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なぜ当事者が集まる居場所を作ろうと思ったのか?について考えてみた

こんにちは|*・∀・`)ノ゙

前々回は本音を出すことの重要性、前回はどうやって相手に届く情報を考えるかについて書きました。

今回は3部作の最後(今決めた)

テーマとしては、
なぜ「日本離婚の子ども協会」は親の離婚を経験した当事者同士で集まることを重要としているのか?
集まったその先で何を目指しているのか?

前回の反省を踏まえ、事実より感情面を多く出すことを意識してみました。

私個人が目指しているものと、団体として目指したいものは色々な部分で重なっております。

これらを同じ当事者の方々に対して、本音を交えて語りたいと思いました。

例の如く個人的な意見満載ですが、決して押し付ける気はないので、気に入らなければスルーしてください。


今日の目次

1、自分の過去の経験から得たこと
2、団体としてできること
3、個人としてできること
4、さいごに

今までで一番長くなっちゃったので、全部で30分くらいかかるかも^^;

当事者団体の未来とはどんなものなのか?
時間が空いてるようでしたら、よろしければご覧ください。


1、過去から今に至る話

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前々回の本音を語る環境の話で出ましたが、私は家族の悩みを抱えてから、しばらくその中身をほとんど誰にも打ち明けることはありませんでした。(17~27歳の間)

打ち明けたとしてもせいぜい愚痴るくらいで、こちらの人生に介入してくれるくらい助けてもらえそうな機会にも出会え無かったので、そこから先の未来を想像できないことが結構しんどかったですね。

たまに友人と会って遊んでいても、帰って一人になると、どうしようもない無気力感に襲われ、自分が何をしたいのかわからなくなることもしばしでした。

形として生きていましたが、中身は希望の無い泥の中で、毎日這いずりまわっていたように思えます。

たまにネットで離婚相談のサイトを検索していましたが、残念ながら芳しい成果は見出せませんでした。
(あっても大体は親が対象で、しかも有料1時間5000円~・・・(´д`;)ハァ)

色々あって両親が別れ、2011年の震災を経た翌月くらいに、ようやく新しい出会いがありました。

それがSNS mixi内コミュニティの親の離婚を経験した子どもという場所です。

コミュニティの書き込みを読んで、自分の求めていたものを発見できたと救われた気持ちになったのを覚えています。(6年前に管理人の方に送ったメッセージが残っていたので読み返してみました)

結局本心を言っても伝わらないのなら意味がない――
誰も自分をわかってくれないという思いが心を閉ざさせて、どんどん「このつらい思いをさせる原因=家庭環境」への苛立ちを増幅させていたのだと思います。
(一部略)
 決して傷のなめ合いがしたい訳ではなく、かと言って根本的な解決を目指すというところまでも行かない少し緩い関係の集まり・・・
そんな物がどこかにあればなぁなんて思っていました。 

この後も、今と大して変わらないことを言ってますね。
成長をしていない^^;


ここでようやく本音が出せる

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このコミュニティでは家族に関わる様々な悩みが、沢山書かれていました。

その書かれていた内容を一つ一つ読んでは、そうだよなぁ、わかるわぁ~って頷いていました。

誰か特定の意見に感銘を受けたというより、その場所が作り出す本音を言える安心感というものに強く惹かれたのだと思います。

家族の悩みに付き合わされるようになって以来、初めて思っていたことを正直に全て語ることができました。

思ったことを思ったまま口にしても変な顔をされない。

自分の存在を肯定的に見れた、あの時が一つの峠を越えた瞬間だったのだと思います。

それで、そのあとはオフ会に参加したり、体験集に自分の経験を書いて載せてもらったりと、結構積極的に人と触れ合うようにしていました。


多様性がある環境

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私がこのコミュニティに入って良かったなと思った点の一つに、同じような過去を持ちながらも、様々な意見を持つ人々に触れることができたということがあります。

