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「もっと失敗したほうがいいよ。」の意味を考える

「もっと失敗したほうが良いよ。」

会社の上司や先輩、おえらいさんからこういうことを言われたことはないだろうか。

僕はめちゃくちゃある。

一番言われるのは会社の社長や役員たち。

「失敗」というのは僕の中ではやはりマイナスなイメージの言葉で、できる限りなら避けたいと思う。

その「失敗」の大きさが大きいほど、精神的に崩れて病んでしまわないだろうかとかを考える。

それでもよく言われるので、実際にどういう意味で言っているのかを考えてみた。

結論から言うと、

「もっと失敗したほうがいいよ。」=「もっと幸せになりたかったら、今の物事の見方や考え方を変えるきっかけとして失敗という手段があるよ。」

だと思っている。

まず、世の中には「自分で変えられること」と「自分で変えられないこと」の2つがある。

前者を例に出すと、自分の考え方、自分の言動、行動、目の前の今などがある。

後者は、すでに起きてしまった結果、過去、自分以外の周りの人などがある。

自分と今これからのことは変えられるけど、他人やすでに起きてしまった結果、過去は変えられない。

だから、もし自分が今以上に幸せになりたいと思うのであれば、「現在」と「イメージする幸せ」とのギャップを埋めるために何かしら変化を起こさなければいけない。じゃあ変えられるものは自分、そして今目の前のこと。


会社の部下の考え方を変えたいのであれば、まず部下が「変わりたいな、この人みたいになりたいな。」と思うように自分が変わる。

もっと自分の話を友だちに聞いてほしいのであれば、まず自分が相手の話を積極的に聞いて理解する。


自分が欲しい物を手にするには、状況や他人が変わるのを期待するのではなく、自分から変わることが大事だと思う。


とはいえ、なかなかそれが分かったところで、すぐに行動に移すのは難しい。自分を変えることが幸せにつながるとはいっても、具体的にどこをどういうふうに変えればいいのかわからない事が多い。

じゃあどうするか、そこで「失敗」の出番だ。

失敗は良くも悪くも、今の自分では届かなかったという結果を、ただただ突きつけてくるもの。

このときにようやく、今の自分の考えや見方が違っていたかもしれない、だからこそ他の考え方や物の見方があるんじゃないかと疑う。

そうして気づきを得ることで、自分の考え方を変え、自分を変えることにつながるのだと思う。


個人的にこういうふうに失敗を捉えることで、「失敗を恐れずにもっといろんなことにチャレンジしなよ。」ということの捉え方が大きく変わった。

ただ、あくまで失敗も一つの手段なので、失敗して気づきを得ることだけが全てではないと思うので、無理をしすぎずに変えられることに意識を向けることが大事だと思う。


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