それらの中にも暗闇が潜んでいることを知った
ルーブル美術館展 愛を描く
何故足を運んだのか。それは単純に興味を唆られたから、それと近頃は愛について考えることが多いからで。私が生粋のクリスチャンなわけではないので、美しい絵画たちの全てを理解することはできていないのだろうと思っている。それでも私の薄っぺらな知識で観て得たものは大いにあった。
多くの人にとってきっとそうであるように、私にとってキリスト教、クリスチャンと言われる存在は神聖で美しいものだ。だからこそなのか、手を触れてはいけない触れてしまったら壊れてしまうような繊細さを感じてしまい、距離を置いてしまうところがある。
愛、それは深海にも似るほどにとてもとても深いものだ。愛についての正答は誰であろうときっと出せないと思っている。だって百人十色、それぞれに答えが違うはずでしょう。答えは出ない、それなのに深く深く潜ってしまうのは何故だろう。
絵画を通して神聖な存在に少しだけ優しく触れてみると、それらの中にも暗闇が潜んでいたことを知ることになった。それは闇があるから光があるのだとでも言っているように。
欲情、掠奪、無性、犠牲、牧歌的、、愛には様々な形があって。これらは現代にも通ずるものだ。そしてそれが神聖な存在だとしても同じであったのだ。
欲情や掠奪と言った愛は本能的なものだろう。半人半獣で描かれていることが表すように。良し悪しは別として、彼らは本気で愛しすぎて、どうしようもない感情を抱いてしまっていたのだろう。それを野生的な面が非理性的な面が行動に移させた。
だけれどやはり愛は溜息がでるほどに美しい。両性具有的な少年が表すように。手先から足先までの繊細さ、滑らかな混じり合う曲線、見つめる瞳から溢れてしまっている思い。本当に美しかった。そこには確かに愛が存在していた。
ここまで散々と話をしてきたが私が言いたいことは是非その目で、目の当たりにして欲しいということ。目の当たりにすることは財産になる。百聞は一見にしかず、まさにその言葉に尽きる。
是非目の当たりにしてください。
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