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映画「BLUE GIANT」を観て、自身のバンド史を振り返る 〜バンドとJazzから学んだこと〜

「Jazzの音楽がよかった」、「映画館の音響が最高だった」という感想はもちろんありますが、この記事ではそういうことを言いたいわけではありません。
私は今少しばかり音楽活動をしていますが、映画「BLUE GIANT」を観てバンドを始めた頃のことが思い起こされたので、自己紹介を兼ねて書き出してみようと思います。

※ ネタバレを含む可能性があるので、ご覧いただく際はご注意ください。
※ 本記事の見出し画像に使用しているロゴ画像は、BLUE GIANT公式サイトより拝借しました。


私は玉田だった

音楽を始めたのは3歳の頃。当時定番の習い事の一つであるクラシックのピアノ教室に通っていました。
それから高校受験の勉強が忙しくなる頃には辞めてしまったものの、社会人2年目の時に会社の同期からバンドに誘われ再び音楽を始めることに。「ピアノ弾けるんだよね?じゃあバンドやろうよ!」と軽いノリで誘われ軽いノリでOKしてしまったものの、蓋を開けてみるととても簡単な話ではありませんでした。

そのバンドはJazzやFunkを中心に選曲していて、クラシックとは全然違うものでした。
まず楽譜がない。え?何を弾けばいいの? → コード譜ならあるよ → コードって何… というレベルでした。(Jazzのスタンダードの本はありますがバンドで選曲していたのはスタンダードではなく、それ以外でもネットで検索すれば譜面は存在していたかもしれないですが当時の私にはそんな発想はありませんでした。)
リズムも全然違う。クラシックはリズムやテンポが揺れることが多いけど、JazzはJazz独特のリズムがあったり、Funkは16分刻みのタイトで正確なリズム合わせが求められたりしました(もちろん曲によって異なりますが)。 とにかく初めてのことだらけでした。

バンドの構成は、サックス x 2人、トランペット、ギター、キーボード x 2人、ベース、ドラムの計8人で、その内5人は経験者でした(学生時代にバンドサークルに入ってがっつりやってた人たち)。(途中でメンバーの出入りがあり構成は少し変わります)
みんなめちゃくちゃ上手くて、玉田の「自分が足を引っ張ってる」という台詞に当時の自己嫌悪と劣等感で真っ黒だった感情を思い出してまず涙。(ちなみに上映中8割くらいずっと泣いてました多分。)
バンドを始めた頃は社会人2年目だったので、仕事もバンドも「できない」だらけで辛かった記憶が…。

数をこなす。時間をかける。続ける。

映画の中で、玉田に対しておじいさんの観客が「上手くなったね。僕は成長する君のドラムを聴きに来ているんだ。」と伝えるシーンがありますが、はいここボロ泣きでした。当時の自分を重ねてしまいました。

「何もできない」から「楽しい」と思える域まで達するには、人一倍頑張るしかありませんでした。幸いバンドにはもう一人キーボーディストがいたので彼に色々と教えてもらって結果的に「楽しい」までいけて、今でも私は音楽を続けられています(今でもこのご恩は忘れていません)。
彼のことは尊敬していましたが、自分がどれだけ頑張ってもこの人には届かないなという存在が身近にいるというのはありがたくもあり辛くもありました。彼に届くためには彼以上の努力が必要ですが、彼は既に積み重ねてきた努力の賜物を持った上でさらに練習を継続していました。バンド練の度に彼自身の成長も見られて「ああ、またもっと遠くへ行ってしまった」と思うこともよくありました。

それでも少し前の自分よりできるようになると、とても嬉しくて幸福を感じるものでした。努力は嘘をつかないことを自覚することができました。最初のうちはやった分だけ伸びたので夢中になり頑張り続けられました。筋トレみたいなものでしょうか。

楽しいから続く。続けることで伸びる。伸びると楽しい。この好循環が生まれていました。クラシック時代は泣きながらイヤイヤ練習していましたが、Jazzやバンドは楽しかった。だから仕事が終わって夜から練習し始めて深夜まで…ということも苦じゃありませんでした。練習している時はアドレナリンが出続けていた気がします。

