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2024年上半期に泣いたもの(映画、漫画、体験その他)



泣いたもの、体験を書きます。





韓国映画の事を書いてから、オムニバス形式の記載の楽さに気が付いてしまいました。

「泣いた話」なんて
書いてどうすんだって感じですが
まあ泣いたって事は、
心が動いたという事ですよ。

大人が泣くって相当ですから。
私は感情豊かとはいえ。
というわけで私の心の機微を、
よろしければどうぞ。



<漫画:路傍のフジイ>


ついったー(はいはいXね)で流れてきたのですが、
数ページを読み、そのまままんまと購入に至りました。

なんの変哲もない、特徴もない会社員「フジイ」に
何故か周りの人がどんどん惹かれていく
というストーリでした。まだ1巻しか読んでいないのでこの先分かりませんが。

フジイは、フリーマーケットで買った
柄もわからないパズルを一生懸命解いてみたり
引き語りに憧れてギターをやってみたり
絵を描いてみたり

なんか本当に素敵な日々を送っているんです。
でも会社では喋らず、会社の人とかには「つまんない奴」と言われていて
友達もいなそうだし、、、という人物像。


フジイの生活に人が介入していく様が
なんか良いなあと読みながら思ったり
フジイの生活、素敵だなあと思ったりしていたのですが

また一人フジイに魅力を感じた人物が、
とある日フジイに「フジイさんて友達とかいないんですか?」
って聞くんですよね。

そしたら「友達はいますよ」と。

「その時々で同じ何かを共有して」
「それきり連絡先も知らず、」
「二度と会わない人もいますけど」
「今でも友達だと思ってます。」


って答えて

それを読んだ時、顔がぐしゃっとなり、泣いた。


暫く次のページに進めず
声も出さず、涙を流していました。


ページとか、コマ割りなんかも
なんかもう最高のシーンでした。



フジイは、強い。
強くて優しい人に、なりたい。なろうと思う。 


<ぐんぴぃの性癖>



おなじみバキ童チャンネルで
「性癖食わず嫌い王」という、とんねるずの往年のあの番組の企画を真似て
食べ物ではなく性癖を当てっこするという企画がある。

そこでは、お互い「この性癖がいいんすよ~」
と詳細を説明し、プレゼンしあい
最後に「本当は嫌いなのは、これだろ?!」と当てあうのですが

なんか、「そんな性癖ってあるんだ」と勉強になる事もあるし
「これはいいのに、これは嫌なんだ?」とか思ったりする。

AVのジャンルとかだとあるあるらしいものも
こちらはよくわからないものも多くあり、
「手だけのシーンとかがあるじゃないですか」
とか説明されて、盛り上がっても
正直よくわからず、雰囲気で笑っていたりする。

いつくかあるうちの一つの動画に
コメントで
「左右のキン◯マが対談してるみたいで好き」
というものがあり、天才が過ぎてゲラゲラ笑った。確かにキン◯マ同士の会話すぎる。

ぐんぴぃはオタク系の趣味に強いので
割とそういう系が好きかと思いきや
「催眠系は嫌だ」とか、やはり細微な好みというのが、それぞれにあるらしい。


何本かある中のとある性癖食わず嫌い王の動画で
いつも通りお互いが偽を混ぜた好みの性癖を発表しあっていたら


「父娘」というのが
ぐんぴぃのラインナップに出てきた。

これにはギョッとし
何かをしかけていたが、その手を止めてしまった。

本当か嘘か分からないけれど、ぐんぴぃは
「父娘」というジャンルの漫画やAVの魅力を語り始めた。

その瞬間から少し私はトリップし
何故か「もし私がぐんぴぃの対戦相手だったら」という妄想に突入した
自分が性癖食わず嫌い王の動画に出演し、
「父娘」というジャンルが好みだという語りを聞くシーンを想像していた

