだ出来立てで、バブル期くらいに建てられた印象の天井の低いビルの1室。 部活のような部屋に不釣り合いな大型ディスプレイと大きめなオフィスチェア。全員私服。
派遣されていた大企業はスーツにネクタイと革靴でクールビズも襟付きなど、服装のしつけに非常に厳しい現場だったので。このギャップにとてもびっくりすると同時に"新しいところにきたんだなー" という第一印象受けました。
なんかちがう?
入社して1週間がと経とうとしていたところ。微妙な違和感を感じるようになってきました。
定時退社で早く帰ってると"やってる感"が見えないから早く帰るな。
はいりたてなんだから仲間として認めてもらうように努力するべき。
と私に対するクレームが上司からあったそう。
その指摘、Mくん経由でいう必要ある?
微妙な違和感を感じながらも、結果出してからじゃないと反論するのも違うしなと飲み込んで。まずは結果を出せるようにすることにしました。
この違和感は後日。確信に変わる日がくるのでした。
東京での住み込み研修
この会社は本社が東京にありました。
大阪は支店扱いでありリモートで作業をする関係上、顔と名前を覚えてもらうために東京に2ヵ月住み込みで研修に行くことが決められていました。
"そこまでやる必要あるんか?" と思いつつも、これもベンチャーか と飲み込んで住み込みでの東京研修へ。
シフト制で早朝や夜勤などを行い、できることを全部やって名前を覚えてもらうように率先して雑務も引き受けて対応をしました。
2ヵ月の研修の間。一度も電車に乗っていませんでした。
むちゃぶり
東京研修も終わるころには、いまも一緒に仕事をすることになる仲間も出来て。人生の中でも一番大きな送別会も開いてもらい大阪送り出してもらいました。
やっぱり対面で仕事をするのは密度が違うのでとても良いと思います。
(ただし、ご利用は計画的に。無理強いはダメよ。)
大阪に戻る過程でひとつの課題があることを聞きました。
東京の部門が1つ、仕事を抱えすぎており。仕事の再配分を考えたいとのこと。その再配分の手段として東京に残留する話もあったそう。
当座、私がやれることを提示して判断を仰ぎましたが。
リモートでできる形をとるとのことで一部仕事の割り振りを大阪で受け持つことになりました。
仕事の割り振りとはいいつつ、その実は 1部門単位で受けていたものを1人に再配分(!?) するという形での割り当てでした。
まぁ、文句をいっても仕方ない。できることからやるか。ということで若干不感症になってきていた私は受け入れることにしました。
むちゃぶり of むちゃぶり
やれるようにする為に仕事を因数分解して役割分担して自分でやるところと人の任せるところに整理して渡す。仕事が減る。 おかわりが来る。
そんなこんなを繰り返していたところ。
絶対に落とせないシステムのローンチがあるからやってほしいとのことで依頼をうけることになりました。
なんかよくわからんけど。まあやるわ。 と雑な返事をし。
いろんな準備をしてローンチを待ち受けることにしました。
ローンチ日。なにが起きてるかわからない状態で人生最大のスパイクアクセスを受けながら。なんとかやりきることには成功しました。
人生最大の達成感を得られるはずなのですが。正直あまりここの記憶がありません。あまり上手にできなかったような気がします。すみませんでした。
リーダーになる
ローンチ成功後、いきなり指名され。リーダーになっていました。
他の人がリーダーになると思っていたが頭角をさきにだしたのが私だったとのこと。
"ぜんっぜんうれしくねえ。"
この辞令になにかドロッとした違和感を感じ。
給料が増えるが。なにかトレードオフにさせられている。そんな感覚がありました。
この違和感はちかく。確信に変わる日がくるのでした。
なんかちがう? 違和感の確信
リーダーになったあと、仕事をすることで違和感の払拭ができると考えていた私は。顧客の価値提供においたチームビルディングが何なのか。
空いた時間で勉強をしながらお客さんとお話する機会も増えてきました。
仕事に対する期待とその期待を落とし込む仕事。メンバーたちにそれを伝えて納期をまもりながら約束を果たし続けること。 そしてその成果を達成感とともに昇給によって還元していくこと。
私のチームは技術力が低いといわれるメンバーの寄せ集めでしたが段々。大きな仕事がとれるようになってきました。
上司との1on1で話をするなかで違和感が確信に変わりました。
実務は大事だけど見え方・魅せ方がもっと必要。(ただし売上に協力していない)
役職を与えたりするのは飴と鞭だから、餌もあげないといけない。(ただし売上に協力していない)
そういうのがわかるようになったらもっと成長できるとおもう。(ただし売上に協力していない)
・・・自分のブランディングの為に部下をアクセサリにしてやがる。
自部門の売り上げの数字が大きく組織を支えていることを知っている私はこの人の言うことが自分に矢印を向かないこと前提だという違和感の答え合わせを完了してしまっていました。
私の昇格も私の成果ではなく飴のつもりだったんだな。
"やってる感"はこいつの面子の為の残業か。
売上に貢献していればいい。あなたがやっていることは外から見てキラキラしていることばかりだ。担い手への説明責任を果たせ。
リスペクトは消えました。
後日。私の退職か。上司との上下関係を並列にしろ。 と踏み絵を踏ませる暴挙にでてしまったのです。
それがいずれ最終的に自分に向く矢印になるとはわかっていました。
それでも、部下たちの成果をただしく還元するために止める気はなかった。
そのおはなしは後日のおはなし。
2016年転職していきなり大地震があったときのおはなし。そして、30代のはじまり。
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