あの子のはなし

私の頭の中をゆっくりと紡ぎます。noteという誰も知らない空間で赤裸々に。忘れっぽくて…

あの子のはなし

私の頭の中をゆっくりと紡ぎます。noteという誰も知らない空間で赤裸々に。忘れっぽくて不器用なあの子のはなし。

最近の記事

ホームシックな戦友たちよ。

ホームシック中な私。 ホームシックだと周囲にたくさん言っていたら、周りの人たちが助けてくれて、やっと少しずつ馴染んできた。人ってあたたかいんだな。 いつか金◯先生が1人と1人が支え合って人になるみたいなこと言っていたじゃない。あれって本当だよ。支えてくれる人がいるから私は人で居ることができる。もしもいなかったらただの一本の棒で、何も感じない孤独の中にポツンだ。実家を離れて3日目の私なんてこの先どう生きていこうかってこの世の終わりのような気がしていたよ。 ホームシック中な

    • 早速ホームシックで辛すぎる

      実家を出て3日目。初日から感じていた感覚がだんだん大きくなってきた。これはいわゆるホームシックだ。実家が恋しい。家族に会いたい。 ノープランでとりあえず実家を出たことを後悔してももはや遅い。 お金のゆとりは心のゆとりという言葉は本当なのかもしれないと思いだす。転職先も決めずに仕事を辞めた自分に馬鹿だと声を大にしていいたい。3日目にして2キロ痩せた。それでも旅行で太った分の清算はそれでもできていないのだけれど。 くそ、こんな状況なのに笑っている自分に腹が立つ。苦しいなら苦し

      • 実家を出る前日

        私のいなくなった家で、家族はどう過ごすのかと考えるけれど、きっとそれは何も変わらない。きっと元気で今まで通り生きていくんだと思う。 家族と離れて、私はどう過ごすのかと考えるけれど、きっと忙しい日々に追われてあっという間に過ぎる。きっと楽しみながら生きていくんだと思う。 でもきっと夜になると寂しくなるし、ふとした時に思い出す。元気だろうかと心配して、心配をかけないようにどうにか取り繕う。 帰る家がある、帰る場所がある。だからきっと私は大丈夫、そう言い聞かせる。 いつか来

        • アラサーなのにやっぱり親離れができていない

          私は仕事を辞めた。自分の意思で。 アラサーの私は初めて実家を離れる。 だから、今日は親離れについて考えてみる。 私は親離れできていない、と思っている。 だけど表面上はできていると言えるらしい。 というのも、 親離れ・・・【子供が成長して、親の保護なしに自力で行動できるようになること】 と定義されているからだ。 それはできている。でもどうだろう? 真の意味で親離れができているのだろうか。 面白い記事に出会った。 「真の親離れができていない人は、親を1人の人間として見ること

        ホームシックな戦友たちよ。

          シコリとの決別

          6年働いた会社を今年度いっぱいで退職する。 会社自体に対する不満はぼちぼちあるものの、同じ部署の先輩にすごく可愛がってもらっていたと実感していて、慣れ親しんだ場所を離れることに寂しさや不安を感じている。それでも退職を決意した訳はまた気が向いた時note.に残してみる。 退職については今年度に入ってすぐに伝えていたこともあってスムーズに進んだ。ただひとつ心のシコリがあるとしたら毎年消化しきれず捨てている有給の存在だった。 はじめに上司と話をしたのは七夕の日だった。5ヶ月と

          シコリとの決別

          桐灰カイロ

          明日は仕事。寝なくちゃいけないのだけれど、ちょっと書かずには居られなかった。 今日桐灰のカイロをポケットに忍ばせながら1日を過ごした。まだ暖かいカイロを捨てるのは勿体無くて、布団の足元に入れておいた。そして今、その布団に足を入れたところ。カイロを入れておいたことなんてすっかり忘れていたから、単純に暖かくて幸せな気持ちになった。 そういや、祖母がよくやってくれていた。祖母は泊まりに行くとベッドを私に貸してくれて、自分は床に布団を引いて眠る。頭元にはいつもラジオを置いて、ラジ

          深い夜の時間

          さあ夜も深くなってきた、この時間が私は好きだ。きっと木の葉も眠る時間。そんな時間が私にとって大切だったりする。 夕飯を食べてお風呂に入って、なんとそんな時間から片付けをする気分になった。だから棚の中をああでもないこうでもないと片付けて、いまこの深い夜までやって来た。 エアコンで暖めた部屋、暖かいけれど少し人工的なところが残念。この静かな時間を楽しむために人工的な暖かさと別れを告げた。電気を消して、キャンドルをつけて、ルームスプレーを振ったらもう言うことなしだ。 うんうん、この

