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おばあちゃんとのご飯

先日、10年ぶりに我が家の墓がある墓苑に行った。
祖父が今年に入ってコロナで亡くなったので、その納骨が目的だった。
墓苑を訪れるのは、私が高校3年生の時に亡くなった祖母の納骨で訪れて以来だった。

私がまだ幼い頃、母が大病をして長期の入院をし、その間に祖父母宅に預けられていたのだが、その期間のことは今でも断片的にではあるが覚えている。

週に何度か近所の喫茶店、チェーン店ではなくローカルな、地元のおばちゃんが一人で切り盛りしているようなお店に足を運んでいた。トーストとサラダとゆで卵がセットになったモーニングセットを注文し、ドリンクはミックスジュースを頼むのが私と祖母の定番だった。祖母は、私の好物だからとよくゆで卵を私にくれていた。今でもゆで卵は大好きだ。思い出しながら書いていると懐かしくなってきたが、あの喫茶店はまだあるのだろうか。

何をしてもらった、何を教えてもらったなど、特別印象に残っているエピソードは残念ながらない。だが、大人になってからも思い出すのは、一緒に過ごした些細な日常であることが多いし、思い出というのはそういうものなのだろうと思う。

母の体調が良くなってからも、祖父母の家にはよく通っていた。なにせ、我が家から車で30分程度の場所だったからだ。

私が小学校4年生の頃に祖父母の家の近くにくら寿司ができた。私の大好物がお寿司であったので、祖母は家に行くたびにくら寿司に行こうと誘ってくれた。私の父と母はいつもいつも回転寿司に行く羽目になり、辟易していたとは思う。今でも私の中では回転寿司といえばくら寿司であるし、大好物である。

また、祖父母の家から歩いて10分ほどの距離には洋食屋さんもあった。卵の乗った焼きカレーが美味しいお店でよく通っていた。歩いて往復する最中、祖母はいつも私と腕を組んで嬉しそうに歩いていた。小さい頃はそれがなんだか楽しかったが、中学生になる頃には思春期特有の気恥ずかしさから、できれば断りたいと思っていた。ただ、そうするとおばあちゃんが悲しむのではと思い、仕方なく組んで歩いていた。


自分にとって大事な人の基準は、
"その人が悲しむ姿を見たくないと強く思うか"
"その人の笑顔が見たいと強く思うか"
であるので、その頃には祖母のことを大切な人であると、頭では分からずとも思っていたのだ。
(こう書くと自分がいかに薄情な人間であるかを改めて自覚する…)


洋食屋さんとの往復で腕を組みながら歩いている最中、祖母はよく私の近況や目標を聞いてくれた。あの頃の自分は、まだ何者にでもなれると思っていたので、大層なことを臆面もなく伝えていた。
弁護士になる、三国志の研究家になる、挙句にはドラマ「ウォーターボーイズ」に影響されて、シンクロナイズドスイミングのプロになるなどと伝えたこともあった。

だが祖母は、どんな目標も否定しなかった。
「そーかそーか、あんたならできるわ。」
「おばあちゃん楽しみにしているわ。」
今の自分が聞いても鼻で笑ってしまうようなことも、祖母は100%の肯定をしてくれた。

今の私は祖母に話したような弁護士や、三国志の研究家や、ましてやシンクロナイズドスイミングのプロになど勿論なっていない。しがない一端のサラリーマンである。

そんな今の私の近況を伝えても、祖母はきっと100%の肯定で受け入れてくれるだろうし、この歳になって立てた人から笑われるような目標も、大真面目に聞いてくれるだろう。そう信じ切れるほどの愛を、気づけば私は祖母から貰っていた。

墓苑からの帰り道、家族であの洋食屋に立ち寄った。
久しぶりに食べる卵の乗った焼きカレーも、大人になって変わった私を変わらない味で受け止めてくれた。
帰り道は家族で腕を組みながら歩いた。


お墓参りで祖母と10年ぶりに逢うなかで、改めて思い出すことが多かったので、どこかに書き留めておきたいと思い初めて投稿してみました。

#日記 #何気ない日常 #家族 #思い出 #祖母 #ご飯

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