#部活の思い出 × 学んだ10個の大切なこと × アイデンティティ
2023年4月、まさか40代になって自分のアイデンティティを見失うとは思ってもみませんでした。「今の『いま』」で自己紹介をするとしたら、
4月1日から無職です。
同居する家族はいません。
これがいまの自分。ある意味では、人生の折り返し地点で何の縛りもないオールフリーな状態。改めて作り直す『アイデンティティ≒自分らしさ』が、noteでのテーマです。すでに締め切られていますが、「#部活の思い出」で自分の学生時代を振り返ってみます(約5900字)。
部活の思い出を振り返ると、みなさんはどんなことがあるのでしょう? 周りの友人から話を聞くと、練習が大変だった、仲間との時間、目標に向かって頑張ること、といったキラキラした内容が多いです。
参考までに、「部活動で学んだ10個の大切なこと」というブログ記事より。
友人たちも大別すれば同じようなことを言っていました。皆さんはどうですか?
しかし自分はといえば、この大切な10個のことはほとんど学ぶことができなかったのだと思い出します。
1.運動音痴、無理をする
自分は自他ともに認める「運動音痴」です。小学生のころから逆上がり、跳び箱、縄跳び、球技、短距離、長距離など軒並み全部がダメ。運動にかかわるできたこと・好きなことは何一つありませんでした。
高学年になると運動はできないのに食べる量は増えていったので肥満傾向になり、なおのこと運動嫌いに拍車がかかる始末。
そんな自分も中学に入学。自分が中学生だった平成初期、自分の地方だけかもしれませんが「男子が文化部に入るとハブられる」という定説があったのです。運動音痴なくせに、自分はハブられないように、浮いた存在にならないように、ということの方が大切で文化部は選択肢から除外してました。
けれど運動はやっぱり苦手。できればしたくない。
友人と一緒にいくつか見学・体験入部をしたのですが、4月中旬の入部締め切りが迫り、最後に行った「剣道部」に入ることにしました。球技も苦手なので「ボールを扱うよりはマシかも」…それくらいの理由だったと思います。
経験者ではない部員は、入部してから3か月は竹刀を握らせてもらえません。ひたすら基礎体力作りと筋トレ。グランド15周、腹筋・背筋・スクワット150回ずつ、他の筋トレメニュー3セットずつ。
現在の部活動だったらオーバーワークになる? それともアスリートを目指す人だったら当たり前? 自分が中学生の時には週休2日ではない時代だったので、毎日毎日筋トレの日々。のちの中学2年時にはオスグットシュラッター病、高校時代には踵の疲労骨折一歩手前と故障もしましたが。
2.運動音痴、入賞する
4月から3か月間のハードな筋トレ・体力づくり期間を終えて、やっと剣道の基礎を教えてもらえるようになります。
構え方から始まり、竹刀の握り方、素振り、足さばきなど。
この頃は初心者はまだ防具をつけさせてくれません。させてもらっても打ち込み台を相手に練習です。一方、経験者は先輩たちに交じって通常練習に参加します。
基礎練習を積むことさらに3か月。夏休みを終える頃、主要な大会を終えて三年生は部活を引退。この頃になってやっと初心者は防具をつけて通常練習に参加させてもらえるようになりました。
途中で辞めなかったのは、きれいに言えば「仲間がいたから」だろうし、裏を返せば「辞めたら『意気地なし』と言われるのが怖い」も本音でした。実際、途中でリタイアした同級生はひどい言われようをしていたし、友達としても距離感ができたりしていました。
秋になり部員は1・2年生だけになり、10月開催の市内新人戦に向けての練習になりました。
剣道は男女別で5人1チーム(補欠2人)の団体戦と、個人戦の二日に分けて行われます。わが中学の団体戦代表は2年生と経験者の1年生で編成され、初心者の自分は補欠にさえ入れませんでした。運動音痴の自分、メンバーに入れないのは顧問の当然の選考結果です。
自分は個人戦には初めて出場。出場資格は特になく、顧問がエントリーすればいいので基本全員出場です。