ちなみにどんな練習をしていたかというと、音楽理論の本を1冊買って頭に叩き込み、ベースラインを聴き取り(最初のうちは全然聴こえなかった)、色々なリズムパターンを手で叩き、クリックを鳴らしながら裏を取ったり(16分の表裏とか裏裏とか…リズム感なさすぎてこれが多分一番しんどかった)、Jazzのキーボーディストのソロを耳コピしたり…。
このやり方は全部同じバンドのキーボーディストが教えてくれました。先生としても優秀すぎる。そして私がどれだけミスしても下手でも嫌な顔一つせずずっと優しく向き合ってくれました。人格者すぎる。

とにかく耳コピばかりして耳を鍛えることを重要視していたので、話題になったこのロバート・グラスパー大先生の正論はめちゃくちゃ納得。

自分は"できる"と信じること

映画の中でも大は自分が世界一のジャズプレイヤーになることを信じています。仲間の雪祈や玉田のことも信じます。そして本当に彼らは「So Blue」のステージに立つという夢を叶えます。

私は最初自分に自信がなくてできないできないと弱音ばかり吐いていましたが、ありがたいことにライブの機会が続き、ステージに立つ時には無理やりにでも「私はできる、やってやる」と自分に言い聞かせて本番に向かっていました。
そうすると不思議とスタジオ練の時よりも良いパフォーマンスが出せるんですよね。これと似たような体験をゴルフでもしたことがありまして、ゴルフの一打目に同じように自分に暗示をかけると、不思議と思ったより飛ぶことが多いんです。でも精神が乱れてると全然飛ばない。

私は高校生の時からコンプレックスを抱えまくっていてずっと自分に自信が持てないでいたのですが(今も怪しいところはある)、音楽に関しては唯一自信を持てるようになってきたことかなと思います。
バンドを始めてからもう10年以上が経ちました。バンドは今活動を停止していますが、結成から5〜6年(?)は活動を続け、都内の有名なライブハウスやジャズフェスティバルに出演することもできました。
今は個人でトラックメイカーとして音楽を続けています。まだまだ音楽で成功していると言える状況ではありませんが、私の作った音楽を良いと言ってくれる人がいてくれることや、楽曲提供やライブ出演でお金をいただけていることも自信に繋がっています。ありがとうございます。そして私も、自分で作った音楽をちゃんと自分がかっこいいと思えるようになりました。

当時のライブの写真。皆の許可は取ってないので顔は伏せました。
このライブハウスもなくなってしまった😢

手が届かないくらい自分より上にいる人たちと一緒にやる

私の他に2人いた初心者メンバーもとても上手くなりました。
圧倒的に自分よりレベルが上の人たちと一緒に活動していると、憧れと焦りが同時にあって、頑張れるというか頑張るしかない状況になるんですよね。
経験者メンバーたちは、上手かった上にとてもいい人たちでした。面白くて優しくて。練習もその後の飲みも楽しくて。仲間として一緒にいたいと思える人たちでした。この人たちと一緒にいるためには、ついていかなきゃいけない。なるべく差を埋めなきゃいけない。その差が大きいほど最初はしんどかったり劣等感に負けそうになったりと辛いことが多いですが、結果的にすごく成長できます。(ハイレベル側からしたらメリットない話で申し訳ないですが…)

ちなみにバンドを始めた時、飼っていたゴールデンレトリバーが亡くなってすぐの頃だったので、その犬が私が寂しくないようにって出会わせてくれたのかなぁなんてスピなことも思ったりしました。

バンドで身につけるコミュニケーション力

自分のコミュ力が高いと自負するつもりはありませんが、バンドではコミュニケーション力が鍛えられるなという実感はありました。
まず、「聴く力」がつく。単純に音を聴くという意味でもそうですが、「視る」に近い感覚というか、全体や各パートの個人の動きに敏感になるんですよね。今はこの人がメインに立っているから自分たちは控えめに演奏しようとか、逆にこの人が今ソロで盛り上げようとしているからバックも盛り上げようとか考えていたりします。他のパートがどういう動きをしようとしているかを読むことになるので、「相手の立場に立って考える」という姿勢も同時に身につくような気がします。

