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手放すこと ルアンポー・ロンゴット師

こんにちは 信心深い在家の皆様

人の人生というものは

ほとんどの人は誰でも

誤った思い込みをしています

全ての事に

私があるという事です

ですからこのような考えが浮かんできます

私のいうものがあるから

「私のもの」と考えるのです

「私のもの」という見方は

それを守ろうとし、執着させます

人生はずっと誰もが

沢山のものに囲まれています

しかし私たちはそれでも

まだ不十分だと感じています

ですから

衝動によって、何かを探し求めて

もっと、もっととなっているのです

ある人は努力し

心を高め賢くなり

お金を貯める人、使う人もいます

しかし

ある人は手に入ったにも関わらず

まだ不十分だと感じるのです

もっともっと欲しくなるのです

そしてかき集めて

自分のものだと執着するのです

ある人は自分はもっと持っていなければならない

と考えているのです

なぜならば

今持っているものが損をしてしまったり

利益を生み出したりするからです

これを執着している人の中には

大変なお金持ちの人もいるのです

反対に

とても貧乏な人もいます

食べるものも無いのです

この二つの事は実は

同じことなのです

大変貧乏な人は

「欲しい」と思うのです

大変裕福な人も

「もっと欲しい」と思うのです

しかしこの二人も最後には

同じところに行きつくのです

それは

最後には何も持っていくことは出来ない

ということでです

持てる人が「私」があると思っている時でも

本当は私というものは虚構なのです

本当の私というものは無いのです

これは最も大切で高い段階の

人生と世間とそして自然の事柄の一つなのです

サッベー・タンマー・アナッター・ティ

全ての状態とういものに

ほんとうの私というものは無いのです

しかし

世間の人、おそらく80%、90%の人は

わからないかもしれません

そしてこの正しい真実を基礎に

していないかもしれません

ほとんどの人にとって

わたしはあり

「わたしのもの」

「あなたのもの」と

感じているのです

わたしのものということは

多くの人は勘違いしています

そしてそこにはまり込んでいます

すると、衝動が起こるのです

「もっと欲しい」「もっともっと」と

ある人は

「十分という事がわからない」という人もいます

衝動的になり、いつまでも探し求めることは

大変疲れる事なのです

取り合いになり、喧嘩になるのです

ある時は無意識的かもしれませんし

時には怒りが湧いてくるのです

不愉快になったり

いらいらしたり

悪事を働いたりするのです

例えば

両親が子供や孫に財産を残したとき

もしも両親が死んだならば

財産を分与します

子供たちは財産の取り合いをはじめてしまうのです

結論に至らないのです

話し合っても終わりにならないのです

法律をあてはめなければ解決できなくなってしまうのです

兄弟同士であっても話し合いが出来ないのです

何故ならば皆がそれぞれ

執着を持っているからです

自分は貰うべきだという益に

執着しているからです

しかし

このダンマを理解しているある人は

両親が亡くなった時

年上の賢い兄が

このように言うのです

「私は両親の財産は受け取りません」

「自分が受け取るべき分は、弟妹達に分け与えることにします」と

ここでは

全ての人が幸せを感じるのです

なぜならばダンマの法則が働いているからです

兄がメッター(慈悲)で

愛する弟妹達に

兄は弟妹に分け与えて、自分は受け取らないとしたのです

しかし本当は最も益をえるのはその兄なのです

メッターのある兄にとって

本当の自分というものは無いので

財産というものは

自分のものでは無いと

観えているのです

どこにも自分のものというものは無いと

観えているのです

たくさん持てる人は

たくさんの苦を抱えているのです

求める人は苦も求めるのです

ブッダは

「牛を求める人は牛の為に苦が生じる

子を求める人は子の為に苦が生じる」

と言いました

しかしほとんどの人はこのようなダンマが

観えていないのです

なぜならば私たちは

浸り込み

執着しているからです

自分があり、自分のもの

と観えているからです

もしも自分のものであれば

壊れてしまったり、無くなってしまったのならば

苦に苛まされるのです

どうしても苦しくて悲しくなってしまうのです

私達はこのことを理解することが出来ます

しかしなぜ世間の人はなぜ手放すことが出来ないのでしょうか

なぜならば、私たちは自分がいるということに浸り込んでいるからです

そして、これは私のものと誤った観かたにはまり込んでいるのです

しかし、本当は自分のものというのはどこにも無いのです

本当は財産というものすべてアナッター(無我)なのです

もしもこのことを何度も観察する人であれば

心はより手放すことが出来るようになるのです

心が衝動的になり、あれこれ探し求めることに

苛まされることが少なくなっていくのです

誰とも取り合ったり、喧嘩したりする必要が無いのです

なぜならば、すべての物や財産というものは

手放すものであり、執着するものでないと

疲れ果てるまで衝動的になったり

探し求めるべきではないとわかるのです

得れば得るほど苦になって戻ってくるのです

在家のみなさま

もしもこの基礎になるブッダの教えがわかるのならば

手放す努力をしてみてください

煩悩と渇愛を洗い流し

心が清潔になっていくのです

静けさが広がるのです

明るくなるのです

そして涼しくなるのです

これが手放すことから生じる幸せなのです

私というものは無いと、私のものは何もない無いと

サティをもって観るのですよ

金銀財産や土地などすべて私のものと思っていることは

それは本当は間違って理解しているのです

ただ、煩悩と渇愛で執着しているだけなのです

ですから皆さんは

よく観察するのですよ

このことを頼りにするのです

本当は自分というものは無い

本当は自分のものというものも無いのです

たとえ望んでも持っていくことは出来ないのです

どれだけ財産を持っていても持っていくことは出来ないのです

今日から苦は少なくなっていくのです

もしも、すべてのことを手放すことが出来るのならば

苦が終わるのです

これがブッダが私たちに教えてくれたことなのです

人生のすべてで「手放すこと」を頼りにしていかなければなりませんよ

しかし、手放す為にはサティが必要です

サティではっきりと行っている状態を観るのです

生じてくる瞬間瞬間をはっきりと知るのです

これが「手放すこと」であり「飾り立てないこと」なのです

サティがある時、私たちはハマり込みません

心が飾り立てられないならば、執着しません

生じるものは滅するのです

私達は持っているものに執着する必要は無いのです

手放せば手放すほど、軽くなるのです

置けば置くほど、サバーイ(楽)になるのです

ですから

手放すこと頼りにするのですよ

このことは

毎日、毎日

いつでもどんな時でも

重要なのです

私達は「手放すこと」が出来るようにならなければなりませんよ

手放すことが出来るようになったのならば

私たちの心は

清らかになり

明るくなり

静かになり

落ち着くのです

そして特別な幸せを

私達は人生の中で造り上げることが

出来るのですよ

それがブッダの教えなのです


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