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芸術と宗教

「宗教とは、長期的な政治である」昔、インドの政治家がそう言った。

古代では渾然一体であった、芸術と宗教。しかし、科学の進歩・宗教の堕落により、両者は分裂して今に至る。

とはいえ、両者の根は同じだ。それは強烈な現実拒否。彼らは現実に安住出来ない。はみ出し者故に「世界」を作るしかない。自分が生きる為にー。

しかし、目指す方向が違った。宗教は様々なタイプがあるが、宗教は自分だけじゃなく、世の中ごと変えようとする。

芸術は、熱中であり、それ自体を楽しむ行為である。いかに名作・駄作と呼ばれようとも、結局は個人の遊び。確実に変わるのは自分の気持ちだけだ。


宗教は外向きに、芸術は内向きに、花開くー。


宗教と言っても幅広い。古今東西、様々な形態があった。それは、ざっと4パターンに分けられると思う。

1.自然崇拝(アミニズム)。全ての宗教はここから始まる。恵まれる事への感謝。その継続としての祈り。素朴で穏やかな関係ー。

2.禁欲や修行によって、「力」、「真理獲得」へと目的が変わる。神仏を使っての願望成就。あるいは神仏になろうとする(教祖・開祖)。

3.厳しい修行をする宗教家を尊敬する人々、ファンによるコミュニティの形成。その理論が教育や政治に利用される。

4.宗教ビジネス。カルト。


オウム真理教による地下鉄サリン事件で、日本人の宗教嫌いは決定的になる。嫌いと言っても盲目的に信じる事が、だ。ジャンルは4。

多くのまともな宗教は、3だろう。団体のほとんどは信者であり、戒律と指導者に奉仕する。信者のほとんどは真面目で忍耐強いが、肝心な所で他力本願だ。

欲を叶えようとする世の中にあって、禁欲的な修行をするとなれば…。信者は疎外感にも耐えねばならない。

この忍耐強い禁欲が、現実の幸せにもなると言うのだから矛盾じゃないのか。教祖は「幸せな気分にしてあげる。有料で」と言ってるに過ぎない。

日本は八百万の神がいる、いわゆる原始的な宗教のアニミズムの神道に生きてきた。

昔から、自然が豊かで、食べるに困らない豊かな国だったから、宗教に対してテキトー。「雨乞いの舞」レベル。真剣に祈らない。

そんな土壌だから、妙な宗教がはびこる。


まあ、カルトは論外として、宗教自体は、人々たの安らぎ、「悪い事すれば地獄に落ちる」等の律法・治安維持として機能してきた。

もし信者が、ただすがるなら悲劇である。安易な安らぎと引き換えに、自主的に生きる事を放棄する。

優しい幻想の中だけで生きる廃人になるくらいなら、どっぷり俗に生きてる方が良い。そっちのが生き生きしてるし、幸せだと思う。

「どこにも神聖はない。宗教なんて、時代遅れの政治システム。卑劣な集金ビジネスでしかない」

世の中、そう思う人も多い。


芸術に話を変えよう。芸術は高尚なモノである。価格の上下に関わらず。個人の精神的格闘の末に、切り開かれた新しい世界だから。

それは人に力を与える。感動や刺激、あるいは幸福感として。

エンタメや、デザイナーだと、「売れる前提」で考えられるから、ちょっと違う。けど芸術的な破壊と創造がなければ売れない。芸術要素は必須だ。

大衆迎合だけしてればいい、ジャンルではない。作者は生みの苦しみを、繰り返し味わう。


芸術は自分から生まれるが、その際、少し自分から離れる。感情、本能、思考。自分を作る感覚から、いったん離れ、客観視し、創作する。

この「自分から少し離れる」行為、自身を見つめなおす行為が、芸術家の高尚な点だ。

作家に変人や不思議な人が多いのは、この自分離れをするからじゃないか。と思う。


そんなのは誰でも大人になる過程で、やる事で、珍しくもなんともない。と思うだろうか?

…そう。人は誰しも芸術家なのだ。作品なんか作らなくても。

ジョーク、話の種、遊び、飲み会、ファッション。人は日々、様々なモノを創造してる。

しかし、まぁ、話が収集つかなくなるので、作品を作る人に限定して芸術家と呼ぶ事にする。芸術家の方が、圧倒的に自分を見てるから。


宗教に話を戻す。これ以降は、開祖や、本気で宗教に本気で生きた人について語りたい。ジャンルは2。

苦しみから逃れるために、宗教に救いを見出す。苦しみが母体であるのは、芸術と同じだ。

でも宗教に行く人は、芸術なんていう遊びじゃ救われない程、深刻に苦しんでる。

開祖と呼ばれる殆どは、たぶん、芸術家なんだろう。戒律や教えは、実は、自分だけが救われる為に作ったものである。

感動した弟子が、尾鰭をつけて、壮大にしているに過ぎない。

そして宗教とは、開祖と似た感性の信者しか、本当には救えない。


「現実は苦しい」と言って、開祖は世間に背を向ける。煩悩や名誉、世俗的なモノを捨てて。完全に脱世間した者こそ、本当の宗教家じゃないだろうか。

芸術家は排他的だと前回「芸術と狂気」で言った。しかし本当の宗教家は、超排他的だろう。

作家みたく作品を通して、鑑賞者との交流もない。というか自分も現さない。愛されたい、認められたい、という欲求がない。

芸術家は苦しみながらも、何だかんだで、世間や自身、人生を愛してる。しかし、本当の宗教家は愛さない。何も愛さない。だから捨てる事が出来る。命さえも…。

その断絶の凄まじさー。彼は神秘的な世界観を体験してるかもしれない。それは、芸術作品以上に難解で、シェア出来ないモノではないだろうか。


宗教の神聖は、自分と世界を捨てて分かるのだ。


自分から離れ慣れてる芸術家は、世間の人から見れば高尚かもしれない。しかし、本当の宗教家の冷酷には届かない。

そんな人自体居るのか謎だけど…。私はリアルで会った事はない。会っていても、自分が気付いてないだけか。

地位や名誉、信者も、求めない。だから安い教祖なんかにならない。本当の宗教家はきっと、世間の片隅で静かに生きてるのだろう。


脱世間の宗教と、俗世間の間に、芸術が存在しているー。




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