バンドを始めて少し慣れてきた頃、私はセッション狂になっていました。セッションとは、バーやライブハウスなど演奏ができるお店に演者が集い、1曲1曲メンバーが入れ替わり演奏していくものです。基本的にはみんなが知っている曲や、ボーカル・管楽器などメロディ担当がやりたいと言った曲をやります。Jazzだとスタンダートナンバーをやることが多いです。
バンドではやらない曲を演奏することや、バンドメンバーよりさらに上手な人たちと出会うことが楽しくて、東京の色々なセッション箱に通い詰めていました。
セッションではよりコミュニケーション力が磨かれます。よく知るメンバーとのバンドではなく、全く知らないはじめましての人たちと一緒に演奏をするからです。

今まで私が出会ってきた人の中で、Jazz系のバンドマン、特にセッション慣れしている人たちはコミュニケーションが心地良いなと感じることが多い気がします。例えば相手の話すテンポに自然と合わせてくれたり、人が話している途中にカットインしてくるようなことはあまりありません。それでJazz系バンド経験とコミュニケーション力に相関関係があるのではとよく思っていました。
ちなみに私は特にコミュニケーションが心地良いなと思う人はベーシストの人が多いです。たまたまかな?と思いますが、確かにバンドでもベーシストをかなり頼っているところがあります。最初に耳コピして譜面に起こす時にはベースを聴きますし、コード進行をロストした時にもベースの音を拾ってどこにいるかわかるということがあります。
バンドでは各パートに役割があるので、それが性格に反映されることもあるのかもしれないですね。(性格に合わせて楽器を選んでいる逆パターンもあるかと思いますが。)

間違いが正解になる

Jazzにフォーカスを当てた話もしたいと思います。
Jazzの魅力は「BLUE GIANT」の中でも多く語られていますが、Jazzの魅力として自由さや即興性がよく挙げられます。
ハービー・ハンコック大先生がハーバード大学で講義をしたこちらの動画では、ハービー・ハンコックがライブ中にミスをしてしまった時にマイルス・デイビスがそれを正解に変えてしまった、という話をしています。これぞJazzだなぁと感銘を受けました。
(動画のリンクは、その話をしているところに再生位置を合わせたものです。)

うん、いや、Jazzには正解も不正解もないって話かもしれない。
演奏中にその曲のキーやコードをアウトすることも手法としてありますし(Jazzに限らないかもしれないけれど)、バンドでやっている場合は一人が間違えたとしても周りがフォローできる。
私の先生であるもう一人のキーボーディストは、「ミスった時も、あえてそうしたように堂々としていればいいんだよ」と教えてくれました。

音楽を「作る」側を経験できて人生が豊かになった

「演奏する」ことも含めて「作る」と言っていますが、私はバンド経験を経て今は個人で音楽製作をしています。
バンドを始めてからはもう10年以上経ちますが、今までに書いたような学びがあったことに加えて、音楽という軸で本当に多くの人と出会えたことも音楽をやっていてよかったなと思うことです。「作る」側だからこそ入れた世界があります。聴く側だったら手が届かないような人たちとも仲良くなることもできました。そして音楽は人の属性問わず愛されるものだからか、音楽関係者に限らずさまざまな仕事をする人たちとも出会い、音楽以外のお仕事をいただくことに繋がることもありました。
さらに海外の友人もたくさんできました。私が作る音楽は当時アンダーグラウンドで狭いコミュニティのものだったので、海外で同様の音楽を作っている人たちとはSNSで繋がりやすく、海外に行った時は一緒に遊ぶこともよくありました。
そして来週末には、私がトラックメイクを始めた頃からずっと大好きな海外のトラックメイカーと一緒に東京でのイベントに出演することになりました!他にもまだまだ、夢が現実になりそうな気配がしています…!

音楽以外の仕事を続けながらではありますが、辞めずに続けてきたことでこうして少しずつ最初は夢レベルだったことを実現することができているのだなと思います。
私は元々多趣味で、ダンス、写真、映画製作、手芸、絵画…など色々なことに手を出してきましたが、唯一続いているのが音楽です。
ずっと100%で頑張ることはできなくても、続けているだけで何かしら良いことはあるんだなと思えました。

この記事で言いたかったことは、「BLUE GIANTをぜひ観て!」、「バンドをやってみましょう」、「継続が大事」のどれでもないです。
私は音楽家として成功しているわけでもないですし、人生もまだまだ苦戦中です。この記事はあくまで私はバンドやJazzを通してこういう経験をしこういう学びを得ました、ということを書き出してみるまででした。終わり。


最後に、BLUE GIANTのオリジナル楽曲「N.E.W.」のライブシーン特別映像を貼っておきます。


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