正確な出場者数は覚えていませんが市内四校で50人にも満たないはずです。自分のデビュー戦結果は、、、
「市内4位」
謙遜でもなく卑下でもなく、戦績の要因は「組み合わせの妙」です。1~3位は経験者で名の売れた実力者たちだし、他に自分より実力のある人が負けていたりするからです。自分はトーナメントの組み合わせが良かっただけです。
しかし、この結果がそれからの選択に影響することになります。
3.運動音痴、意地を張る
「努力が結果をおさめることもある」ということを、当時の自分は「努力は必ず報われる」と拡大解釈をしていました。いや、自分の解釈の仕方だけではない、当時の世の美徳ではないでしょうか(今でもか?)。
その後の部活動では特に芳しい結果をおさめることはありませんでした。しかし練習だけには真面目に出ていたので、3年生になった時には副部長になったり団体戦のメンバーに入ることはありました。ただし「実力枠」というよりは「努力枠」だったと思います。
中学を卒業して自分は普通科高校に進学。個人戦で市内4位をおさめたこともあるのだから、努力を続ければ高校では何か結果を出せるのではないか? 迷わず剣道部に入部しました。
高校の剣道部では3年生が5人、2年生が1人、一緒に入部した同級生は自分も含め5人でした(うち経験者は自分ともう一人、3人は未経験者)。
入学してからすぐの5月には高校総体、7月にはインターハイ予選がありました。団体戦の選手は3年生の5人、2年の先輩は怪我のために補欠は1年生の自分と同級生でした。
3年生の先輩方の努力は素晴らしく県団体戦でベスト8入りで創部以来の快挙とのこと。準々決勝で敗れた先輩方は清々しく涙しており、
「自分たちもこうなりたい。先輩方の思いを引き継ぎ乗り越えよう!」
当時の自分にはまだ純粋で瑞々しい青い心が生きていました。
3年生が引退し、2年生の先輩を支えながら自分たちの順番だ! と意気揚々と新体制の練習が始まりました。
しかし一か月で2年生の先輩が退部、そこから雪だるま式に同級生たちが退部していき、10月には部員が自分一人だけになりました。
勉強に専念したい。飽きた。家の事情。
理由はいろいろだったようでしたが、一番にきつかったのはこの理由。
「そんなに実力もないお前と続けていても未来はなさそう。なのに練習だけは一生懸命にするから息苦しい。」
それでも自分は「一度、決めたことを途中で投げ出す」を良しとせず、部員一人になっても続けることを決めました。
不朽のバスケットボール漫画「SLUM DUNK」は、2022年12月にリバイバル映画として「THE FIRST SLUM DUNK」が公開されました。自分が高校時代には原作が週刊誌連載の時期だったのでタイムリーに読んでいました。
名シーンはたくさんありますが、3年生で補欠メンバーの木暮くん(通称「メガネ君」)の回想で、同級生の赤木くん(通称「ゴリ」)と高校入学してバスケ部に入部したものの、同級生たちが次々に退部して去っていくシーンがまさに自分のそれと重なり胸を締め付けられたことが思い出されます。
4.運動音痴、孤独になる
「SLUM DUNK」の赤木くんと木暮くんは苦労をしつつも3年生になった時には主人公で一年生の桜木くんとライバルの流川くん、2年生の宮城くん、3年生の三井くんも復帰して仲間に恵まれます。
自分も同級生は去ってしまったけど、後輩ができれば何とかなるはず。そんな期待を込めて2年生に進級。新入生の勧誘活動を頑張りましたが、健闘空しく入部は0名。反対に女子部は大盛況で新入部員が10名以上、全学年を合わせれば30名近くです。
男子部顧問は未経験者だったこともあり、「君が好きなようにやりなさい」という指導。自分は考えた挙句に一人でも続けることを決め、日々の練習は一人で防具一式を持って歩いて行ける範囲のいくつかの高校に練習に行かせてもらうようにしました。
どこの学校も快く受け入れてくれました。夏の合宿にも参加させてくれたり、遠征にも同行させてもらったり。
