4月4日 あんぱんの日
家の外、窓から見える結構遠くの桜を眺めている。
皿の上に置いたあんぱんを手に取ると、それがふわっと香り、見ている遠くの桜が目の前に現れたようだった。
『酒種あんぱん 桜』
祖父母も同じように窓の外の桜を見ながら、はむっと音が聞こえるように口を開けてあんぱんにパクついていた。その表情がどこかとても柔らかかったので、僕は少し安心した。
安心したせいか、少しだけ涙が出てきたので、僕は小さく咳払いをした。
毎年、近所の川沿いにお花見に行くのが恒例だった。
特にいつ頃いくかなどは決めていないのだけれど、満開前の桜の7分咲きか8分咲きあたりになると家族のうちの誰かが言う。
「そろそろお花見でもいこうか」
近所の川沿いまでは徒歩で15分くらいだから、祖母の車いすを押しながら、のんびりと散歩して向かう。僕と妹、両親、同居している父方の祖父母の6人、談笑したり、しなかったりしながらゆっくりと進むのだ。
道すがらにも公園の桜や、その下に菜の花が咲いているなど、ピンクと黄色のコントラストが美しく、川沿いに着かずとも家から外に出ればもうお花見が開始されているようである。
なんのこともないけれど、僕はその時間が愛しかった。
祖母の足や腰がまだ元気だった数年前までは、都内の桜の名所に電車で行ったり、毎年違う桜を見たりしていたが、車いすになってからは散歩に適当な距離の川沿いに行くことが僕ら家族の恒例となっている。
けれど、それももう行けないでいる。
それは流行風邪のせいであり、高齢者への感染がもっとも怖いと言われている当初から、祖父母と同居している我が家には緊張が走った。去年の2月頃にそれが報道され始め、もうその時点で祖父母の外出を制限したから、やっぱり去年も今年もお花見は中止としていた。
正直、とても寂しい。
家の外から多少でも見られるので、それで我慢すればいいのかもしれない。散歩に出た際に、通り過ぎる桜を堪能すればいいのかもしれない。
でもそれはいつまでだろう。
祖父母は段々と年を取る。それに伴い、体も老いていくのだ。数年前には電車に乗って桜を見に行っていたのに、最近は近所の川沿いのそれになった(もちろんそれでも十分きれいなのだが)。そして去年と今年はもう家から見るしか出来ていない。
毎年恒例の春を体感することが出来ないのである。
来年はどうだろう、再来年は?5年後にはどうなっていて10年後にもきちんと桜を見に行けるのだろうか。
分かっているのだ。そんなことを嘆いても仕方がないことは。
年を取って老いていくことも仕方がないことであり、風邪をもらわないように用心して出かけないことも仕方がないし正しいことなのだ。
だから、ただ寂しいのである。
「浩介」
祖母が僕を呼んだ。
目尻に溜まっているはずの涙を指で拭い、祖母のもとに向かう。
「ほら、桜」
祖母の指先には桜の塩漬けがあった。
その心地よい塩気に僕は思わず笑って泣いた。
「春だねぇ」
あんぱんで桜を見る春も良い思い出になる。
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【今日の記念日】
4月4日 あんぱんの日
1875年(明治8年)のこの日、木村屋の初代、安兵衛が向島の水戸藩下屋敷にお花見のために行幸された明治天皇にあんぱんを献上したことから、株式会社木村屋総本店が制定。この時に桜の花びらの塩漬けを埋め込んだあんぱんが誕生。
記念日の出典
一般社団法人 日本記念日協会(にほんきねんびきょうかい)
https://www.kinenbi.gr.jp の許可を得て使用しています。
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