「いやさすがにこれは嘘あって欲しい!」
と、思わず主張し倫理観を明確にするような自分を想像したが
「それではプレイヤーとして悪手だろう」と考え直す。

妄想のシーンは変わり
何故か私はインフルエンサーになっており
夜にライブ配信をしていた。
どんな文脈かは不明であるが
「いや、シングルマザーは本当に娘がいたら注意すべき!」
「守れるのはお母さんだけなんだから」
と何故か熱くリスナーへ語りかけていた


倫理観というものは、曖昧で形もなく
それぞれの心に飼っているものだ。
倫理観がないからと、犯罪になるわけでもなく
逆にあるからといって偉いわけでもないだろう。
それでも何故かこの倫理に決して反したくないと
妄想を用いて葛藤していた。
この議題で笑えない自分に呆れながらも苦しんでいたのだ。


このぐんぴぃの語る「魅力」は本心だろうか、、
私は仮に出演者であったとして、
この話を「娯楽」の一環と受け取れるだろうか、、
いやまあ仮にぐんぴぃが「父娘」というジャンルが好きだったとして
それが犯罪という訳でもないし、欲望だけで誰かを傷つける事でもないし
そういうジャンルが存在するからこそ、
欲望がそのまま現実にならないという事もあるのだろうし
そういった欲望を、ただ「欲望」として抱える事は、
悪い事では、、ないのだし、、、


等とぐるぐると考えていた。


するといつの間にか現実世界と動画は進んでおり
結果発表の瞬間になっていた。


そしてなんと、ぐんぴぃの「嫌いな性癖」は
「父娘」だったのだ

私は心底安心した。
「わ、よかった、、、」と思っていたら
ぐんぴぃが理由として、口を開いた

「いやこれはね」
「我慢ならん」


きっぱり言い切る姿を見て
私はそっと動画を停止した。


胸が詰まり、泣いてしまったのだ。


自分でもびっくりした。
そうだ、今思い出したがこの時私は会社の昼休みで
昼ご飯を食べていたんだ。

オフィスの明かりが暗くされたお昼の時間、
私は自分のデスクで、見ていた動画も止め、食べる事もせず
ただ静かに小さく震えて泣いていた。

声も出さず、呼吸がおかしい事にも誰にも気づかれぬよう
こみ上げた感情と涙を、ただ静かに流す事に努めた。


あまりにほっとしたという事もあるが、
ハッキリと「我慢ならん」と言ってくれたぐんぴぃに
心が泣いてしまったような気がする。

「グッとくる」ってこういう事だよな、と思う、

倫理観ってやはり大事なんだなと思う。
今までは「バキ童チャンネル好き」「春とヒコーキ二人とも語彙力あって悔しい」
という感情のみ持っていたのだが
もう今は、正式にぐんぴぃのファンになったと言える。

ファンになりました。ぐんぴぃの倫理観の。


ぐんぴぃは「自分の好きなところ」として

少し恥ずかしそうに

「ネットに悪口を書かない事」と言っていたけれど

本当にそういうところが、ぐんぴぃの良いところだと思う。

あーしはぐんぴぃの倫理観と、語彙力のファンだよ。




<映画:ソウルメイト>


なんか気合入った配給だなと思いわざわざいつも行かない映画館へ出向いて観た。

全体的な感想としては正直なところ「嘘つけ~!」という感じ。
いや映画に嘘も本当もないでしょうよアンタと思いますが
「こんなん実際ないやろ、、」と思った瞬間から心は離れてしまうものです。
かといって幻想とかファンタジー作品でもないから
楽しみ方が難しいよね、という。

なんかね、最初から設定に無理がありすぎたのよ。
その年齢で一人暮らしする訳ないでしょうよ、とか
彼女の親友にキスせんやろ、とか。
高校生なんて、出来たての彼女にキスするのも勇気がいるのに
しないでしょうよ、自分の事好きか口固いかも不明な彼女の親友に。
思春期の男の子でそんな強メンタル持ち合わせていないでしょうよ。

