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「今日はもう帰んなさい」職場を早退させられた日の話【21卒】

「今日は帰ろう。一旦仕事を忘れなさい」
上司に言われ、15時過ぎに追い出されるかたちでオフィスを後にした。

会社の自動ドアを出た途端、涙が溢れてきた。
昼過ぎの西新宿を嗚咽しながらマスクを濡らして駅に向かった。

「今帰ったら、いろんなものが崩れてしまう」と漠然とした不安が押し寄せて、涙が止まらなかった。

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多くの20代の新入社員がそうであるように、私は会社への所属意識が全くない。

「会社のために」「売り上げのために」というモチベーションで働くことができない。
社長を含め役員の考えをリスペクトできないし、彼らのもとで汗水流して働いている自分が情けないとさえ思う。

でも「会社のために」と押しつけられるタスク(驚くことにこの手の社内イベント系タスクが山ほどある)に辟易する。
そして好意とお節介が入り混じった上司からの叱咤に、疲弊してしまっている。

気づいたら身体中が硬直して、手が震えていた。
ことばが上手くでてこない。自分の声が他人の口から発せられたように霞んでエコーがかって聞こえる。
高層ビルの20階にいながら、地に沈んでいくような感覚があった。いや、私はそれが実際に起こることを望んでさえいた。
何かの拍子にビルがくずれて、デスクの下のケーブルも、モニターもサーバーも全部もみくちゃになることを想像して渇望した。

相当まいっている。これは相当まいっている。

身体がそう訴えかけるのに、私の脳内では
「それは単なる甘えです。人間は甘いから、自分で律さなきゃどんどん楽な道を選ぶようになりますよ」という上司の声が反芻した。

そうかぁこれは甘えなのかぁ。ランチ中、スマホで「鬱 初期症状」と調べていた手を止めて頭を抱えた。

これは、甘えなんかじゃあない。
誰がなんて言おうが、紛れもなく、真っ当に苦しんでいる。私はほんとによくやっている。

そう分かっているなずなのに、私はそれを受けいけることができない。「それは甘えですよ」の上司の声が、自分の声になって降りかかってくる。自分の手で自分の首を絞めているのが1番辛い。なぜこんなに自分のことを認めてあげられないんだろう?

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昨日、「調整休暇」(簡単に言うと仮病)を取った。
(そのことは前の記事にも書いている)

仮病とはいえ、身体の重さと微熱と腹痛は本物だった。
身体以上に心を労るのが「調整休暇」の目的だったりもする。

しかし1日の休暇ではどうやら全く回復しなかったどころか、遅れを取ったことへの焦りで浮き足立っていた。


ランチでひとり、オフィスが崩壊する妄想に没頭していた私がデスクに戻ると、上司から申し伝えがあった。

「今日は帰ろう。一旦仕事を忘れなさい」

私のパフォーマンスが下がっているのを見て、体調が万全ではないと判断したようだった。
一度ちゃんと休みを取って、万全な体調で復帰することを望んでの気遣いのようだった。

「本当に大丈夫です。頑張れます」
「いや、今日は休んで。今日マストなタスクもないでしょ?」
「それはそうですが。やるべきことはたくさんあります」
「大丈夫。新卒に任せような仕事なら誰でもできるから大丈夫。明日からのためにも体調整えてきて」


上司なりの優しさだった。

でも今日休むことが何の解決にもならないことを、むしろ自分の首を絞めることを知っていた。

辛いのは体調じゃない。心なんだ。
半日休んで解決する話じゃあない。深く張りめぐらされたストレスの根っこを取り除かない限り、また同じ不調をくり返すことは目に見えていた。

その不安を残したままオフィスを去るのが怖かった。明日からの私のパフォーマンスに期待されるのが怖かった。近々また起こるであろう不調の波が怖かった。2波目には「また休みかよ」と落胆する周りの顔を想像して息が詰まった。

解決のためには胸の内を話すしかない。
でも、いったい、どこから話せばいいっていうんだろう?
会社に来るのが苦しいです、会社のことが嫌いです、社長を尊敬できません、そういう本音を伝えることが必要だった。

1日でも早く、明日にでも、言葉を選び、紡ぎながら、正直な気持ちを伝えられればいい。

色んなものが崩れた。モチベーションもメンタルも崩れている。
でも、そもそも脆い砂山だったんだ。
崩れてしまったのなら、次は土台から頑丈なお城をつくればいい。
それが一日でも早くできるようになればいい。

大丈夫、うまくいくよ。

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