見出し画像

躁うつ病の妹が大検を受ける~兄と私その2

兄が嫌いだった思春期。苦手と書くまでに数十年かかっている。

私自身のことはまとめて書きたいかも、ということもあり、書き方に困っているが、とにかく書いてみよう。


私の知らぬところで、兄から母がまもってくれていたに違いない。父も母も大好きだから、泣かさないようにするにはどうしたらよいのだろう?でも学校にはいけない。何をしたらいいんだろう?

病名がついて半年くらいは何もしていなかった。寝て、兄に見つからないようにひなたぼっこして、食も細くなり、20キロ近くゆったりと落ちていった。運動と称して、家の掃除を手伝った。トイレ掃除や洗濯も、基本的な料理もこの期間で身につけたのかもしれない。昼間の買い物は人目につくので、夕方の買い物には母と一緒にでたりもした。兄がいなければ。

ひなたぼっこをしているのを兄にみつかると、兄は無言で蹴ってきた。私がこんなんだから仕方ないんだ、と思って母には言っていない。

母の姉が私をしばらく預かる、と言ってきた。親戚とは言え、人の家で暮らしたことが無い私は躊躇したが、親戚のお兄ちゃん、お姉ちゃんがいるおうち。服をつめこんで、丁稚奉公的に行った。

お手伝いさんがいるお家で、最初はお客さんだった私も、1週間、2週間といれば、やれることは自分でやった。家事も手伝ったし、たまに遊びにも連れて行ってもらった。おばさんからは「なにがあっても、自分の人生やで」と優しく言われる日、厳しく言われる日、結びの句だった。

出席日数が足りず、留年が決まった。そのころ、「大検」というものを知った。高校を卒業していなくても、大学に行ける資格。どんなものなのだろう?と役所に行って資料を取り寄せた。過去問も取り寄せられたし、大検用の通信教育もみつけた。

「大検受ける。何年かかるかわからないけど大学に行きたい」母に言った。父は何も言わない人だ。通信教育費用は出してもらえた。高校1年分の単位しか持っていないので受ける試験は16科目くらいあったろうか。

目標ができてから、自分がすこしづつ変わってきたのがわかった。大検に受かるのは必須で、独り暮らしして大学にいくことが目標。

一人の勉強が楽しかった。机に向かえる時間もすこしづつ増えてきたが、静かな夜に勉強して、明るくなって、こそっと家を抜け出して、近所の自販機で缶コーヒーを買って飲んで帰って寝る。昼夜逆転は治ったと思ってもすぐに戻ってしまう。

大検を受けるにあたり、当時は学校に籍がないことが条件だったため、高校を自主退学をした。そして大検を申し込んだ。ここから試験時間に合わせる生活を自分にしいた。

試験は、試験場となる学校が夏休みとなる、真夏の連続4日間。お弁当持参。まだまだクリニック通院中の身にはきつかった。交通の便が良くない場所の学校が試験場だったので、母が車で送ってくれた。

試験場に向かう途中で何度も吐きそうになる。自家用車を兄が乗って行ってしまう時もあって、タクシーで行ったり、一人で帰らなければならない時もあった。きっとこの日は家で兄が暴れたにちがいない。

「今年はここでやめてもいいんだよ」と、あまりにぐったりしている私に母は言ってくれたが、1年のばすわけにはいかない、と、這ってでも行く気でいた。自己採点で、もしかすると1回で資格がとれる可能性があったのだが、黙っていた。なにせ、最後の試験は体育実技。これは何がおこるかわからないから。

バスケットボールのドリブルシュートとフリースローが実技にあった。練習があるがなかなかゴールに入らない。からだが追い付かない。本番は、祈る気持ちで、奇跡的にも何本か入った。入っただけが合格点ではないだろうが、加点にはなっていただろう。

4日も同じクラスにいると、年齢はばらばらだが仲間意識が芽生える。試験後に集まったこともあった。しかし、発表があってからは、私の場合は一人を除いて連絡は途絶えた。みんな、連絡を控えた、という方が正しいかもしれない。

大きな試験となると、合格者名が新聞にのる時代だ。トイレから出てきた兄が「おい!受かってるぞ!」と、タバコくさい新聞を私に見せてきた。合格していた。4日間頑張ってよかった。祖母や母は泣いて喜んでくれた。

実は、兄が一番うかれていたように記憶している。新聞をもう1部取寄せて切り抜いて、スクラップブックにはさんでいた。私は、その記事をもっていないのだが。。。

☆☆☆☆☆

合格がスタート地点なのです。11月だったかに発表があり、翌年、みんなと一緒のラインで大学受験ができるのですが、さすがにそこまでの学力はありませんでした。母は記念受験といって、地方の受験についてきては、私が試験を受けている間に、旧友にあっていたもよう。羽がのばせたかもしれませんね。

私は一浪します。大きな学校のような塾で友だちを作り、翌年、大学に受かり一人暮らしが始まります。兄と顔を合わせなくて済む生活なら、どこだってよかったんだと思います。地元には有名な大学がいくつもあるのですがね。

よろしければサポートをお願いいたします!いただいたサポートは、ノートパソコンの購入費用にあてたいと思います。テレビも壊れかけてるしな~(笑)