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苦の原因(集諦)は考えが飾り付けられることルアンター・シンサット師

苦の原因は

考える事なのです

簡潔にしましたよ

前にヴェータナー(受)の事を話ましたね

もしも考えることが無ければ

ヴェーダナーは生じる事は出来ません

苦とは

苦の原因

サムータイ(集諦)のことですよ

しかし

苦の本質とは

思考が飾り付けられることなのです

考えというものは

一度も立ち止まることは無いのです

寝て起きてから

このように座っていても

考えています

考えることということが集諦なのです

考えというものは

終わりが無いのです

それを輪廻と呼ぶのです

アニッチャ・ワッタ・サンカーラ
(無常)・(輪廻)・(行)

サンカーラ(行)この部分は

留まらず、苦であり、生じ続けるのです

それを信じることは出来ないのです

信じるという事は飾り付けられるものなのです

誰かを愛し、憎み、誰かの事を考えて

全部そうなのです

ですから

修習するのは

思考を止める為なのです

座って考える事ではないんです

もしも考えて

原因と結果を調べたいのならば

修行に来る必要は無いのです

既に考えているでしょう?

考えることは上手なのです

本当ですよ(笑)

修習に来て

「プットー」と唱えるのは

思考を止める為なのです

プットーと共に思考があるのです

ですから

思考を止めるという事は

考えて思考を止めるのではありませんよ

止めることはできませんよ

なぜならば

考えのスピードはそれほど速いものなのです

思考を止める方法というのは

サティを呼吸に置いておかなければならないのです

考えが湧いてきたときには

それはそのまま考えさせておけばよいのです

そして呼吸と共にそれを知るのです

それは飾り付けられて

生じては滅するのです

何を考えても

ただ知るだけなのです

このことを

消滅を知るというのです

もしもサティを訓練して

呼吸の中のサティの力を高めていくのならば

消滅を観るスピードがどんどん速くなってくるのです

その流れの中の

生と滅がだんだんと短くなっていくのです

そして

それ以上飾り立てられないのです

生じたときには飾り立てられるのです

これをバティッチャサムッポバーッ(縁起)といいます

ですから

飾り立てないというのは

修習で呼吸の中ただ知る事ができるようになる

という事なのです

仏暦2566年3月2日


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