推し活と推し活に潜む問題点
こんにちは、イナモトです。
今日は
推し活と推し活による弊害について。
私はとあるオタクです。
でも1つ、1人に限らず
色々と好きなものは多いです。
物心ついた頃から
基本的に人を推してます。
何十年オタクです。
(今は音楽・バンドオタク。
好きなバンド、好きな曲、
好きなアーティスト、ライブ、グッズ。
SNS発信、ファンコミュニティ。
ハマるコンテンツの供給は
やまない止まらない。)
世間的にも「推し活」商戦まで
出てくるぐらいには
推しがいる生活に対しては
何も特別な習慣ではなくなってきた。
最近は平日も休みも
推し活という活動で
私は1人でめっちゃエンジョイしてます。
親しい人たちに会わなくても平気だし
1人でどこへでも出かける。
お金も時間も自分の欲望のまま
オタクをしている。
昨日もイベントに行って
めっちゃ楽しかった。
日常に、推しがいることで
私の人生がなんとか保たれている。
推し活の日程が決まるたびに、
寿命が伸びた。そこまでは死ねない。
そしてそのために労働する。
それが今の私にとっての
生きるためのモチベーションである。
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ただ、推し活をしている時間が楽しくて
日常のほとんどを推しが居る生活を
しているせいか、
推し活による弊害というものもある。
それは、
自分以外との関わり。コミュニケーション。
オタクあるあるですが、
好きなものについての話題は尽きず
永遠と話してしまうところ。
そしてなによりも、
その話題について相手が知ってようが
無かろうが、話してしまうところ…。
あとは、
いつも推し活ばかりしているので
推し活以外の話題が乏しく
友達や知人との話題がなくなること。
家族であれば今のところ
ハイハイって感じに
ただ聞いてはくれる。
ただこの間、仲の良い友達に
推し活で嬉しかったことについて
ついLINEをあれこれ送ってしまった。
何ラリーか返事をしてくれたが
途中で返事が途絶えた時に
ようやく
あぁ…またオタクを発揮してしまった…
気持ち悪がられた…
めんどくさいと思われた…
と気づいた。
この友達だけには
嫌われたくないのに…。
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正直なところ、
何度かこのnoteでも書いているが
ここ数年、仲が良かった友達何名かと
それぞれ疎遠になった。
理由はあるような無いような。
ただライフステージの違いと
住む生活スタイルの違い、
価値観の違い、
何よりもお互いの時間が合わない、
合う話題も減ってきた。
会う理由が見つからない…。
衝突もあった人もいる。
そんなところ。
だからそんな中、
今仲良くしてくれている友達を
失いたく無い…。
でも、いつかこの友達とも
疎遠になってしまうことを考えると
私は人との関わりについて
見つめ直す必要があると思う。
推し活以外で
人生を楽しく過ごすこと。
人との繋がりを構築すること。
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正直なところ、
推しは消えない。作品は消えない。
人間は消える。
その違いがそもそも私にはあり
自分の支えとして変わらずそこに
在り続けるか否か
揺るぎない大木のような
いつもそこにあるというもの
今の私の推し活中心の生活に
至った理由として
必ずしもその考えの影響はある。
推しは変わらずそこに居てくれる。
変わらないものとして形を残し
信頼を示してくれる存在。
その揺るぎない存在に比べ
友達や知人に
それを求めることはできない。
できないからこそ、
しない。
こうして
推し活=孤独の道
になってゆく、
最近巷でもそんなワードがあがっている。
推し活は孤独の証。
人生や人間社会での虚しさを
救ってくれる先が推し活。
オタクは孤独なのだ…。
推し活は幸せ。
でも不幸せの裏返し。
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今日はただ、とある友達に
嫌われたくない気持ちから
ただただ内心をつづったnoteでした。
1つの出来事に左右されやすく
自分の頭の中身は
常に独り言で忙しいことに気づく。
長ったらしいnoteだわ。