最後らへんの展開も、なんかもう全部嘘っぽくて付いていけない!
そういうところ「か、韓国~!」てなった。
でもこの映画の基は別の国らしい。

韓国の突拍子もない展開のドラマで育ってきているので
そういうのは好きなはずの私も、何故か今回のはそこまででした。
あとね、裏切りの裏切りみたいな展開が一番の「ンもー!」ポイント。
「え、なに?!やっぱ違うの?!」ってなってから集中できなかった。
最後まで「え、結局どっち?!なんなの?!」
「死んだって事でいいの?!」って最後はキレ始めてさえいた。

私はグレーを許せない白黒女。パンダと呼ばれてもいい。
てか似てるって言われるし。パンダ。

まあそんなパンダがね、とあるシーンで号泣していました。
器用にハンカチを使ってね。号泣。
もう本当に椅子が揺れるくらい泣きました。
泣き声が出ないように必死で抑えたもんだから、声にならぬ震えで椅子が揺れて揺れて。


観た人にはわかると思うのですが、シャワーのシーンですね。

女同士のぐっちゃぐちゃの喧嘩ね。
最近「マリッジストーリー」を観た時も思いましたが
私はぐっちゃぐちゃの喧嘩に弱いです。

人と人が感情をこれでもかとぶつけあって
言ってはいけない事を言って、言ってはいけない事を言われて
お互いに情も愛情も沢山あるはずなのに憎悪や怒りが止められなくて
ぶつけつぶつけて、痛くて苦しくて呼吸もできなくて
傷付きすぎてしまうくらい傷ついて、傷付けて
それでもその場にはお互いしかいなくて
分かってもらえなくて苦しくて、わかってあげられなくて辛くて

そういう喧嘩のシーンにとても弱いです。
育った環境のせいで、感情移入してしまうからかもしれません。

自分を傷つける人って、やはり「特別」なのだと思います。
良くも悪くも。特別な存在。
ジブリのゲド戦記では、魔法をかけられないように自分の名前を隠しますよね。
それはただの「重要な情報」だけではなく
心そのものであったり、心理的距離もメタファーとして読めると解釈していて

お互いがお互いを特別に思うからこそ、傷つけ合う時があると
それほど距離が近いから傷つくし、傷付けてしまうのだと。

あのシーンは号泣しました。
キムダミ~、チャレッソ。

<ゲームで苛つかれた>




まあこれは、この間少し書きました。
ゲームが下手すぎて、イライラされてしまったのです。
確かに私は下手なのだが
何時間も謝り続けていることや
「イライラしてるかな」と気を遣い続けること
あまりにも疲れてしまい

翌日仕事中に
何故だかやたらと凹む胸中に耳を傾けると
その謝り続けた数時間が
思っていたよりも私の心を蝕んでいたと知り
そのままスウッと泣いてしまったのでした。

本当に仕事をしろよという感じなのですが
胸中がぐちゃぐちゃと荒れていたもので
仕事にも手がつかないほどの精神だった訳です。
なので割り切って、少し仕事は置いておいて
自分の精神と向き合ってみたところ
自分の本心を知りましたので
ああ、傷付いていたのだね。
昨日はそのまま眠ったけれど
本当はとても苦しかったね。
と自分を癒しました。

なんか私って時々宮沢賢治みたいな口調になりませんか?
書いていて時々思います。
宮沢賢治好きなのでどうしても影響を受けている気がします。

話を戻します

まあ、傷付いて泣いたというのが大きいのですが
そのゲーム中、実は1人
私の様子や状況に気付いてくれた人がいて
「ああ辛かったな」と思うと同時に
「あの人はずっと気付いてくれていたな」
「声をかけてくれていたな」
「気にかけてくれていたな」

と、その人の優しさのひとつひとつに気が付いて
その全てにもやたらと泣けてしまいました。
思わずトイレに駆け込んで
涙がおさまるまでそこにいました。数分ですが。

心というのは液体だと思うと
私の好きな漫画では言っていますが
私もそう思います。
溢れてしまうものですから。

人の優しさが嬉しくって泣くって
なんか本当に素敵な事だなと今改めて思います。
嬉しいなあと、泣いてしまうことは
有難いことに何度か経験がありますが
優しさが沁みて涙が出るのは
初めての経験な気がしました。

