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鈍-nibi-②【連続短編小説】

※前回の「鈍-nibi-①」はこちらから

 かわいげがない。

 いつだったか、小さな頃のある時。年に一度会うか会わないかの遠い親戚が姉のことをそう言った。姉の何を見てそう思ったのか、姉が何を言ったのか、もしくは言われたのか、会話の流れからは分からない。両親はそんな彼らに対し、驚きこそしたみたいだが、そのすぐ後で苦笑いで答えた。

「そうなのよ、大人びちゃって」

 私にはそれがなんとも我慢ならなかったのだ。姉の何を知っているわけもない彼らと、それを迎合するような両親の回答に。

 そんな時いつだって姉の手は、怒るでも哀しむでもない熱を発する。ほろ温く、じわりと熱い。まるで姉の気持ちのそのすべてが手のひらに溢れているように感じる。つないだ手で私はそれを愛しく感じているのだった。

 かわいげがないのではない。彼女はとても思慮深く、それでいて聡明なのだ。凛としたその雰囲気をかわいげがないとしか表現出来ない大人達を私は哀れみ、私は姉を愛する。ぎゅっと強く握るその手を、姉もまた握り返してくれるのである。
 そんな、私たちだったし、それは今も変わっていない。


「リオちゃん、お夕飯どうする?」

 私が持つ一本の傘の下、姉は私の手を握りきゅっきゅと強弱をつけながら言う。今日の姉の手はひやりと心地よい。まるで、私が彼と会ったことを知っていて、怒っているような。
 うそ、姉は怒らない。

「うーん、お姉ちゃんの作るごま豆乳鍋がいい!」

「・・・・・・それ、市販の鍋スープなんだから私が作るってわけでもないけど」

 少し不満げな顔を見せて笑う。

 可愛い。

 よくもまぁ、何も知らない親戚とは言え、この姉をかわいげがないと言ったものだ。私には信じられない。

 けれど、もしかしたらよほど親しい間柄でないと素の姉を見せることはしないのかもしれない。もしそうならば、親戚の言うことも仕方がない。普段、彼女は確かにあまり表情には出さないのだ。もちろん何かがあれば喜怒哀楽をちゃんと見せるけれど、そうでもなければ静かな雰囲気のまままっすぐ前を見据えていることがほとんどである。それを綺麗だと見るかかわいげがないと見るかであろう。

 彼女の素顔を見ている妹としてはかわいらしくて仕方がない。

 そしてきっとその素顔は、彼の前でも見せているのだろう。それを思うと少しだけ悔しくて、痛い。

「どうしたの、寒い?」

 姉と彼を思い、私が少し肩をすくめたのを見て聞かれた。私はかぶりを振り、微笑んで答える。

「ううん、早く食べたいなと思って。お姉ちゃんのお鍋」

「市販の鍋スープだってば」

 困ったように笑いながらも私の手を強く優しく握り返してくれた。

「だから、私がいなくなってもリオも自分で作れるよ」

 それはまるで、私が幼稚園か小学生低学年であり、その子に向けて優しく諭すようだった。もしくは一人暮らしの数日前に、母が娘に言うような。私の先を案じて願い、祈っているような、優しい言葉。
 26歳の姉と24歳の妹。

 半面、まもなく別れが近づくことを匂わせてもいる。

 そんなことは分かっているけれど、分かることと手を離すことは全く違うのだと、それも分かっている。

「やっぱりキムチ鍋がいい」

 私は姉の手を離してみる。

「だからそれも市販のスープだってば」

 はらりと落ちるように離した私の手を、姉は迷うことなく見つけ、掴み、ぎゅっと握り直した。

「一緒に食べるってことが重要なのよね、きっと」

 次に触れた姉の手のひらは、湿っていて少し熱い。
 雨は止んでいた。

                                                                             続                        -鈍-nibi-3③【連続短編小説】-                                                  9月19日 12時 更新

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