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窓の向こうに見えるもの

「風景を切り取る」と形容されることも多い写真だが、それは向こう側を見通す窓のアナロジーということである。
では撮影者たる私は常に向こう側の景色を見ているだけかといえばそうとは言い切れない。むしろそこに意識が溶け込んでいき詩的かつ私的なものへと遷移していく。
写真とはメディアであり、自分の体験や考えをある程度整理して提示するものといえる。撮ったその時にはわからなくても、少し時間をおいてから見返してみると何かが浮かび上がってくる時がある。
写真は撮って終わりではない。そこへ情報を付け足すことで能動的に次のストーリーが作られていく。写真というメディアだからこそ双方向に―をどのように展開させるかを考える上で大きなヒントになる。

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写真は「風景を切り取る」ばかりでなく、時間をも切り取る。
言い換えると過去を切り取ったものであるが、実はそればかりではないようにも思えてくる。
撮るという行為はどこを向いているのか。写真は記憶といわれるが、なぜその記憶を外部化あるいは現前させるのか。それは単純に過去を向いているからでなく同時に未来を志向しているのではないか。
撮ることが未来に向いているからそれは「約束」であり、そして未来は見えるものではないのであくまで「予感」として存在する。つまり写真は「約束と予感」である。
窓の向こうに見えるもの。一瞬見えたそれにどんな意味を見出していくのか。

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