けれど、いつも疎外感を拭うことができないままでした。武道は礼節を大切にします。どこの高校へ行っても自分は部外者ではあります。強制されたわけではないですが、一番の末席に座るようにしたり他校の後輩の後に休憩をとったりするようにしました。
公式戦の出場について個人戦では問題ありませんが、団体戦は最低でも3人が必要です。試合のたびに剣道の経験者に頼み込んで頭数をそろえて出場するしかありませんでした。当然、全大会で一回戦敗退です。
自分に個人戦だけでも勝ち抜ける実力があればカッコいい美談にもになるところですが、そこはそもそもが運動音痴。努力に比例して実力が向上することはなく、良くて二回戦まででした。
一方で女子部はメキメキと実力を伸ばしていきました。年度末に開催された関東大会予選、女子部は常勝校を初めて破り県内優勝。その大会日は模試が重なってしまい、自分は助っ人メンバーを集められず団体戦は棄権。見学のために試合に同行しただけでした。
同じ時間、同じ練習をしてきて試合に出て負けるのなら諦めもつくのですが、その場に立つことすらできない自分の状況。
会場からの帰り道、女子部の初優勝を祝って顧問のおごりでファミレスによって食事をしたのですが、自分は悔しくて悔しくて注文したオムライスを食べられなかったことが思い出されます。仲間でもある女子部の成果を一緒に喜べない自分の矮小さにも腹を立てていました。
5.運動音痴、大人になる
剣道の理念、『剣道は剣の理法の修練による人間形成の道である。』
剣道の昇段審査は実技と筆記があり、「剣道の理念」と「修練の心構え」は暗記しなければなりません。高校を卒業して剣道を辞めてから20年以上、理念はまだ空で言えました(「修練の心構え」は長い文章で忘れました)。
3年生に進級し、新入部員勧誘に再チャレンジするも空しくまたもや部員ゼロ。
最後の公式戦となったインターハイ予選は去年同様に経験者に助っ人を頼み込み、人数を揃えて団体戦に出場。奇跡的に一回戦を勝利するも、二回戦では常勝高と対戦しあっさりと完敗。
女子部は前回も対戦した常勝高と接戦の末に二回目の優勝、創部以来初のインターハイ出場を決めました。女子部はインターハイに備えて練習が続きましたが、自分は一足早く部活動を引退。中高と費やした部活動に幕を閉じました。
自分は部活動を通して何を学べたのだろう? この記事の冒頭、ブログ記事から引用した「10個の大切なこと」をもう一度、見返してみる。
ほぼ3年間、一人で部活を続けることに固執した自分は集団にかかわること、人間関係で得られることをことごとく落としたようです。
「時間厳守の大切さ」と「時間の大切さ、有限さ」について、時間を守る習慣は元々あるほうでしたが、「時間の大切さ・有限さ」について部活動で学べたかどうかは自信がない。最後の試合を終えたとき、自分の心の声が『やっと終わった』だったことを強烈に覚えているから。
「弛まぬ努力で上を目指す気持ち」、「失敗から立ち直る強さ」を身に着けたのかもよくわからない。
ある日のこと、同級生からの一言にすごく腹を立て傷ついたことがあります。今思えば欺瞞と浅はかさを見抜かれたことを直感したのに、自分で認めることができなかったのです。
「そうやって『一人で頑張っている』と自分に酔って、アピールして注目されたいだけなんじゃないの?」
最初に決めたのだから一人でも続ける、と選択して決めたのは自分。
ケガを理由に練習をさぼり気味になったこともあるのも自分。
「頑張っているね」と他者からの評価が欲しかったのも自分。
最後まで続ければ何かいいことあるのではないかと期待していたのも自分。
心からの「やりたい」ではなく、義務感に縛られたていたのも自分。
良くも悪くも「一人でも行動する」という習慣が身についてしまった自分。大人になっても単独行動が多く、協調性に欠けるのではないか、チームワークを築けていないのではないか、と思うことが今でもあります。
「無職、同居する家族なし」という社会的マイノリティの自分は果たして、剣道の理念が掲げている「人間形成」ができたのでしょうか。
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