結果として、気持ちの落とし所をある程度整理できました。

以下は、自分が悩んでいたころに心によく浮かんだ疑問に対する、現在の個人的な意見です。(また時間が経てば変わるかもしれませんが)

①成人になったら、自動的に親の悩みは解決するのか?
そんな訳ないと思います。
前提として悩みの内容は人それぞれ異なりますから。
年齢的な成長と、困難を受け入れる精神的な成熟は決して比例するものではないと思います。
何歳になっても問題の根本が解決していなければ、心にわだかまりは残り続けるのではないかと。

②人生の不幸の全てを、親のせいにしたいのか?
自分のことを語る上で、常々この疑問と向き合ってきましたが、やはりNOと答えます。
①番では影響は残ると言っていますが、少なくとも大人になってから選択したものに対する意思は自分で決めました。
成長すれば待っているのは、自分との闘いです。決めたことに対して意地張って生きています。
だからこそ、過去を受け入れ、前に進む選択をしたのは自分の意思によるものであり、私は親の責任を問いたい訳ではありません。(もちろん自発的に反省してもらえるなら、それに越したことはありませんが)

③自分は同情を欲しているのか?
不特定多数の人にネガティブな過去の経験を積極的に公表する際、”不幸アピール”と取られることがあります。
また、世間的には不幸を乗り越え、幸せになる物語が好まれている印象も感じます。
私は同情を求めていませんし、同時に褒めて欲しい訳でもありません。
自分が生きる道を求めて、最も適していると考えた姿に変化しただけです。

全員がカミングアウトしたいわけではない
一番多様性を感じている部分です。
同じ親の離婚経験者でも、過去を積極的に公表できる人がいれば、またその逆もいます。
私は上記のとおり積極的な発信は好みませんし、そもそもカミングアウトをしなくても悩みが気にならない社会にしたいと考えております。
しかし、これはどちらにいいも悪いも無く、結局のところ好みの問題であると考えられるようになりました。


2、団体としてできること

自分を知る

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このようにコミュニティ入って得られたことは、色々なものに気付かさせてくれました。

もっと気付く機会を多く得られれば、問題の解決を早く導けるのではないかと考え、インターネットのコミュニティから、現実の組織化へと動き出したのであります。

現在は簡単な会話をする懇親会のようなものから、我々のような当事者を対象とした英語の文献を利用した学習会を行っており、今後は心理学の専門家を招いた講演会のようなものまで考えているところです。

いずれにしても、自分を知るための自己学習する機会の提供を進めていきたいと思っています。

ところで、ナラティブ・セラピーという言葉をご存知でしょうか?

ナラティブセラピー:クライエントの語るこれまでの人生の物語を、クライエント自身が再構築して新たな物語にすることで、問題の解決を目指していく治療法のこと。
心理学用語集 サイコタム

自分たちが体験を語り合うことや記録に残すことは、このような行いに近いものかもしれません。

しかし、我々は素人集団です。
当然のことながら医療行為はできません。

もし医学的な治療を望んでいる方が来た場合、自分たちの対応できるものではありませんので、カウンセラーや精神科医の方、または行政のサポートへ繋げるなど行うでしょう。

あくまで、普段の心のバランスを保つための居場所の一つとして使っていただけたらと考えております。

では、当事者たちが心のバランスを保ち続けるにはどうしたらいいのでしょうか?

それは継続的な関係性が重要だと考えます。


時間という問題

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以前当事者団体をやりたいと話した時に、当事者本人が解決したらそれで団体としての役目は終わるのではないか?と言われたことがあります。

確かにそうでしょう。
むしろ悩む人が居なくなるのなら、それでいいと思います。

しかし、我々は年を取ります。

物事が解決すれば、そのまま未来が永遠に良くなるわけではありません。
自分も周りも変化し続けるのです。

例えば自分のこれからあるかもしれない場合で言うと――

・結婚した時(→もし親と同じように離婚する可能性が出たら?)
・子どもが生まれた時(→もし子どもとの関係が上手くいかなくなったら?)
・親の介護が必要になった時(→介護の関係で今の生き方を変えざる負えなくなったら?)
・親が亡くなった時(→親との人生にどう結論付けたらいいか迷いが生じたら?)

