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私が生きる意味

2021年11月時点の私が考える、生きる意味。

その前に、これまでの私の考えを振り返る。

20歳のとき、生きる意味はないと思ってた。生まれてしまったから生きるしかないって。

だけど電車に飛び込みそうになった経験をして、自分が死ぬと周りの人たちの人生を変えてしまうことに気がついた。それから、2人の友人と妹が生きている限りは生き続けようと思うようになった。
私が生きる意味は、その人たちがいる限り、生き続けることだった。

それからさらに時間が経って、私は人並みの社会生活を送れるようになった。職場の同僚など、大事な人が少し増えた。
それとともに、これまで近くにいてくれた人たちの存在を大事に思うようになった。家族とか、親友とか。
私が思う「私が死ぬことで人生を変えてしまう人」が増えた。

そんな今の私が考える、生きる意味。

それは、「この人がいる限り生きていよう」と思える人を増やすこと。
そしてその人たちを大事にすること。


例えば、過去の私は結婚とか子どもを産むことは必要ないと思っていた。一人で生きていけるし、そんな存在がいると死ねなくなるから。
だけど今は、結婚して子どもを産んでもいいんじゃないかと思っている。大事な人が増えるから。自分が生きなければいけない理由が増えるから。エゴなんだけど。
もちろん結婚以外の人間関係だってそうだ。一人で生きていける私に(でもいけない私に)、大事な誰かがいたっていいじゃないか。


そして、この生きる意味は、死なないための大きなモチベーションになると思っている。
うつ病の症状のひとつに希死念慮があるんだけど、こいつが厄介で、気の持ちようでなんとかならないことが稀にある。頭が痛いときに気合いで治せって言われても無理でしょ?それと同じ。

だから、死にたくてどうにもならなくなったとき、この生きる意味を思い出すようにしたい。
まあそれも気の持ちようなんだけど、「この人がいるからまだ生きてよう」って、踏みとどまれるように。そして、余裕があれば、周りの人たちを大事に思えるようになりたい。

高校時代救われたインターネットのうつ病に関する記事に、

「生きる意味は生きることにあります」

と書いてあった。
筆者の意図はわからないけど、生きる意味なんて生きることでしかないんだから、ただただ生き続けなさいって、それでいいんだよって言いたかったのかもしれない。

高校時代の恩師は倫理哲学の先生で、「生きる意味なんて考えるときはだいたい病んでるから。ほら、楽しく遊んでる幸せな小学生は生きる意味なんて考えないでしょ」って言ってた。

生きる意味なんてないのかもしれないし、あるとしても「生き続けること」でしかないのかもしれない。 

だけど私は、死なないために、生き続けるために、理由が必要なのだ。
そして現時点の答えが、「この人がいる限り生きていようと思える人を増やすこと そしてその人たちを大事にすること」なのだ。 

またこれから人生を経験して、生きる意味は変わっていくものだと思ってる。けど、今のところはこういうモチベーションで、私は生き続けようと思う。

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