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「心を外に向けない」ルアンプー・ドゥン師が教えて下さったこと。ルアンポー・プラモート師

  • こちらの法話はルアンポー・プラモート師が恩師であるタイ東北部のスリン県にあるルアンプー・ドゥン師のお寺で出家者と在家者に向けられた法話です。

こんにちは在家の皆さん、祝福を申し上げます。
話を始める前に皆さんにアヌモーダナー(随喜します)、サッダー(信)によって出家したこと、法の傘の下にいること出家者も在家者も分かち合いましょう。

出家者が注意しなければない事と在家者が注意しなければならないことは違います。私たち(出家者)はそれが在家者と違うことを自分自身に理解させてください。

出家するということはボーナスの様なものです。しかし、ある人は出家することで罪になることもあります。徳にならずに代わりに罪になる事もあるのです。

私たちが出家出来ることは善いことです、しかし十分に注意しなくてはいけません。戒律を守らなければなりません。修習の柱となる最も重要のことはサティを持つことです。自分自身の身体としていることを良く知っていることです。

ブッダの教えには、「感覚を感じること以上に重要なダンマは無い」と教えているのです。ブッダの衆集が煩悩を洗い流す為にそして阿羅漢になる為に当時の衆集にも実践させたことなのです。感覚を感じることは一番重要なことなのです。
 私たちが修習に努力する時、心は普通あちこちに漂っています。過去のことを妄想したり将来のことを思ったり、考えに逃げ込んでしまうのです。それから、目に映るもの、匂いを嗅ぐこと、音を聞くこと、身体に触れること、考えることにそれぞれハマり込んでいるのです。眼・鼻・耳・舌・身・意の6方向にハマり込んでいるのです。この時私たちはの心は身体と共にいないのです、感覚を感じていないということなのです。
 私たちが焦っている時、身体はありますね。しかしその時身体があることを忘れてしまうのです。私達には心があります。しかし、心があることを忘れてしまうのです。
 ですから私たちが法の実践をする時、ダンマは無くなったり終わったりしません。しかし、真剣に実践しなければブッダのダンマを理解することはできません。
 ルアンポーは7歳の時から修習してきました。ワット・アソーカラム寺のアチャン・ポー・リー師に教えてもらいました。7歳から29歳までサマーディの修習だけをやってきました。呼吸を吸って「プッ」呼吸を吐いて「トー」*** 静けさだけがやってきました。次の段階にどう進めばよいかわかりませんでした。そしてルアンプー・ドゥン師に仏歴2525年2月6日(1982年)に訪拝に行き初めてお会いすることになったのです。

「ルアンプー、私は修習したいです」と言ったのです。
すると師は「修習することは難しくない、修業しない人にとってだけ難しいのだ」と言いました。そして「書物を今まで沢山読んできたのだろう、これからは自分自身の心を読みなさい」と言われました。自分自身の心を読むとは心に気づきを持たせ、知ることを間に合わせるということです。心に楽が生じたならばそれに気づきを間に合わせる。心に苦が生じたならばそれに気づきを間に合わせる。自分自身の心が善ければ「善い」と知ることを間に合わせる。不善であれば「不善が生じた」と知ることを間に合わせるのです。これがルアンプー・ドゥン師が教えてくれたことなのです。

 この部分を教える前に師は次のことを良く教えてくれました。「心を外に向けない」と。「心を外に向ける」とは眼・鼻・耳・舌・身・意にハマり込んでしまうことなのです。考え事にはまり込むと身体を忘れてしまいます、心を忘れてしまいます。ルアンプー・ドゥン師の教えの重要な第一部ですよ。

師はこう教えました。

心を外に向けるとは集諦(サムータイ:苦の原因)、心を外に向けて出る結果は苦(ドゥッカ)、心で心ををはっきりと観ることは道諦(マッガ:苦を滅する道)、心をはっきりと観ることの結果は滅諦(二ロード:苦が消滅した)であると、滅諦は涅槃のことです。

この4つのダンマの言葉は2つのグループに分けることが出来ます。1つ目のグループは悪の側です、結果は苦(ドゥッカ)です。2つ目のグループは善の側です。結果は苦からの解脱です。この短いダンマの言葉にはダンマの成すべきすべてが含まれているのです、四聖諦なのです。四聖諦にはすべてが含まれているのです。

 師の「心を外に向けない」というのは集諦(サムータイ:苦の原因)の事なのです集諦とは苦の原因なのです。心を外に向けるとは心が眼・鼻・耳・舌・身・意にハマりこんでいることなのです。
 私たちが携帯を見る時、心は外に向けて見る行為をします、携帯を見たならば、考えごとが生じます。そして考え事にハマり込むのです。携帯を見ただけなのです。ですから私たちは強い意志をもって取り組まなければなりませんよ。

*ルアン・プードゥン師(1888-1983)、タイ森林派と呼ばれる瞑想指導の礎を作ったアチャン・マン師の指導の下16年間放浪する。


ルアンプー・ドゥン師(1888-1983)

**アチャン・ポー・リー師(1907-1961) ワット・アソーカラム寺。アチャン・マン師と共に修業をする。

アチャン・ポー・リー師(1907-1961)

*** プットー瞑想

****ワット・アソーカラム寺院

仏歴2564年12月12日


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