家族関係でネガティブな部分を思い出すタイミングはどこにでも潜んでおり、再び心のバランスを崩してしまう可能性はいつでもあります。

そのような時でも気軽に話のできる場所があれば、心の負担をそれほど溜め込まずに済むのではないか。

家族の話題において、ネガティブな内容を共有し合える存在は貴重だと思います。

だからこそ、時間的な側面をカバーできる活動をしたいと考えております。

お互いが負担にならないような、支え合いの関係性を長い間保つのは難易度が高いことだとは思いますが、このような関係が続く組織であることが重要なことだと思います。


目指すゴールはまだ未発見

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「当事者同士が集まったからって意味あるの?」
「あなた方を支援するとどういう未来が待っているのか?」

今後活動していく中で、このような疑問を投げかけられることもあるかと思います。

正直に申しますと、我々が自身を学んだ末にどうなるのか、活動の先の答えはまだ見つかっておりません。

正解が無いのだから自分たちで見つけて行くしかない。
理由を探すのでは無く、理由を作っていきたい。

イノベーションとは、今まで結びつきのなかった要素同士が結びつき、新たな価値を生み出すことだと教わりました。

理想としては、ここで知り合った人たちの結びつきから、新しい時代の生き方が生まれる場所になってくれればと考えています。

家族で色々悩んだ人、親の離婚を経験した人、全てに合うとは言いません。
合わなければそれでいい。
個々人がそれぞれ合う場所を見つけれくれればいいのです。

ネガティブなパワーを、ポジティブな方向へ進む力にできればと考えております。

絶望の先に光があると信じたいです。


3、私のできること

最後になりますが、今の私にできることを書きたいと思います。

社会人になってから、就職したけどすぐに辞め、自立に失敗しました。
うつ病になりながら、ニートとフリーターの狭間で生きてきました。

32歳で会社を首になりかけた際、自分には何ができるのかさんざん考えました。そして、最終的に残ったものは”自分と同じ思いをした人のためなら、生きられるのでは?”ということでした。

今までは仕事について、やりたいことを選んでいました。
しかしできることとは別でした。

私のできることは、コミュニティを通して学んだことを、他の必要としている人に届けることです。

これからは、できることをもとにやりたいことを実現していけたらいいなと考えております。

ですので、団体の活動と個人の理念は密接に関わっております。

個人の理念は本音を出せる環境を増やす、同時に本音を話したい人のお手伝いをすることです。
団体の理念は、親の離婚経験者の自由に話せる居場所を作ること。

両方動機は同じ、自分の幸せのためです。

団体で活動を行うことは自分のためだと思っております。

誰かを助けたいのではなく、誰かを助けることで自分自身を助けたいのだということを強く自覚しております。


助けたい対象

私は助けて欲しいと大っぴらに言えない人でした。
大っぴらに言えてれば、苦しみの渦中どこかのタイミングで助けられていたかもしれません。

ですが、波風を立てたくないと思う人の気持ちもわかります。
我慢強い人ほど、他者の手を借りにくいと感じているのではないでしょうか。
だから、心の底では助けてって言いたいけど、現実では言えてない人を助けたいです。

なぜ気軽に助けを求めることができないのか?

プライドだったり、恥ずかしさだったり、自分と向き合う恐ろしさだったりと色々考えられますが、最終的には信じる材料が足りないからかもしれません。

最低限、どこまでも誠実であること。
この辺は信頼関係を積み重ねていくしかないかと思っています。


そういう人がアクセスしやすい環境作りが目下の課題です。

こうしてインターネットの片隅で意見を書くのも、そういう人へのアプローチになればと思っております。

自分ができる範囲で、悩んでいる方々の心が少しでも楽になる行いを続けたいと思います。

ただ同時に、助けることを押し付けるつもりもありません。
自分のやり方が正しいか間違っているかは、その人に委ねられていますし。

人を助けるって、そもそもそんな簡単なことではないと思います。
本気で助けるということは、その人の人生への介入することと同じではないかと。
自分にその覚悟があるか??