          もっと不真面目に生きればいいのに。

          私は真面目すぎる節がある。 何故そう思うかって? それはもう、周りからそう言われるもん。 そう自覚するしかないじゃない。 私は真面目すぎるんだって。 私は私自身が真面目すぎることに対して、少しだけ、いや。まあまあイラついている。 もっと不真面目に生きればいいのにと、他人事に思って、真面目すぎる性格を馬鹿みたいだと何処かで思っている。 だけれど、不真面目になるということは何故これほどにも難しいのだろうか。 仕事となると特にその傾向が強く出る。 何でも完璧にこなさないと、

          もっと不真面目に生きればいいのに。

          わたし、という人間。

          わたし、という人間はいつもそうだ。 いつも決まって物事から一歩遠ざかっている。そうして冷静なフリをする。 いつも決まって全力の一歩手前だ。失敗した時に傷つかないように。 それに、いつも決まって想いを言葉で伝えようとしない。いや、多分どこかで面倒に思っている。 それでは駄目だ。大切な人にそれでは駄目だ。 わたし、という人間を変えてしまえ。 わたしの好きな人間になってみせて。

          わたし、という人間。

          新宿東口広場、待ち合わせのはなし

          私は諦めが早い フリをする。

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          新宿東口広場、待ち合わせのはなし

          それでも私は私を愛していたい。

          私はコンプレックスの塊。 人によっては嘘だろと言うかもしれない。コンプレックスの塊ならば人前に出たくないはずだと言うかもしれない。だけどそれは違う。 ひとつは表現することが好きだから。 ひとつはコンプレックスも愛していたいから。 私の大切な人たちがこんな酷い私を愛してくれているから、私は私を愛していたい。

          それでも私は私を愛していたい。

          私の個性的な部分は大方削ぎ取られ、みんなと同じような形にある程度整えられた

          以前記事にも書いたように子どもの頃の私はきっとみんなと違っていて、よく言えば個性的だった。だけれどみんなと同じように普通学級の小中学校に通って、高校と専門学校を卒業した。そして私はあと少しで社会人6年目だ。 ちゃんと社会でやっていけているってことはみんなと同じようになれたんだね、そう思われるかもしれない。 日本の教育は不思議なもので。集団行動、規律を守って、右向け右、と教えられる。その甲斐あってか私の個性的な部分は大方削ぎ取られ、みんなと同じような形にある程度整えられた。

          私の個性的な部分は大方削ぎ取られ、みんなと同じような形にある程度整えられた

          それらの中にも暗闇が潜んでいることを知った

          ルーブル美術館展 愛を描く 何故足を運んだのか。それは単純に興味を唆られたから、それと近頃は愛について考えることが多いからで。私が生粋のクリスチャンなわけではないので、美しい絵画たちの全てを理解することはできていないのだろうと思っている。それでも私の薄っぺらな知識で観て得たものは大いにあった。 多くの人にとってきっとそうであるように、私にとってキリスト教、クリスチャンと言われる存在は神聖で美しいものだ。だからこそなのか、手を触れてはいけない触れてしまったら壊れてしまうよう

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          曇り空の景色を君の後ろ姿が持ち去って行った

          そうそう。あの子のことをまた少し知ることができたのでここに残しておこうと思う。 あの子はカボチャやサツマイモ、ジャガイモつまり芋類が嫌いで(別にちゃんと食べるけれど)理由は食べるのに疲れるからだと言っていた。よくあるパサパサが嫌とかじゃないみたい。そしてあの子が言うにはポテサラは別らしい、ポテサラは美味しいらしい。それにとろとろプリンが嫌いで硬めプリンは好き。ポテサラは元を辿ればジャガイモだし、とろとろプリンも硬めプリンも大まかに分類するとプリンだ。なんだろうそのちょっとし

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          曇り空の景色を君の後ろ姿が持ち去って行った

          それさえも愛おしく思えて許せてしまう

          13時半に待ち合わせ。遅めのお昼ご飯を食べて映画を観て、夜ご飯を食べて私は今帰りの電車に揺られている。(書いている間に寝床まで辿り着いてしまったけれど)ザックリとまとめて仕舞えばこんな1日だった、まとめて仕舞えばありきたりな1日だった。 朝から雨がしとしとと降り続いていて、空気を冷たく湿らせていた。春がすぐそばに来ていると思ったらこれだ。1人でいる時はその冷たく湿った空気が嫌に私を冷やした。けれど2人で居たらそれさえも愛おしく思えて許せてしまう。寒いを理由につけてくっつける

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          それさえも愛おしく思えて許せてしまう

          ドラえもんになった気分を反芻しながら味わっている

          時が来た。会えない時間が長くなってしまったからワクワクのなかにちょっとだけドキドキとした不安が混じっている。ドキドキ、でもやっぱりワクワクで私は浮き足だっている。きっと3センチくらい宙に浮いていて。それはそれはもう、ドラえもんになった気分を反芻しながら味わっている。 味わえど腹が減っている。だからとりあえず腹ごしらえ。腹が減っては戦はできぬと言うくらいだからとりあえず腹ごしらえだ。その後のことはそれから考えよう。 幸せな時間になりますように。

          ドラえもんになった気分を反芻しながら味わっている