「苦労してきたって聞いたけど
きっと本当なんだろう」

と思いました。

もらった優しさを私も人に返そうと思います。

強くて優しい人に、なる。(2回目)


<久しぶりの恋心>



これも前書きましたね〜

これも2024年上半期泣いたことの一つです。
「恋だ」と気付いたときに
ハラハラポロポロと涙が止まりませんでした。

きっとあまりにも怖かったのだと思います。
そして「心が動いた」ということだと思います。

大人というのはいかに上手に仮面を被り
与えられた役を演じて劇の中にいるのかを
思い知ったような気がします。

本当の自分、本当の心なんて
気付かぬうちにどこかへ追いやって
自分ではない誰かとして
生きている時間が長いのだと思います。

だからきっと、「本当の心」が動いたとき
それが表面に出てしまいそうなとき
こんなにも怖くて恐ろしくて
涙が出て足がすくんでしまうのだろうと。

あいみょんは、作った恋の歌に
「裸の心」と名前をつけた。
なんてぴったりなんだろうか。

裸の心なんて、大人が触れることや
目にすることはとても少ないのだろうと思う。

あのハラハラと流した涙は
忘れずにいようと思います。



<インナーチャイルドセラピー>




これもちょっと書いたのですが

恋心や失恋疑惑のときに
今までの人生で気が付かなかった
自分の抱えているトラウマのようなものに
初めて気が付きました。

生い立ちというか、家庭環境から成る
自分の潜在意識が抱えているものですね。

それに気が付いたので、どうにかしたいなと
昔どこかで読んだ
インナーチャイルドセラピーなるものを
真似してみたのです。

私はコミックエッセイが大好きで
年に100冊以上買って読んでいたような時期があり
その中の田房永子さんの
「キレる私をやめたい!」というコミックエッセイに
書かれていたのがその方法でした。

確か読んだ時は
田房永子さんはセラピストの人に

「目の前に相手がいると思って話してみて」
と言われると、疑いながらも

長年解決できずにいる関係のお母さんが
目の前にいると思って
昔の自分になったつもりでいろんな言葉を
口に出してみるんですね

そうすると不思議と
本当に当時の自分が話しているような感覚になり
スラスラと言葉が出てきて

また、「相手になったつもりで」と言われ
お母さんになりきって言葉を発してみて
会話を行ってみる

というセラピーの内容が書かれていました。


私はそれを思い出したので
自分の部屋で、1人
「昔の自分」になったつもりで
とにかく色んな言葉を出してみました。


すると本当に不思議なのですが
自分が思ってもみなかった言葉が出てきて
気付くと泣きながら色々話していました

ただの情緒不安定な人と思われたらそこまでなのですが

1人で泣きながら、
昔言えなかったことや、本当は思っていたこと
伝えられなかったことが
どんどん口から出てきて

その後1時間くらいは
ぼーっとしていました。


そして後から
「私ってこんなこと思っていたの?」
「心は全然辛くないと思っていたのに
もう全部乗り越えたと思っていたのにこんなに苦しかったの?」

と、全て「本当に私の言葉なの?」
と疑うような言葉や涙を思い出し


あーこれは
軽度であってもセラピーに成功したのではないか
と感じました。

そこからどんな効果や変化があったのかは
よくわからないですが
「自分を大切にしないとな」
と改めて強く思うキッカケになりました。



ちなみにこれは、
セルフでセラピーをした後に読み直してみると
正しくは「ゲシュタルトセラピー」でした。


またやってみたら同じことが起きるとは考えにくいけれど
その時の私には想像以上に作用した気がします。


これは本当に疲れるくらい泣きました。






以上です。


ここ数年、色んなものを記録するのが好きなんです。
「今年1番驚いた事」とか。
そのシリーズだと「泣いた事」ってのも
割と良いのかもと、書いてみて思いました。



日々や感情や思考を
記録するのは良い気がしています。


これがマインドフルネスなのか?

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