さすがにそこまで責任は持てないですし、持つ気もありません。

お互いのことはお互いで、荷物が重くなったらみんなで分けて・・・
依存では無い、共存の世界を作りたいと思います。

今のところ、私は自分の生涯をコントロールするだけで精一杯です。
仮に本気で心から支えようと思ったら、愛する人1人に捧げられればそれで十分かと思います。


これからやりたいこと

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今後は本音を出すことと、人生の充実度が高まることの相関関係を見出せていけたらと思います。

ここである程度証明できたら、他の色々な場づくりにも応用できるのではないかとワクワクしております。

特にネガティブ情報を共有し合える関係作りは、自分の経験が活きると思います。

もしあなたが何かの当事者で、相談場所が無く自分でコミュニティを作りたいのだがどうしたらと考えている方がいらっしゃったら、お気軽にご相談ください。


ニュースを読むようになりましたが、AI関連の話題が増えています。

これからAIの利用によって、人のできる仕事はどんどん変わってくるかもしれません。

人間関係を作る仕事は、AIに代用されない代物を目指していけたらいいなと思います。


全国にいる色々な当事者団体の運営者で、サミットなんかも開ければ面白そうだなと思いました。
ここでの意見を集約できれば、団体として最低限守るべきルールなどを配布できますし、より当事者団体を作りやすくなるかと思います。


私は人間を知りたいという気持ちが強いです。
自分自身がこのように複雑怪奇に育ってしまったため、自然と他の人が何を考えているのか興味も湧くのでしょう。

そうして、自分が興味を抱いた人たちと新しいことに挑戦できれば充実した生き方を送られるのではないかと感じております。


最近知ったうつの突然リターンの話

うつ病とは山と谷を繰り返して、回復していく。

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仮に何年後か団体を経営難で潰したとしても、その経営した経験に嘘はないのだから、自信となるようになればいいですね。(笑)

しかし、この漫画興味出てきた・・・
誰か親の離婚当事者で漫画描いてくれないかなw?


最後に

私の名前は「信吾」と書きます。

吾=我(自分)を信じるという意味です。

良い名前だとは思いますが、過大だなとも感じます。
散々自分を信じられなくて苦労してきましたから・・・^^;

ところで、マツコ・デラックスさんが書いた本でこんなこと言ってました。

自分さえ信じちゃいない若い子が多いって言うけど、自分のこと信じるなんてのは、罵られ、知らんぷりされ、踏んづけられるような思いをし、それでもバカみたいに、勘違いでもいいから本当の自分とやらを見つけるために彷徨った挙げ句、その遥か先にほんの少し、うすぼんやりと見えてくるようなものじゃない。

好きな漫画で、「ひとはこんなにも時が過ぎた後で、全く違う方向から、嵐のように救われることがある」という一節を思い出しました。

ありがとう、マツコ・デラックス

少なくとも、私はあなたの言葉で救われた気がします。


2/28は誕生日

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実は去年の2月28日が団体の結成日です。
無事に?こうして誕生日を迎えることができました。

ですので、去年からの1年のことを含め色々振り返ってまとめてみました
また次の1歩へ踏み出せたらいいなと思います。

こちらは、困難な状況の中でよく聞いた自分の好きな曲
the pillows - Another Morning

(原曲もいいけど、LiveVersionも好き)

今現在苦悩の中にいる皆さんのもとにも、生まれ変わる朝が来ることをお祈りしております。

ではまた(*・∀・*)ノ

何らかのアクションをいただけると、一人で記事を書いてるわけではないのだと感じられ、嬉しくて小躍りしちゃいます。