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気づきを怠ってはいけません・ルアンポー・プラモート師

私たちは気づき(サティ)を怠ってはいけませんよ

気づきの怠らない人生でなければなりません

一つ一つの呼吸に

サティを持つのです


呼吸を吸って(プッ)

呼吸を吐いて(トー)でも

どんなやり方でも構わないのです

立つ

歩く

座る

寝る

どの姿勢であってもサティを持つのです

呼吸一つ一つにサティを持つのです

どの姿勢であってもサティを持つのです

目・耳・鼻・舌・身体・心に

対象が触れた時に

身体に変化が生じたことを感じるのです

心に変化が生じたことを感じるのです

もしも私たちがこのようにできるようになったのあれば

ブッダはこのように言いました

「100年生きてサティ(気づき)の無い人よりも、

1夜このように感覚を感じることが出来た人の方が

価値がある」と

私達は長生き出来ます様にと願いますが

長く生きたとしても拠り所になるもの無いのであれば

長生きしたとしても迷惑をかけてしまうだけなのです

しかし

もしもサティが有るのであれば

その一晩だけでも賞賛価値があると

ブッダは仰ったのです

ですから

私達は心して

サティを怠らない様にするのですよ

呼吸が入りサティを持つ

呼吸が出てサティを持つのです

あるいは

立つ・歩く・座る・寝る姿勢にも

サティを持つです

または

動いていることにサティを持ち

止まっていることにサティを持つのです

身体が苦・楽が生じた時にサティを持ち

そのことを知るのです

心に苦・楽が生じた時

心に不苦・不楽が生じた時にサティでそれを知るのです

善・不善が心に生じた時にはそれを知るのです

怒りが心に生じた時にはそれを知るのです

欲が生じた時にはそれを知るのです

心をサティで直接知っていくのです

身体をサティで直接知っていくのです

そして、ある日私たちは四聖諦を解るようになるのです

ルアンポー・プラモート師 2565年5月15日


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