見出し画像

風景を思考する

風景写真とは何か。
われわれは当たり前のように風景を撮るが、そもそも風景とは何か。目の前に広がるそれを風景と呼ぶが、単なる自然や環境なのか。あるいは世界の見方や人の心なのか。
写真は光学現象であるが、見たものをそのまま転写するわけではない。現実との対峙が前提であるが、現実の単なるコピーではないから、なぜそれを写し取ったのかを考えることで風景はにわかに重層化していく。われわれはパースペクティブにモノを見ているが、写真は一つのレンズを通しているので必然的に距離感は失われる。目の前にあったそれが写真になったときにどこか幻視のような心持になるのはそんなところにもある。
夢かうつつか。われわれは時に見たいものを想念するーそれを幻視と呼んでもよいー思えば写真は想念の一つの可能性ではないか。風景の中に何かしらの予感を見たとき。そんなぼんやりとした予感を、明確な約束として結ぶことができればどうなるのか。約束と予感としての写真。

いつもありがとうございます。いただいたサポートは出展や冊子作製など、写真の展示や頒布のため活用します。