誕生日
誕生日に何が欲しいって言われたんで、ちょっと考えてから「生きる希望かな」って答えたら、納豆をグルグルと混ぜていた彼女の手が止まった。「何かあったの?」と彼女は目を合わせてきた。
「いや、特に何も。まあ、強いて言えば日常かな。毎日続く日常。それは毎日あるよ」
「なるほどね」と彼女は言って、視線を手元の納豆に落とし、初めはゆっくりと、そして少しずつ早くかき回した。グルグルグルグルグルグル。グルグルグルグルグルグル。なるほどねという言葉は多くの場合、人の話を聞いてないときについ口から出てしまう言葉なのだけれど、この時の彼女の場合は違っていたようだ。
納豆の粒がネバネバの泡のようなもので覆われて、納豆の粒がよく見えなくなり、部屋中にあの納豆独特の匂いが充満してきた。納豆を時計として、彼女のかき回す箸を時間の進み方だとすれば、何日も経っているはずだ。「重症ね」と彼女はグルグルしながら言った。
「そもそも、誕生日のプレゼントに生きる希望って何よ」と彼女は納豆をグルグルしながらこっちを見て言った。最初に目があった時は哀れみや悲しみや困惑の感情が込められていたが、今回は怒りの感情が少し混ざっている。その怒りの感情はまだ芽をふいたばかりだ。花を咲かせるのは簡単だ。「怒ってる?」と聞けばいいのだ。今、彼女に怒ってる?と聞けば確実に怒ってないと言うだろう。いや、怒ってるでしょ、と言えば「だから、怒ってないって言ってるでしょ」と彼女は答える。それでもしつこく「怒ってるじゃん」と何度も繰り返せば彼女は確実に怒りだす。だから僕は何も答えなかった。
誕生日の朝、テーブルの上に封筒が置いてあった。封筒にはお誕生日おめでとうと書いてあった。封筒を開けてみた。中には一万円札が入っていた。一万円札には油性マジックで大きく「生きる希望」と書かれていた。一万円札は十枚あった。全ての一万円札に「生きる希望」と書かれていた。十枚すべての福沢諭吉の顔のところに「生」と言う文字が書かれていた。一般的に女性は男性より現実的だ。彼女は「生きる希望」という非現実的で曖昧な回答に必死で意味不明な回答で答えたのだ。「生きる希望」と書かれた一万円札を十枚テーブルの上に丁寧に並べてみた。油性マジックで文字の書かれた十枚の丁寧に並べられた一万円札。なぜかそのシュールな映像は徐々に現実に溶け込んでゆき、やがて本質(生きる希望)の片鱗が見えてきた。たかが十万円、されど十万円である。
十万円かぁ、結構でかいな、あいつやるなぁ、そんなことを思いながら納豆を取りに冷蔵庫に向かうと、開け放たれたカーテンから朝の光が入り込み一万円札の並べられたテーブルをキラキラと照らしだした。冷蔵庫から出したおかめ納豆のおかめがいつもより笑っているような気がした。
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