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読書記録:ブルシット・ジョブの謎 クソどうでもいい仕事はなぜ増えるか

著者・酒井隆史
発行・2021.12.20
ISBN978-06-526659-5

ブルシット・ジョブ(=クソどうでもいい仕事)を論じたデイビット・グレーバーの「ブルシット・ジョブ」を翻訳した著者が,内容をかみ砕いて,多くの人にわかるように書いた本書。

社会学系の本はあまり読まず,知識に乏しい私には難解でめげそうな部分もあったけれど,なんだかんだ読了できたのは,自分の仕事に照らして,わかるわかるとなる部分があったからだろう。
ただ私にはわかったとは言えない。社会学の知識があれば,言わんとしていることがもっと理解できたんじゃないかと,さみしさも感じる。たまには普段読まない領域の本もいい,世界は広がる。

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タスク指向と時間指向

私の仕事は時間指向である。そして,現代では多くの人が時間指向の仕事をしているのではないだろうか。これができたら終わりではなくて,何時になったら終わり。この時間指向が,ブルシットな仕事を生み出すらしい。
時間を雇用者に買われているわけだから,雇用者からすると労働者が怠けている(ように見える)と,「俺の時間を無駄にするな」という気分になるそうな。そうやって,忙しく見えるようにブルシットな仕事が生まれていく。

私は仕事では本当に時間をかけたいところに時間をかけるために,さまざまな雑務を効率化するべく,他の人よりソフトがちょっと使えたり,小さな工夫をしたりしている。「仕事はできる人に集まる」というと聞こえはいいけれど,時間をかけたいところにかけるために効率化しているのに,「余った」時間で他の仕事を任されたのでは,ただ仕事が増えるだけである。そうやって「尻拭い」が増えていく。(と同時に,より一層効率化が進む。私自身のスキルアップにはなる。)
だからたまに,できていてもできていないふりをする。あるいは,取り組む時間を捻出できるときでも,尻拭いをさせようとしてくる人に,突き返す。そうでもしないと,時間をかけたいところに時間を割けない。人に任せてばかりの騒がしい人ほど,自分勝手に過ごしていたりする。なんてもやもやする現象なんだ。そっちの人にはなりたくない。だけど,正直者が馬鹿を見る,それも受け入れ難い。もっと伸び伸びと成長していきたいのに,こんなことにエネルギーを割くのは,とてもブルシット。


ケアの次元

労働はモノを生産することばかりではない。人のケア,それは介護や教育だけではなく,客の問い合わせに応じたり,忘れ物を管理したりすることも含む。何かモノを生産するわけではない,人に由来した労働。
労働をモノを生産することとして認識していると,人のケア,エッセンシャルワークと呼ばれる労働を不可視化し,価値の切り下げをもたらす

モノの生産は,とかくわかりやすい。そこにモノが生まれるから。一方で,人のケアは見えない,そして,多岐にわたる。量的評価がチヤホヤされる中,人のケアをどれだけ量的に評価できるのだろうか。私たちの感情は,数値化できるのだろうか。機微を捉えることのできる人ばかりが,苦しみはしないだろうか。ケアは必要である。それでも不可視化され,評価されず,声を上げれば「やりがい」を盾にされる。自分の仕事に意味があると思うからこそ,いくら賃金に結びつかなくても,心身を疲弊しても,その場から逃げようとは思わない。これのどこが,健やかな社会だと言えるのだろうか。


もし「経済」に実質的な確信があるとしたら,わたしたちが相互にケアし健康で豊かで,不安や恐怖にさいなまれることのない,ストレスからも解放された生活を送ることであるはずだ,と。

P.243


日々に疲れ,南の島でゆっくり過ごしたいと思うとき,南の島では現地の人がゆっくり過ごしている。
なんて怠け者なんだと思うだろうか?自分もそんなふうに過ごしたくて,南の島に行きたいと思ったのではないだろうか?


ブルシットにしているのは自分自身なのかもしれない。
この社会を形成している一因として,この生きづらい世の中に加担しているのかもしれない。空気感に飲まれて,声を上げないのは自分だ。行動しないのも自分だ。私には何ができる?どうすれば,みんなが健やかでいられる?

社会のあり方は,今の社会だけではない。
「想像力」のその先に,みんなが健やかでいられる社会を見たい。


余談
ブルシット・ジョブって概念があるらしいよ,日本語だと「クソどうでもいい仕事」と訳されているんだってと同僚に話したとき,同僚が一言,「これもクソシットジョブ?」。心底,この仕事が嫌なのはよくわかった。

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